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2010/08/22

■節子への挽歌1085:人はお互いに心配しあう存在

節子
北九州市の松尾さんから久しぶりに電話がありました。
私が仕事を再開したことを知って喜んでくださいました。
どうやらいろいろな人に心配をかけているようです。

松尾さんは節子の仲良しの一人です。
以前一緒にヨーロッパ旅行に行った4人組の一人なのです。
みんな全国に散らばっているのですが、とても仲が良く、家族単位でお付き合いさせてもらっていました。

その松尾さんから、仕事が再開できてよかったですね、といわれました。
節子がいなくなってからの私は、どうも皆さんにとって心配な存在だったのかもしれません。
昨年、テレビのニュースでも私を見て、元気そうだったので安心したとも言ってくれました。
自分では気がつきませんが、こうしてみんなに心配されているのです。

これは決して私だけのことではありません。
人はお互いに心配しあう存在なのです。
そのことに気づけば、「無縁社会」などという言葉を使う気にはならないはずです。
無縁社会は私たちが勝手につくりあげた幻想でしかありません。
しかし、言葉は逆に現実を育ててしまいかねません。
この頃、改めてそう感じます。

節子は松尾さんに、「修さんはナスが大好きなんです」と言っていたそうで、
ナスを見るとそれを思い出すと、松尾さんは電話で話してくれました。
たしかに私はナスとキュウリが大好きなのです。
ナスとキュウリはお盆の時に節子が使う乗り物でもありますが、この季節はわが家の食卓には欠かせないものです。
今日もユカが、ナスの煮浸しとナスのお味噌汁を作ってくれました。
残念ながら食べるのは、今では私だけなのですが。
しかし、ナスが好きなことまで節子は話していたのですね。
私は節子のことを友人知人にはあまり話していませんが、どうやら節子はいろんな人に私の話をしているようです。
困ったものです。
でもそのおかげで、節子の世界と私の世界は今もなお、さまざまにつながっているのかもしれません。
私の知らない節子の話を聞くことは、とてもうれしいことで、元気が出てきます。

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