■節子への挽歌1064:宝物と雑草
節子
今日も暑い日でした。
今日はジュンも来ていたので、全員で庭の整理をしました。
節子がいた頃には時々あった風景です。
先月までの家の補修工事のおかげで、今年のわが家の庭は花がほとんどないのですが、少しずつ手入れをしながら回復させています。
枯れたと思っていたサツキに続いて、これも完全に枯れたと思っていた名前のわからない小さいな木にもよく見ないとわからないほどの若芽が出てきました。
パピルスも復活しだしています。
節子が大事にしていたバラのいくつかはダメかもしれませんが、復活しそうなバラも少なくありません。
地植えのバラが2種類、小さな花ですが、咲いているのに気づきました。
草木の手入れをしていると、節子の名前が飛び交います。
これは節子が好きだった花だとか、節子がどこそこで買ってきた花だとか、ともかくわが家の花の多くは、どこかで節子とつながっているのです。
節子は山野草も好きでしたので、いくつかあるのですが、その多くは私と一緒に行った箱根や長野で買ってきたもののはずです。
残念ながら私にはどれがどこで買ったものかはわかりませんが、それらの山野草を見ていると、節子が選んでいる風景を思い出します。
私は気にいったら気楽に買えばいいのにと思うのですが、節子はいつもとても慎重に厳選していました。
ですから、私が見たら雑草のようなものも、節子にはとても大切な宝物だったのです。
しかし、今やどれがどれかわからないまま、まさに雑草的な扱いになってしまっています、
まあ、宝物などというのはそんなものでしょう。
当事者にとっては大きな価値があっても、他者にはその価値は理解されないでしょう。
価値をわかってくれる人がいてこそ、はじめて宝物なのです。
「愛する人」も、そんなものなのかもしれません。
節子は私に出会えて幸せだったのです。
なにしろ、節子の価値を私ほど高く感じた人は、絶対にほかにはいないでしょう。
それだけは自信があります。
にもかかわらず、どうして「枯らして」しまったのか。
どこかに間違いがあるような気がしています。
それが、私の最大の悔いなのです。
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