■節子への挽歌1065:男が見ている世界と女が見ている世界
節子
節子がいなくなってから、私には休みという概念がなくなりました。
一昨日書いたように、時が止まったのですから当然といえば当然のことなのですが。
でも一応、先週は夏休みにしようと思っていたのですが、なぜか先週はいろんな人から連絡があり、暑いなかを毎日都心に出てきていました。
今週こそは自宅でのんびりしたいものですが、どうなるかわかりません。
今日は先週約束していたのに、私が別用で延期してもらった若者の相談のために、湯島に出てきました。
その若者との約束は夕方なのですが、まあやることもないのでお昼過ぎに湯島に来ました。
こういう時に限って、誰からも連絡はなく、暇で仕方がありません。
それで久しぶりに湯島の掃除を始めました。
節子がいた時には節子が掃除をしてくれていましたから、私には掃除という概念がありません。
そのため、節子が来なくなってから4年近く、湯島のオフィスは掃除をしていないということです。
時々、来てくれた人が見るに見かねて掃除をしてくれているかもしれませんが(NPOの関係者に鍵もお渡しして使ってもらっているのです)、大きな掃除はできないでしょう。
一応、私が管理責任者ですから。
でも、その私が管理をしていないのです。
まあこう書くと、かなり汚れているオフィスと思われるかもしれませんが、そう不快感はないのです。
でもそれは私だけかもしれません。
今日はそう反省して掃除を始めました。
しかし30分もやったら飽きてしまいました。
やはり掃除は節子に頼みたいですね。
私には向いていません。
ところで、節子がいなくなってから来客に変化がありました。
コーヒーやお茶を飲んだ後、以前は節子が片付けて食器を洗ってくれていましたが、最近はお客さんがその役割を果たしてくれるのです。
これは驚きでした。
それも思ってもいない人が率先してやってくれるのです。
正確に言うと、やる人とやらない人がいますが、まさかと思うような人がやってくれるのです。
それは驚くべき発見です。
しかし、さらに面白いのは、施設管理責任者?の視点からはさまざまな発見があるのです。
節子はきっとこういう観察や体験のなかで、私の友人知人を正確に理解していたのだと最近わかってきました。
男が見ている世界と女が見ている世界はどうやら全く違っているのかもしれません。
節子が私の中に入ってきたおかげで、2つの世界が見え出してきたような気がします。
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