■孤独死問題への取り組み方
孤独死が最近またテレビでよく取り上げられます。
今日も取り上げられていました。
この問題に関しては、どうしたら孤独死を避けられるかという問題設定が多いのですが、その捉え方に違和感があります。
問題は「孤独死」ではなく「孤独死を引き起こす私たちの生き方」ではないかと思うのです。
今日は細菌学の専門家の大学教授と話し合う機会がありました。
またいつか書くことがあると思いますが、自殺の問題に関しても議論しました。
私は、このブログでも書いていますが、「自殺のない社会づくりネットワーク」を昨年、仲間たちと立ち上げました。
仲間の多くは自殺防止あるいは自殺予防に取り組んでいる人たちです。
しかし私の関心は「自殺」ではありません。
問題の立て方によって、活動の結果はまったく違ったものになります。
私の問題意識は「自殺防止」ではなく「自殺のない社会」です。
これはまったく違うものですが、なかなか理解してもらえません。
それと同じく、「孤独死対策」も「孤独死防止」ではなく「孤独死のない社会づくり」を問題にしなければ事態は変わりません。
そのことを最近テレビや新聞を見ながら痛感しています。
実は私も今年は「孤独死」のテーマに関わろうと思っています。
しかしどうも踏ん切りがつかないのは、この違いをどれだけわかってもらえるかです。
自殺や孤独死に限りません。
福祉や環境の問題に関わっていると、こうしたことに行き着きます。
問題の設定をどうするか、それこそが問題なのです。
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コメント
自殺は非条理の中にいる人にとって、最後の希望なのかもしれません。
この状態を決済する唯一の方法は自殺なのかも知れません。「自殺防止」の難しさではないでしょうか? 「自殺も孤独死」も全く個の問題であれば防止は難しいと思います。
しかし、佐藤さんのおっしゃる様に「自殺、孤独死のない社会づくり」は可能でしょう。
人々に最後まで生き続ける勇気と喜びを持てるような環境、社会が創れるなら変わっていくと思います。
私は若いとき不眠症になりました。気が違いそうでした。 夫は「寝てしまうまで起きていてあげる」と言ったのですが、疲れていたのかすぐ眠ってしまいました。
どんなに愛していても、一つにはなれません。個は個なのです。人間は根本では孤独なのだと知りました。 他人は孤に踏み込む事は出来ないけれど、社会や環境づくりによってサポート出来るなら素晴らしいと思います。
投稿: maron | 2010/08/14 05:23