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2010/08/07

■なぜ女性たちは豊かな暮らしを捨てたのか

NHKの「ゲゲゲの女房」を見ているのですが、今日も近くの商店街の3人の女性チームが出ていました。
家の稼業をやりながら、地域のお世話をしたりしている、昔はよく見かけたおばさんたちです。
その人たちが出てくると、いつも、当時(昭和30~40年代)の社会は経済的・物質的には貧しかったかもしれないが、生活は豊かだったなと思います。
専業主婦も含めて、女性たちは豊かに過ごしていたような気がします。
それがなぜみんな企業からお金をもらって稼ぐことに向かいだしたのでしょうか。
私は、女性たちが騙されたのだと思っています。
同時にそれは、男性も騙されることでもあったのですが。

専業主婦が価値のないことであり、女性も経済的に自立し、自分の仕事を持つべきだ。などという言葉に惑わされた女性たちは愚かしいとしか言いようがありません。
女性の社会進出は、女性の社会から企業経済への囲い込みでしかないと私は思っていましたが、その延長にある男女共同参画社会とかいうものを目指す男性もどきの似非フェミニストたちが先頭にたって社会を壊してきたのです。
その結果が生まれたのが「少子化」発想です。
彼らには子どもなど要りません。
必要なのは労働力であり消費力なのですから、サルでもロボットでもいいのです。

子供という概念が発見されたのは、18世紀だといわれます。
エレン・ケイが「児童の世紀」を書いたのは1900年。そして20世紀は「児童の世紀」といわれたのです。
しかし、21世紀はどうでしょうか。
少子化論議が今のような形で行われている限り、子供には未来はないでしょう。
昨今多発している子供の不幸な事件は、少子化発想の延長でしかありません。
21世紀を改めて子供の世紀にしようと言う運動は世界的に広がっていますが、私にはかなり悲観的にうつります。
子供よりもペットを大事にするような人間を育ててきたのは、いうまでもありませんが、経済主義者です。

女性たちはそろそろ男たちの偏った世界へのコンプレックスから解放されなければいけません。
男性が企業でやっている仕事の実体に気づくべきです。
人は生きる上での働きは不可欠ですが、金稼ぎのための仕事は不可欠ではないのです。
その金稼ぎの世界で有名になった経済界や政界の活躍している女性たちの顔を思い出してください。
心と生活を売って社会を壊し続ける女性たちには嘔吐を感じます。

専業主婦がどれほど社会活動をしていたか、発想を変えればそれに気づくのではないかと思います。

久しぶりに時評を書いたせいか、ちょっと走りすぎてしまいました。
すみません。
私にも女性の友人知人がいますが、彼女たちに嫌われそうです。
困ったものです。

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