■節子への挽歌1067:佐藤工務店
続けて書きます。
みんなで作業したのは枝おろしだけではありません。
屋上のウッドデッキの防水塗装もみんなでしたのです。
昔を思い出すなといったら、ユカがベランダの塗装もしたね、といいました。
そうです。
なんと無謀なことにベランダの塗装まで家族4人でしたことがあるのです。
内装を家族でやるうちはあっても、外装までやる家族は少ないでしょう。
しかし節子はそういうのが好きでしたので、時々わが家はにわか工務店になったのです。
ベランダのペンキ塗りはかなり大変です。
脚立に乗ってベランダの裏塗りまでするのですから、かなりの重労働ですし、服装もすべてペンキだらけになります。
それに外ですから近所や道を通る人たちにもよく見えるのです。
さすがにこれは、その後だれももう1度やろうとは言いませんでした。
これに象徴されるように、わが家は生活上のことは出来るだけ自分たちでやるという文化だったのです。
お金を使いませんので、経済成長には寄与しませんが、家族の絆の成長には寄与します。
最近の言葉を使えば、ソーシャル・キャピタルの成長には寄与してきたのです。
こうした暮らしの延長に、今のわが家があります。
わが家の基本をつくってくれたのは節子です。
日常のとても小さなことのなかに、節子を思い出すことも少なくありません。
私の思いをとてもよく育ててくれた節子のおかげで、私は今なお節子に守られながら気持ちよく暮らせていけているのかもしれません。
お金がなくても、いやもしかしたら、ないほど、豊かな暮らしが実現できる可能性があると確信を持ち出したのは、間違いなく節子との暮らしの実践から生まれたのです。
この数年ほとんど収入がないのに、おそらく豊かな暮らしができているのは、節子のおかげなのです。
節子は山内一豊の妻と違って才媛には遠い存在でしたが、私には最高の知恵袋だったのです。
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