■節子への挽歌1087:未発のドラマ
節子
最近、若い世代の人たちに会う機会が増えています。
若いといっても20代から30代と幅はあるのですが、この歳になると30~40代はみんな同じように感じます。
若い世代に会っていると昔の私を思い出します。
彼らが私と同じだということではありません。
むしろまったく反対で、私がしたくてもできなかったこと、さらには思いもしなかったことに取り組んでいる姿を見ながら、とてもまぶしく思うのです。
そういう若者たちと話していると、私自身の生き方がとても「小市民的」に感じて、恥じ入りたくなるのです。
そこで、「もしも」と考えるわけです。
もしも20代に節子と会わなかったらどうだっただろうか、と。
人間とはドラマだ、と語ったのはオルテガです。
学生の頃の私は、ドラマや物語に憧れていました。
さまざまな物語を考えました。
完全犯罪の物語を考えたこともあります。
もちろん実行はしませんでしたが。
節子に会っても、ドラマ志向はありました。
ドラマは登場人物のキャラクターで変わってくるものです。
節子は私のドラマの主役になってしまいました。
そして私のドラマはホームドラマになってしまったのです。
もし節子がソクラテスの妻のような人であれば、私は哲学者になれたかもしれません。
山之内一豊の妻のような人であれば社会的に成功したかもしれません。
しかし節子は、そのいずれでもありませんでした。
ですから私のドラマは平和なホームドラマになったのです。
それは間違いなく節子に会ったせいです。
節子とつくりあげた家庭は、あまりに居心地が良すぎたのです。
ホームドラマの多くは、ハッピーエンドです。
しかし私のホームドラマはハッピーエンドにはなりませんでした。
主役がいなくなるという、とんでもない事態が生じてしまったからです。
戸惑ったのは私だけではありません。
娘たちも戸惑いました。
「お母さんがいたらなあ」というむすめの嘆きを聞くのが一番辛いです。
しかし、実は私も「節子がいたらなあ」と嘆きたいのです。
節子がいたら、ドラマの第3幕に取り組むはずだったのです。
そのために仕事に区切りを付けたのですが、その時に節子の胃がんが発見されたのです。
ドラマの第3幕は少しだけホームドラマから広がるはずでした。
しかしそのドラマは「未完のドラマ」ではなく「未発のドラマ」になってしまいました。
節子と2人で準備したドラマは、節子と共に見送ってしまったのです。
さて節子のいないドラマをこれからどう続ければいいでしょうか。
今はまだ「幕間」です。
このまま終わるかもしれませんが。
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