■節子への挽歌1083:家族が欠けると何かが変わります
節子
新潟に来ています。
今日から2日間、信濃川のダムを見て回る予定です。
新潟水辺の会主催のイベントツアーなのですが、そのNPOの顧問をさせてもらっている関係で声をかけてもらいました。
自然をめぐるツアーにはまだ少し抵抗はあるのですが、そろそろそうした心境からも抜け出なければいけません。
今日は朝6時40分新潟駅集合なので、昨夜から新潟に来ています。
そんなわけで今朝は6時前に起床しました。
昨夜は上野を午後5時前の新幹線に乗ったのですが、乗る頃から空に雲が増えだしました。
沿線もずっと雲が多く、車窓からの風景がなぜかとてもさびしい感じでした。
こんなことを書くとまた感傷的だと笑われそうですが、実にしんみりしてしまいました。
やはり一人での新幹線は、いろんなことを思い出してしまい、元気が萎えます。
仕事の関係で新幹線にはよく乗りましたが、思い出すのはなぜか節子と乗った旅行のことです。
隣に節子がいないのが、やはり心に堪えます。
昨夜は新潟にいる友人と一緒でした。
その人も、私と同じように家族の別れを体験した人です。
家族が欠けることは心に深く残ります。
それは理屈ではありません。
意識の世界でさえないのかもしれません。
ともかく何かが変わるのです。
そのことを体験すると同じような体験をした人のことが無性に気になるのです。
そんなわけで、ずっと彼のことが気になっていたのですが、久しぶりにゆっくり話ができました。
とても元気でした。
おかげで私も元気をもらえた気がします。
美味しいお寿司までご馳走になってしまいました。
そろそろ出発です。
自然を歩くと節子のことをいろいろ思い出すでしょう。
それが少し不安ですが、まあ歩いていれば元気が出てくるでしょう。
| 固定リンク
「妻への挽歌06」カテゴリの記事
- ■第1回リンカーンクラブ研究会報告(2021.09.06)
- ■節子への挽歌1200:節子がいない不幸(2010.12.15)
- ■節子への挽歌1199:柳原和子さんに何かあったのでしょうか(2010.12.14)
- ■節子への挽歌1198:私の仕事好きが節子は不満でした(2010.12.13)
- ■節子への挽歌1197:解けない難問(2010.12.12)
コメント