■節子への挽歌1072:石と野草
節子
ささえあいネットワーク事務局長の福山さんが上高地に行ってきたといって野沢菜漬けを持ってきてくれました。
そこにいくつかのおまけがついていました。
上高地の石と上高地の高山植物の本です。
節子は福山さんには会っていないでしょう。
にもかかわらず彼女は節子のことを知って、わが家まで献花に来てくれました。
節子とはかなり違うタイプでありながら、とても似ているところがあるのです。
たとえば、この上高地のおまけのお土産です。
わが家にも上高地の石と流木の破片があります。
高山植物の本もありますが、節子は野草が好きでした。
違法なのですが、時に道端の実生の花の芽をこっそり摘んでくることもありました。
こういう観光客が自然を荒らしていくわけですが、節子はその実生の芽を大切に育てましたから、ついつい私も見逃していました。
もっとも最近はきちんと販売しているところが多くなりましたから、違法行為をせずにすみました。
福山さんがそうした「違法行為」をしていたかどうかは定かではありませんが、おまけに持ってきたものがあまりに節子的なものだったので、笑ってしまいました。
石といえば、これもまた「違法」かもしれないのですが、私もまた同じような「盗み癖」がありました。
ペルーのパチャカマに行った時には遺跡の砂をこっそりともって来ましたし、エジプトやイラクに行った時も石の破片を持ち帰ってしまいました。
持ってきても整理するわけでもないので、今やもうほとんどはどこの石かわかりません。
節子はどんな遺跡に行っても、泥の塊だと言っていましたので、まったくその通りです。節子は遺跡の石や泥には興味を持ちませんでした。
節子の興味は、石そのものの形や色合いでした。
上高地であろうと湯河原の海岸であろうと、節子が選んだのは石そのものがもっている特徴でした。
ですから私とは思いはまったく違います。
その節子の石も今や庭などに散在してしまっています。
それについて話し合う相手がいなくなってしまったからです。
自然のものは、結局は自然に還っていく。
私も、そうやって自然に還っていくのでしょう。
そう思うと、心が安らぎます。
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