■節子への挽歌1073:もっとましな夫、妻がいればよかったと思ったことはありますか?
節子
昨日、ジュンが小学4年の時の日記を見つけてきました。
そこにはかなり「ひどい父親像」が書かれていました。
いやはや、困ったものです。
家の親は子どもとちっとも遊んでくれん、と書いてありました。
そんなはずはなかったのですが、そういう時期もあったのかもしれません。
ジュンの両親(つまり私たち夫婦です)に対するアンケート調査結果も出ていました。
そこにこんな質問がありました。
「もっとましな夫、妻がいればよかったと思ったことはありますか?」
困った子供です。
答は、私は「いいえ」なのですが、何と節子の答えは「はい」なのです。
いやはや、節子は私に不満だったようです。
困った女房です。
もっとも理想の夫の質問には、節子は二谷英明と私の名前を書いていますが。
この時はまだ私たち夫婦は40前後だったでしょうか。
当時の私はおそらくあまり良い夫でも良い父親でもなかったのかもしれません。
しかし、私の考えのせいで、わが家の親子は友達関係を目指していました。
その弊害が、実はいま出ているのかもしれません。
ともかく「親の権威」がまったくないのです。
日記を読んでいるとわが家の当時の雰囲気がよくわかります。
節子の笑い顔も見えてきます。
読んでいて、改めて節子は良い女房だったと思います。
私の生き方を、いささかの違和感を持ちながらも、支えてくれていたのです。
しかし良い母親だったかどうかは、私が良い父親だったかどうかと同じく、疑問はあります。
私たちはあまりに夫婦関係を軸にしすぎていたのかもしれません。
ジュンの日記を読んでいて、いろいろと心が痛くなりました。
この日記の頃で、時間が止まっていたら、と勝手な思いを持ってしまいます。
ちなみに、節子が残したたくさんの日記を、私はまだ開けずにいます。
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