■節子への挽歌1105:「こういう人の関わり」
節子
時評編で書きましたが、一昨日、福岡のNさんからメールをいただきました。
Nさんは、節子の見舞いにわが家まで来てくれましたし、お別れのためにもわざわざやってきてくれました。
節子や私をいつも元気づけてくれる存在です。
そのNさんのメールを読んでいて、なぜか急に涙が出てきたことを、昨日時評編のブログに書きましたが、その後、いろいろな思いが浮かんできました。
うまく書けるかどうかわかりませんが、挽歌でも何か書いておきたくなりました。
節子と共有したいと思ったのです。
Nさんは、ブログに引用したメールの後、またメールをくれました。
私が体調を崩した時に、その地域の母ちゃん達(ばあちゃん達になりましたけど)は、Nさんはハーモニカの名手です。
「ハーモニカの練習を始めたい」と言い始めたのです。
どうすれば私が元気になるだろうかと、
自分達ができることのあれこれを、実に具体的に差し出してきます。
こういう人の関わりの中にいたい…と、私はその地域に戻ります。
節子にもハーモニカを演奏してくれました。
まあここまで書いてしまうと、Nさんが誰かわかってしまいますね。
西川さんです。
西川さんの体験と同じ体験を私もしました。
節子が逝ってしまった後、私の心身が凍えて動けなくなっていた頃です。
いろんな友人知人がやってきて、いろいろと相談を持ちかけました。
相談に乗る気分にはなれなく、たぶんいい加減に対応していたのだろうと思います。
しかしそれを繰り返しているうちに、いつの間にか私はその気になってしまっていたのです。
昨春から活動を再開できたのは、そうしたことのおかげかもしれません。
私もまた、西川さんと同じように、そういう人の関わりのなかにいたいと思っています。
節子と会えなくなって、とても寂しく辛いのですが、そうした人との関わりが私を支えてくれているのです。
その人たちを裏切ることはできません。
それに、支えると支えられるは切りはなしなどできませんから、私だけの問題ではないのです。
これが「こういう人の関わり」の意味だろうと思います。
西川さんのメールを読んでいて、改めて周りの人たちへの感謝の気持ちで一杯です。
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