« ■節子への挽歌1113:パラレルワールド | トップページ | ■節子への挽歌1114:抜け殻のような人生 »

2010/09/20

■「民のための決める」のか「民が決める」か

前原さんが国土交通省から外務省へと所管を変えたことで、八ツ場ダムの地元の人たちは不安を高めているようです。
最初は対立的だった住民と前原さんの間には少しずつ信頼関係が生まれてきたのに、という記事が朝日新聞に出ていました。
テレビでは長妻大臣がこれまでやってきた厚生労働省の改革の行方に関する不安が議論されていました。
長妻さんは、基本はできたのでもう大丈夫だと言いながらも、大臣が短期間で変わるので結局は官僚を統治しにくいという主旨の発言もしていました。

やはり短期間で変わっていく政治家とずっとそこにいる官僚とを比べたら、どちらが決定権を持つかは明らかなのかもしれません。
もしそうであれば、仕組みに間違いがあるのです。
長妻さんがどんなにがんばっても、やはり最後に勝つのは、そこに土着している人たちでしょう。

変化の時代において、果たして民主主義がいいことなのかどうか。
そもそも、民主主義とは何なのか。
「民」が「主」になるとして、それはどういうことなのか。

たとえば、「民のための決める」ということと「民が決める」とは同じではありません。
よくいわれる「人民による、人民のための、人民の政治」とは、一体何なのか。
わかっているようで、いろいろと考えていくと難しいです。

いま「民主政の不満」という本が話題になっていますが、「民主政治」をどう考えるかは、どうもそう簡単ではなさそうです。


|

« ■節子への挽歌1113:パラレルワールド | トップページ | ■節子への挽歌1114:抜け殻のような人生 »

政治時評」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/30899/49506446

この記事へのトラックバック一覧です: ■「民のための決める」のか「民が決める」か:

« ■節子への挽歌1113:パラレルワールド | トップページ | ■節子への挽歌1114:抜け殻のような人生 »