■節子への挽歌1102:人を心から愛したことのご褒美
先日、息子さんを亡くした友人に会いました。
葬儀の時、一番辛いのは喪主の挨拶だという話になりました。
話すほうも聴く方も、辛い時間です。
彼はとても話せないと思っていたというのです。
息子を見送る辛さを考えるとその状況はよくわかります。
ところがその瞬間になったら、なぜか話したくなって、自分でも信じられないくらい、いろいろ話してしまったというのです。
なぜ話す気になったのか、そしてなぜ話せたのか。
前にこの挽歌に書きましたが、私もまったく同じ体験をしました。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2008/03/post_3784.html
娘たちにもとても話せないので挨拶は「ありがとう」の一言にすると話していました。
娘たちもそれがいいと言っていたのです。
ところがその段になって、来てくださった人たちに向かう形で立ち上がったら、話さなければと思ったのです。
話し出す最初の一言は胸につかえましたが、話し出したら言葉が堰を切ったようにでてくるのです。
涙もなく、元気に話せました。
まるで節子が乗り移ったようでした。
そして、不謹慎にも不思議な高揚感があったのです。
しかも、後でパソコンに向かったら、その時話した言葉が自然と浮かんできて、文字にできたのです。
その体験が私には実はどうもしっくりこずに、奇妙な罪悪感さえあったのですが、同じような体験をした友人に出会えて、安堵しました。
この数日、節子の命日だったこともあり、節子のことを話す機会が何回かありました。
節子のことを話すと、今でも時に涙をこらえられなくなるのですが、同時にまた、不思議な高揚感を得られることがあります。
特に、節子のことをまったく知らない人に節子の話をする時に、その高揚感がやってくるのです。
初対面にもかかわらず亡き妻の話をするのはいささか異常ですし、聴く方も迷惑な話だろうと思いますが、なぜかそういう機会が時々あるのです。
節子はいまなお、私に力を与えてくれる存在なのです。
人を心から愛したことの、これはご褒美かもしれません。
お金では絶対に買えないものなのです。
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