■鈴木宗男裁判判決の政治性
北海道開発局の工事や林野庁の行政処分をめぐる汚職事件で裁判になっていた鈴木宗男衆院議員の上告を最高裁は棄却しました。
なぜこの時期にと、とても政治的な印象を受けました。
そう感じたのは私だけではなかったようで、鈴木さんの記者会見の席では、民主党代表選との関係や村木さんの冤罪疑惑裁判との関係などの質問もありました。
テレビの報道番組で、元特捜検事だった人が、裁判はそうした政治的なことには影響されないと断言していましたが、そもそも裁判は政治的なものなのです。
そんな自覚さえない人に正義面してほしくないものです。
その人は、鈴木被告は社会の信頼を貶めたのだから棄却は当然だといっていましたが、冤罪の発覚つづきで司法の信頼を落としているあなたたちの責任はどうなのかと問いたいものです。
特捜を代表とする検察は、まさに権力の執行者であり、政治行為そのものですし、裁判も政治の強制力を発揮する場です。
裁判で大事なのは「正義」ですが、その「正義」は国家権力にとっての正義であり、生活者のための正義ではありません。
検察は軍隊と同じく、コラテラルダメッジは切って捨てるためにあります。
それが悪いわけではありません。
それがそもそもの制度の思想だからです。
判決に政治性がないなどと言うことはまったくないのです。
大切なことはその自覚を持つことです。
司法の中立などというのはありえない話なのです。
その中立性や正義性のイメージのもとで何が行われているか。
行われているのは、まさに「政治」です。
当事者はそんなことはわかっているはずですが、だからこそあまり直接的にではなく、慎重に行ってきたように思います。
しかし、最近は歯止めがなくなったように、あまりにもあからさまに行なわれているような気がします。
まさに治安維持法時代の前夜のようです。
鈴木さんの弁護士は、これは冤罪だというような発言をしていました。
冤罪かどうか私にはわかりませんが、それよりもこの事件を政治的に活用している人がいるのではないかと言う疑惑を拭いきれません。
考えすぎでしょうか。
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