« ■節子への挽歌1104:心ここにあらずの2週間 | トップページ | ■特捜部の責任が問われるべきではないか »

2010/09/10

■識字教育

このブログの挽歌編を読んでいる人から、時々、まだ涙から縁を切れないのかというようなことを言われることがあります。
もちろん悪意ではなく、好意的な思いでの発言ではあるのですが。

挽歌ではなく、涙が出ることもあります。
なぜ涙が出るのかはわかりませんが、メールを読んで涙が出ることがあるのです。
昨日も、そういうメールが届きました。
私が敬愛する人からです。

なぜ涙が出たのか。

「自殺と鬱の経済的な波及を試算する」という、唖然とするような事態の中で、ある地域での労働争議のときのことを思い出します。
その部落には、体育施設の製造工場がありました。
部落の父ちゃん達は、この工場に何人も務めていたのです。

労働組合が結成されてから、様々な問題が露呈してきました。
会社は、「ミスの多発」を突いてきました。「こんなに損している…」と。
なぜミスが多発するのかを調べてみて、思いがけない(当時の私には)ことが分かりました。
部落の父ちゃん達は、文字が読めないために、「経験と勘(?)で」仕事をしていたのです。

父ちゃん達とは、「ミスは、損得ではなく、体育施設や遊具を使う子ども達の安全の問題」だと、話し合いは続きました。
そして、「ミスをなくそう!」と、父ちゃん達は、改めて決意するのです。

彼らは、平仮名の勉強からスタートしました。
なにしろ、がみがみ言うだけで酔っ払っている父ちゃん達が突然「勉強」を始めたのです。
一番びっくりしたのは、子どもたちでした。
…。
こうして、「親子識字」が点々と開かれるようになったのです。

金に捉われている今は、その捉われている自分達を捉えかえすことなしに、
変わっていくことはないように思います。
NPOもしかりです。
行政は、「お金がご入用でしょう…」とすり寄ってくるのですから。

私がブログで書いたフレイレの「希望の教育学」に関して、メールをくださった方からのメールの一部です。
「希望の教育」は、南米の話やフレイレを持ち出すことまでもなく、この国でも行われていることなのです。
そして、この方のやさしさの源がわかった気がします。
その人は、こうした体験の延長に、いまもしっかりと地に足つけて生きています。
それが涙の理由でしょうか。
もっとしっかりと生きねばなりません。
フレイレを読むだけでは何の意味もない。

人が生きていくことと涙はつながっています。
涙のない人生にはしたくありません。

|

« ■節子への挽歌1104:心ここにあらずの2週間 | トップページ | ■特捜部の責任が問われるべきではないか »

社会時評」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/30899/49404075

この記事へのトラックバック一覧です: ■識字教育:

« ■節子への挽歌1104:心ここにあらずの2週間 | トップページ | ■特捜部の責任が問われるべきではないか »