■「お金はいくらあってもいい」
お金の話をもう一つ書きます。
今日のクローズアップ現代は、日本の森林が海外資本に買われだしているというテーマでした。
私がずっと気になっていたことですが、それがすでに現実になっていると聞いて驚きました。
以前書きましたが、明治新政府は「総有」という発想を捨ててしまったのです。
そこに侍の発想の限界があったような気もします。
それはともかく、その番組に所有していた森林を外国資本に売った人が、
「相場よりかなり高い買値を言われた、お金はいくらあってもいいし」
と話していました。
その発言がとても気になりました。
「お金はいくらあってもいい」
食べ物は自分が食べられるだけあればいいですし、それ以上あっても腐らせてしまいます。
土地も自分が使える広ささえあればいいですし、その広さはトルストイがおしえてくれたように「いくらあってもいい」ことはありません。
しかし、お金だけはありすぎても無駄にはなりません。
いくらでも使えるからです。
しかし、それでも、「お金はいくらあってもいい」でしょうか。
私はそうは思っていません。
まあお金をたくさん持ったこともないので、そう思うのかもしれませんが、お金持ちで幸せそうな人を思い出せません。
最近読んでいるパウロ・フレイレはこう書いています。
「被抑圧者のみが、自分を自由にすることによって、抑圧者をも自由にすることができる」
抑圧者の特質はお金をたくさん持っていると言い換えてもいいでしょう。
フレイレによればこうです。
「所有への渇望は抑えがたいもので、その衝動に突き動かされているあいだに、彼のなかには、カネさえ出せばなんでも買えるという確信が昂じてくる。抑圧者の思想は徹底的に物質主義的なものになっていく。カネこそがあらゆるものの尺度であり、儲けこそが彼のすべてに優先する目的になる」
「かくして人間としての存在証明は、結局は「物」の所有に還元されていく。」
どうですか、フレイレを読んでみたくなりませんか。
フレイレ関係の3冊のお薦め図書は次の通りです。
「被抑圧者の教育学」
「パウロ・フレイレ『被抑圧者の教育学』を読む」
「希望の教育学」
ちなみに、私がフレイレの何に感激したかといえば、彼は「教育とは革命だ」と考えているところです。
これは今の日本の教育の正反対の発想です。
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