■節子への挽歌1119:からみあったつながり
節子
昨日、突然に北九州の佐久間さんが湯島に来ました。
久しぶりです。
節子は佐久間さんには会う機会はありませんでしたが、佐久間さんが韓国に行った時に、灌燭寺の魔除けの数珠とお守り札を送ってもらったのです。
灌燭寺の弥勒仏は私好みですが、節子にはいささか違和感があったかもしれません。
しかし、節子は最期まで数珠を枕元においていました。
その佐久間さんです。
佐久間さんが湯島に突然やってくる気になったのは、これも奇妙なつながりなのですが、黒岩比佐子さんの本です。
東京に来ていた佐久間さんが書店で黒岩さんの「古書の森逍遥」を見つけて、それで私を思い出しで電話してきたのです。
実はその時、私は大学生たちと湯島で会っていました。
そして「死生観」が話題になり、佐久間さんの話をしていたのです。
まさにシンクロニシティです。
しかも、もう一つのつながりがあります。
灌燭寺の弥勒仏は、黒岩さんが編集を手伝った五木寛之さんの「仏教への旅 朝鮮半島編」で私は知ったのです。
その本は、黒岩さんが送ってきてくれました。
そしてその弥勒を見て、それに興味を抱いたのですが、それを知ってくれた佐久間さんが訪韓した時に灌燭寺に寄って数珠とお守りを贈ってきてくれたのです。
いろいろなことが、このようにつながっています。
折角ですので、大学生たちと佐久間さんもお引き合わせしました。
人のつながりを実感できれば、人は孤独にはなりません。
そして、佐久間さんとも話したのですが、「死」の捉え方が一変します。
まちがっても「無縁社会」などということを口にすることもないでしょう。
人は、そもそも「有縁」の存在です。
たとえ節子のように、彼岸に旅たった人であろうと、その縁が切れているわけではありません。
その縁を実感できれば、死に頭を悩ますことはなくなるのです。
しかし、佐久間さんにもお話しましたが、だからといって、節子がいなくなったかなしさから解放されるわけではないのですが。
ちなみに、佐久間さんもご自分のブログに、このシンクロニシティを書いています。
佐久間さんのブログは、世界が広いので面白いです。
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