■節子への挽歌1113:パラレルワールド
節子
お彼岸です。
暑さ寒さも彼岸まで、といいますが、風が変わってきました。
まだ暑さは残っているようですが、我が家の界隈は間違いなく秋です。
秋は秋でまた、節子を思い出すことが山のようにあります。
いつになっても、どこにいても、節子から逃れることはなさそうです。
先日、ちょっと辛いことのあった友人が私に言いました。
一人でいるといろいろと思い出して辛くなるのだが、人と会っていると気が紛れる、と。
その気持ちはわかる気もしますが、正面から辛さに向き合う生き方もあります。
私は、「気を紛らす」ことを好まないタイプですので、いつも節子を思い浮かべながら、辛さと同行しています。
そういう生き方をしていると、絶え間なく節子のことを思い出すのです。
つまりパラレルワールドを生きているようなものです。
大変そうに聞えるでしょうが、慣れてくれば意外とそれが生きやすいのです。
好きなほうに心身をシフトできるからです。
今日読んだ佐久間さんの「ご先祖さまとのつきあい方」という本に、「古来日本では、子どもというものはまだ霊魂が安定せず「この世」と「あの世」のはざ間にたゆたうような存在であると考えられてきた」と書かれていました。
前世を記憶している子どもたちの報告もたくさんあるように、子どもたちが彼岸と此岸を行き交えることは確実のような気がします。
そして、老人もまたその2つの世を行き交うことができるような気がします。
私も、そろそろその年齢になったと考えてもいいでしょう。
事実、私には「死の恐怖」は皆無です。
もし此岸から彼岸への旅が「死」であるならば、こわいはずがありません。
私は旅に出かける時に、旅先のことを調べないタイプですが、彼岸に限っていえば、節子もいることなので、もう少し彼岸のことが知りたい気はします。
明日はお彼岸の入り。
注意していれば、きっと彼岸のことがわかるヒントが得られるでしょう。
もしかしたら、昨日のすずめもヒントなのかもしれません。
明日もまた何かの啓示があるでしょうか。
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