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2010/09/09

■節子への挽歌1103:「家族はいいもの」

■1103:「家族はいいもの」(2010年9月9日)
「男はつらいよ」で有名な映画監督山田洋次さんが、数日前の朝日新聞のインタビュー記事で、「『家族がいいもの』というのはしょせん幻想、という気もする」と話していました。
家族をテーマにしたさまざまな映画をつくってきている山田監督の言葉だけに大きなショックを受けました。
救いは、「気もする」であって、「気がする」ではないところですが。

山田監督も言うように、1970年代頃から「家族の崩壊」は話題になっていました。
しかし、それを防ぐ動きはなかったように思います。
私はこの20年、まちづくりやNPOにかかわっていますが、私の体験では「家族」が肯定的にテーマとして語られだしたのは5年ほど前からのような気がします。
その頃から、「家族のあり方」をきちんと考えなければという動きが出てきたような気がします。
ただ実際には、家族のあり方が変わったようには思えません。

わが家は家族としてあまりしっかりはしていません。
「あったかい家族」と言われていますが、家族としてはあまり模範にはなりません。
娘たちは小さな時から、わが家は少し変わっていると思っていたようです。
しかも子育てもあまり褒めたものではありません。
その責任は私と節子にあります。
子どもよりも伴侶、というと正しくはありませんが、わが家族の軸は間違いなく夫婦でした。
それは当然だという人もいるでしょうが、娘たちをしっかりと育てるという視点が少なかったかもしれません。
その何よりの証拠は、いまも孫がいないことです。
孫のすばらしさは友人たちからよく聞かされます。
その話を聞く度に、なぜか節子に謝りたくなります。
私の理由で孫がいないわけではないのですが、節子に孫を抱かせてやれなかったことが、取り返しのつかない悔いとして残っています。

それはともかく、私は家族がすべての基本のように思います。
家族はいいものなのです。
私がいまこうして何とか元気でいられるのは、節子を含めた家族のおかげです。
軽々に「家族はいいものではないかもしれない」などといってほしくありません。
「家族的なもの」も含めて、家族はいいものです。
誤解されないといいのですが、狭い意味での血縁家族に限った話ではありません。
人は支え合いながら生きているとしたら、その原点が家族にあることを忘れてはいけません。

なんだか時評編に近い内容になってしまいましたが、節子との関係においてでしか、私は家族のあり方を考えられないので、挽歌編に書かせてもらいました。
とても「わたし的」な家族に支えられていることを感謝しています。

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