■節子への挽歌1116:無防備な生き方の贈り物
節子
私たちは、いつもとても「善良な人」に取り囲まれていました。
そういうなかで暮らしていると、世の中には「悪い人」はいるはずもないと思いがちです。
おそらく振り込め詐欺にだまされてしまう人たちは、そうした世界の中で幸せに暮らしているのでしょう。
そういう人は、詐欺にあったからといってさほど嘆かないのかもしれません。
詐欺をする人たちも、きっと困っていたのだと思って許してしまうかもしれません。
誰も好き好んで、人をだますわけがありません。
もしそういう人がいたとしたら、そういう人を生み出す社会に問題があるのです。
そう思うかもしれません。
私たち夫婦は、いつも娘たちからは「だまされやすい人」とみなされていました。
娘たちからみれば、きっと無防備な親だったのでしょう。
しかし、だまさなければいけなくなるよりは、だまされるほうがいいに決まっています。
それが私たち夫婦の共通認識でした。
その認識があればこそ、だまされたことはないのです。
実に幸せなことでした。
私たちが無防備になれたのは、お互いを完全に信頼できていたからです。
信頼できる人がいれば、誰でも無防備になれるでしょう。
なにかあったら、その人が守ってくれるからです。
節子がいなくなったいまも、私は相変わらず無防備に生きています。
そのおかげでしょうか、いまも「善良な人たち」に囲まれています。
今日もそういう人たちが相談にやってきました。
そとからみたら、けっこう大変な相談事項なのですが、なぜかそんな気がしません。
善良な人たちは、宮沢賢治のようにみんな「おろおろ」しながら生きています。
私も、そうです。
でも、みんなとてもあったかいのです。
節子がいなくなっても、私が何とか生きていられるのは、そうした「おろおろ」している善良な人たちのおかげです。
節子と一緒に40年かかって創りあげてきた、無防備な生き方のおかげです。
感謝しなければいけません。
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