■節子への挽歌1108:行動の人だった節子
節子
パウサニアス・ジャパンの金田さんから電話がありました。
節子の、スニオン岬に桜を植えたらどうかという話を初めて知ったと話してくれました。
懐かしい話です。
単細胞な節子の思いつき発想のおかげで、私は金田さんと知り合いになり、パウサニアス・ジャパンにも関われたのです。
人との出会いは不思議なものです。
節子のおかげで、お付き合いが始まった人も少なくありません。
滋賀県でMOH運動に取り組んでいる新江州会長の森さんも、そのおひとりです。
節子の同級生が、森さんの会社に勤めていたのですが、その人から、うちの社長がこんな本を書いたと森さんの著書をおくってくれたのが縁になりました。
節子がいてくれたら、もっといろんな意味でつながれたのにと思う人もいます。
節子がいなくなって、次第にお付き合いがなくなってしまった人もいます。
節子がいるかどうかは、私の交遊世界に大きく影響を与えているようです。
それは当然のことでしょう。
節子がいなくなってから、どうも私の世界は単調になりがちです。
意外な飛躍が最近あまりありません。
やはり節子の世界と私の世界は、違っていたのです。
スニオン岬の桜の話を思い出しながら、そんな気がしてきました。
節子は一生懸命に、ギリシア観光協会に手紙を書いていました。
節子は、行動の人でしたから。
私は、怠惰の人ですが、最近、ますます怠惰になってきています。
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