■国家の壊れ
最近のさまざまな事件をみていると、社会が壊れだしていると同時に、国家が壊れだしていることを感じます。
経済的にはすでに国境は消えだしていましたが、それが政治や文化の面との不整合を起こし、混乱が発生してきています。
政治も経済も、文化も生活も、絡み合っていますから、それは当然の結果ともいえます。
昨今の検察の動きは、権力を付与された暴力機構である検察が暴走していることを明確に示しています。
検察の暴走が、あるいは「やりすぎ」が、人を殺したことも少なくないはずです。
今朝の朝日新聞にも福島県の佐藤元知事の事件に関連して、自殺者が出ていることを報道しています。
検察は、もし制度的な保証がなければ、彼ら自身、殺人罪として訴えられるようなことをしてきているのです。
なぜ彼らだけ罰を免れるのか、私には納得できません。
私が、司法に関心を持ち、検事になりたいと思ったのは、中学の頃見た「八海事件」の映画です。
その後、高校の時にテレビの「検事」の連続ドラマを見て、法学部に入ったのです。
その頃は、検察は自浄作用が働き、まさに「正義」を目指す存在に見えていました。
しかし、権力は腐敗するといわれるように、今から考えれば何も変わっていなかったのかもしれません。
所詮は、暴力組織なのですから。
そうした、法的に正当化された暴力装置のシビリアン・コントロールを可能にするのは、透明性を確保することしかありません。
昨今の裁判員制度のような、アリバイ工作的な施策ではなく、根本から司法を透明化すべきです。
それによってのみ暴力の暴走は避けられます。
私が考える司法改革は、それにつきます。
それが、小賢しい「司法改革」に反対している理由です。
しかし、国家を支える「暴力機構」への信頼が損なわれると、そもそも無理のある国家体制は維持しにくくなります.
国家の崩壊は、暴力機構だけではありません。
外交という、国家のもうひとつの柱もまた、崩れだしています。
外交の本質は、多様な価値観のぶつかりあう場だということです。
自らの価値観だけではなく、相手との関係性において考えなければいけません。
日本の正義もあれば、相手の正義もあります。
原理主義でやっていくべき分野ではないのです。
今回の中国人船長の事件でいえば、逮捕の段階でサイは投げられました。
投げた以上は、その方針を貫くべきです。
その決意がない組織は、喧嘩には勝てません。
経済に翻弄される政治は、見ていて気持ちのいいものではありません。
レアメタルが手に入らなくて何が困るのか。
「武士は食わねど高楊枝」の生き方が、私は好きです。
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