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2010/09/07

■「お金換算」でしか考えられない厚生労働省の体質

厚生労働省が、「自殺やうつ病による経済的な損失(2009年)が約2.7兆円」と発表したという報道に唖然としました。
その数字の計算根拠や集計の仕方(性格の違うものを足していますので無意味な数字だと思います)もめちゃくちゃだと思いますが、こうした発想で「自殺対策特別チーム」が動きとすれば、日本の自殺者は増えこそすれ、減ることはないでしょう。
日本の自殺問題の捉え方は私には大きな違和感がありますし、事実、話題になりながら一向に減る気配もありません。

私自身、昨年、自殺のない社会づくりネットワークの立ち上げに関わりました。
私の意識では「自殺のない社会づくり」のとりくみと「自殺防止対策」とは全く別のものです。
この点はなかなか理解してもらえませんが、簡単にいえば、対処療法か根本解決かの違いです。
もっともこれは、このネットワークの共通認識では必ずしもなく、私の個人的考えなのですが。

それにしてもなぜみんな「お金換算」でしか考えないのでしょうか。
そういう姿勢こそが、自殺などという問題を引き起こしているのです。
お金の問題からどうして自由になれないのか、それを考えなければいけません。

私はさまざまな分野のNPO活動にもささやかに関わっていますが、最近そこで嫌気を感じているのは、そこでもみんな「お金発想」から抜けられずにいる人が多いことです。
その結果、まさに「貧困ビジネス」的なことが起こりうるのです。
生活保護費をめぐって「囲い屋」的な貧困ビジネスへの規制は少しずつ強まっていますし、最近も大阪のNPO関係者が逮捕されていますが、福祉の世界の「お金まみれ」はとても気になります。
先日、生活保護をテーマにした話し合いの場も持ちましたが、みんなの関心もやはり「お金」ばかりで、私にはやりきれない感じがしました。

問題は「自殺」ではありません。
「自殺に追い込まれる社会のあり方」なのです。
つまり私たち一人ひとりの生き方です。
木を見て森を見ず、になってはいけません。

今回の厚生労働省の発表を知って、やはり厚生労働省は体質が変わっていないと思いました。
年金で集めたお金でお祭を続けてきた文化がまだ残っています。
まともな厚生労働省職員はいないのでしょうか。

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