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2010/09/08

■司法関係者は本来的に腐敗します

権力の座にある者は必ず腐敗すると言われます。
もしそれが正しければ、司法界の裁判官や検察官、あるいはそれにつながっている警察は腐敗の対象にはならないのでしょうか。
今回の鈴木宗男さんの記者会見を聞きながら、そんなことを考えました。
いささか過激ですが、書いておきます。

裁判とは正義を守るための装置ですが、それは同時に、正当化された「暴力装置」です。
戦争に見るように、正義と暴力は切り離せないのですが、それをつなげて考える人は少ないのが不思議です。
いうまでもなく、裁判は合法的に人の自由や、時には生命まで奪うことができます。
それは、今の時代においては、飛びぬけて強大な「権力」です。
その権力の上に長年生きていればどうなるでしょうか。
その権力を行使することの大変さや心労は並大抵ではないでしょう。
好き好んで暴力を振るっているわけでもありません。
私にはとても背負いきれないほどの重荷を背負っているはずです。
しかし、それはそれとして、人の生死を決める権力を持つ裁判官や検察官が腐敗していないはずがないのです。
それは、個人の資質や責任の問題ではありません。
「権力は腐敗する」という命題の冷徹な結果でしかありません。

いくつかの冤罪事件や村木さんの裁判で示されたように、権力の正義は暴力的です。
自らは裁きの対象にはならないように守られているとしても、その暴力は必ず自分に跳ね返ってきます。
それへの防衛機制として、裁判官や検察官は、自らの正義感を過剰に確信せざるを得なくなります。
暴力とは一方的な行為ではなく、双方向的な関係概念なのです。

司法も、権力である以上、腐敗するのです。
しかしなぜか多くの人はそれに気づきません。
司法は正義だと洗脳されているからです。
しかし、そろそろ司法のあり方を考え直す時期に来ています。
それは、裁判員制度を導入すれば解決する話ではありません。
基本的な制度設計の理念を考え直す必要があるように思います。

サンデル教授は、これからの正義の話をしようと呼びかけていますが、その問いの意味は実に含蓄があります。

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