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2010/09/13

■貧しくても豊かな時代

谷啓さんが亡くなりました。
そのせいか、今日はラジオでクレージーキャッツの懐かしい曲がよく流れていました。
そこには大学8年生とか万年平社員とか、安月給とか、そんな言葉がたくさん出てきました。
それを聴いていて、今とはまったく違った「貧しくても豊かな時代」だったなあと思いました。
安月給でも、万年平社員でも、何とか楽しくやっていけた社会だったように思います。

どこが今と違うのでしょうか。
当時はまだまださまざまな「無駄」が存在していました。
さまざまな生き方も受け入れられていました。
会社にもさまざまな役割が存在していました。
よく言われたように、昼間の仕事はできなくても、夜の宴会や休日の社員行事では活躍する人も、みんなに愛されていました。
しかし、今やそんな役割は会社からはなくなったようです。

当時も格差はあったかもしれません。
しかし今のように切り離されてはおらず、固定もしていませんでした。
そしてなによりも、「貧しくても」生きていけました。
わが家は貧乏でしたが、働き者の両親のおかげで、苦労もせずに生きていました。
お金よりも大事なものがあることも、その暮らしの中から学んできました。

社会はどこからこんな風になってしまったのか。
「貧しくても豊かな時代」は、ノスタルジアでしかないと言われそうですが、決してそうではありません。
成長こそが社会を豊かにする、などという信仰を捨てさえすれば、おそらく「もうひとつの豊かな社会」が見えてくるはずです。
それに、今の日本にもまだ各地にたくさんの「貧しくても豊かな社会」が残っているように思います。

貧しくては豊かにはなれないなどという言葉にだまされてはいけません。
それは、他者の貧しさの犠牲の上に、お金儲けしたいと考える金銭亡者たちの宣伝文句でしかありません。
そして彼らもまた決して「豊か」ではないのです。
だからこそ、ますますお金を集めたがっているのです。

「貧しさ」と「豊かさ」の対語ではないのです。

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