■節子への挽歌1135:意味のない1日
節子
誰かに会っているといいのですが、2日も続いて誰かに会う予定のない日ができてしまうと気分がダウンしてしまうことが最近わかってきました。
そのくせ、誰かに会うのはなんとなく億劫な気もするのですから、奇妙な話です。
この連休は集まりなどの予定もなく、2日間、在宅でした。
昨日はめずらしく読書三昧でしたが、今日はすることがありません。
「しなければいけないこと」はあるのですが、暇な時には、そんなことはしたくありません。
節子もよく知っているように、私は「しなければいけないこと」は、「しなければいけなくなるまで」放っておくタイプなのです。
節子にはいつも注意されていましたが、その生き方は直りません。
それで今日も、何かをするでもなく、しないでもなく、1日を過ごしてしまいました。
こうした日は、夕方になると実に虚しくなります。
今日は意味のない1日だったと思えてきます。
節子がいた頃には、意味のない日など1日たりともなかったのに。
節子がいなくなってから、どうも時間をうまく使うことができなくなってしまったようです。
まだまだ立ち直れていないのかもしれません。
困ったものです。
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