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2010年10月

2010/10/31

■節子への挽歌1155:先が見える幸せ、先が見えない幸せ

節子の病気が再発した年のわが家の標語は「希望」でした。

昨日、先は見るものではなく創るものと書いた後で思い出したことがあります。
希望学に取り組んでいる玄田有史さんが、書いていた言葉です。
先が全く見えてこないと希望が持てないが、先が見えすぎると希望は失われる。
たしかそんな言葉でした。
実際の意識調査の結果、たどりついたことだったと思います。

言い方を変えれば、「先が見える幸せ」と「先が見えない幸せ」があるということです。
いつか「余命○○年」という言葉について書いたことがありますが、人によっては「余命期間」がわかったほうがいいと言う人もいるでしょう。
そのほうが、充実した時間を過ごせるとも考えられるからです。
しかし私はその考えには賛成できません。
人智をいくら尽くしても、余命期間などわかるはずがない、それが生命だと思うからです。
勝手に決めることは生命への冒涜に感じます。

人は必ず死を迎えます。
その意味では、だれもが先が見えているわけです。
しかし、それがいつ来るのかわからないのが生命です。
それを知って、どうしようというのか。

手塚治虫の「ブッダ」には、自らの死期が見えるアッサジという人物が出てきます。
彼は、その死に方までが見えるのです。
彼の場合は、野獣に食べられる死に方でした。
しかし、死ぬ前日でさえ彼の日常生活は全く変わりません。
なぜならば、彼にとっての「死」は大きな意味での「生」の一部でしかないからです。

つまり、死と生の壁を越してしまえば、つまり「大きな生」に気づけば、余命という概念は無意味になるのかもしれません。
いまその時をしっかりと生きる。
それが「生の意味」なのです。

問題は、先が見えるか見えないかではありません。
今が見えるか見えないかです。
昨日の挽歌を書きながら、気づいたことです。
挽歌を書き続けていると、いろいろなことが見えてきます。
節子のおかげだと感謝しています。

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■無縁社会ではなく有縁社会

昨夜、NHKでは「無縁社会」をテーマにした長時間の話し合い番組を放映していました。
私は最後の部分しか見なかったのですが、こうした取り組みが広がってきたことはいいことだと思います。

ただいささかの違和感があります。
というよりも、「無縁社会」などと気楽な言葉をつくり、使うことへの怒りを感じます。
これに関しては、以前も一度書きました。
言葉は実体を生み出す、といったのはヴィトゲンシュタイでしたでしょうか。
パウロ・フレイレは、言葉による意識化を重視しました。
言葉は間違いなく、実体の形成に大きな影響を与えます。
そうかんがえれば、「無縁社会」という言葉を起点にして考え議論するかと、「有縁社会」という言葉を起点に議論するかで、大きな違いが生まれるでしょう。

日本は「縁」を大事にしてきた社会です。
私たちの生は、まさに縁によって生まれ育っているという文化が日本には存在しています。
しかもその「縁」は、目に見える人のつながりだけではありません。
お天道様、ご先祖様との縁も含めて、見えない縁が縦横無尽に張り巡らされているのです。
無縁に生きることなど、できようはずがないのです。

大切なのは、縁をつくることではありません。
縁に気づくことなのです。
そこから出発しない限り、昨夜、語られていたような問題は解決しないように思います。

「無縁社会」という言葉(概念)を広げて、どういう意味があるのか。
いま大切なのは「有縁社会」という言葉だろうと思います。
NHKの報道姿勢は完全に間違っているように思うのですが、どうでしょうか。

11月5日に、みんなが安心して暮らせるシェルターを考える公開フォーラムを開催します。
シェルターの核は、開かれた縁ではないかと私は思っています。
そんな話し合いができればいいと思っています。
もしよかったら参加してください。
案内はチラシをご覧ください

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2010/10/30

■節子への挽歌1154:先もなければ過去もないタイムポケット

節子
挽歌を書こうとパソコンに向かったのですが、書き出しの言葉が出てきません。
そう思っていたら、電話がかかってきました。
福井にいる節子のお姉さんからです。
まあ特に用事ではなく、テレビを見ていたら千葉のほうは台風がすごいようなので電話したということでした。
房総半島の南端の館山はだいぶ荒れているようですが、我孫子は静かです。

節子たちは仲の良い姉妹でした。
お互いに生活に余裕も出てきて、これから一緒に旅行などしようと話していた矢先に、節子は病間に襲われたのです。
もし人生の先行きが見えていたら、もっと早い時期から姉妹で一緒に旅行などできたのに、人生はなかなかうまくいきません。

しかし、人生が豊かに成り得るのは、たぶん先が見えないからです。
先のことは全く決めずに辞めましたから、何が起こるかさえわかりませんでした。
しかし、その時は「白紙のキャンパス」に絵を描くような、わくわくした感じをもてました。
時代がまだ、希望に満ちた時代だったのかもしれません。

会社を辞める時、これからはお金から解放されようと決めたのです。
先が見えなくなって収入がゼロになったのに(失業保険ももらいませんでした)、なにかわくわくしたのです。
不思議なことに、その高揚感は、節子にも移ってしまいました。
そのせいか、結婚した頃の気分に戻った感じがして、何をやっても新鮮でした。
先が見えなかったので、どんなことに出会うか、2人して毎日わくわくしたものです。
実に楽しい失業生活でした。

もちろん今も先は見えません。
節子がいなくなって、先の見えなさは高まったはずです。
しかし、いまはわくわくしません。
なぜでしょうか。

「先」は、実は見るものではなく、創るものだったのです。
会社を辞めた時、先が見えなかったのではなく、先を創ることが可能になったから、わくわくしたのです。
いまは、「先」を創ることができなくなってしまった。
なぜそう思うのかわかりませんが、そんな気がします。

人は先を創れなくなると過去に逃げるのかもしれません。
しかし、いまの私には「過去」こそ見たくない世界です。
先もなければ過去もない。
次元のはざまに開いた、タイムポケットに落ち込んだような気がします。

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2010/10/29

■節子への挽歌1153:物語を生きる

「人は物語をもとに考えるよう創られている」
ノーベル経済学賞を受賞したジョージ・アカロフ教授の著書「アニマル・スピリット」に出てくる言葉です。
「人間の動機の相当部分は、自分の人生の物語を生きることから生じている。それは自分が自分に言い聞かせる物語であり、それが動機の枠組みとなるわけだ」とも書いています。

私は「物語」という言葉が大好きです。
子どもの頃から、自分の物語をしっかりと生きたいと思っていました。
節子と結婚してからは、節子との物語を一緒につくろうと思っていました。
私たちの生活は、まさに物語を育てていくものでした。
そしていつか、その2人の物語を、縁側の日なたのなかで、2人でゆっくりと思い出しながら何回も何回も語り合いたいと思っていたのです。
今の家には、そのための小さな縁側もつくりました。
しかし、その縁側で日向ぼっこすることは、私には永遠にないでしょう。
物語を語り合うこともないでしょう。
封じ込められた物語には、それなりに面白い話もあるのですが、相棒がいなければ語ることさえ難しいものです。

最近、ある集まりが契機になって、また「物語」を意識するようになりました。
物語を意味する「ナラティブサロン」という集まりも始めました。
人にはそれぞれに物語があります。
その物語をつないでいくこと、あるいは関わりあうことが、もしかしたら人の幸せや平和につながっていくかもしれないと思い出したのです。

近代の物語は、しかし他者の語りによる物語でした。
しかしこれからは自らが語り手にならなければいけません。
語り手になって語りだすことが、精神療法の世界では大きな効用を持っていることも議論され出していますが、語ることの効用は療法以上に積極的な意味を持っています。
私自身、この挽歌で自らの物語を語ることで内部に引きこもらずにすんだ体験をしていますので、その効用の大きさは身を持って実感しています。

節子なしで、私の物語をどう完結させるか、それは難題です。
でもまあ、このまま今の物語を進めていくと、きっと起承転結の結が見えてくるのかもしれません。
果たしてどんな「結」なのでしょうか。

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■ジミー・ティングルの感動的なスピーチ

今日は毎月恒例のオープンサロンです。
毎月最後の金曜の夜開催しています。
誰でも歓迎ですので、気が向いたらお越し下さい。

それはそれとして、今日は寒かったので自宅で仕事をしようと思っていたのですが、オープンサロンの日であることに気づき、あわてて湯島に出てきました。
あわてたせいで、予定していた仕事の資料を忘れてきてしまいました。
仕方がないので、かばんに入っていた、読みかけの岩波新書、渡辺靖さんの「アメリカン・デモクラシーの逆説」を読むことにしました。

いま読み終えましたが、感動して涙が出てしまいました。
感動したのは、渡辺さんが最後に引用している、2010年のハーバード大学の卒業式での卒業生代表のスピーチです。
全文が紹介されています。
読みながら涙が出ました。
おかしな話ですが、笑いながらの涙ですが、決して笑いすぎての涙ではありません。
感動しての涙です。

私は国家としてのアメリカがどうも好きになれません。
しかし、このスピーチを読んで、その思いは一変しました。
最近、実はアメリカに関するいろんな本を読んできたせいかもしれませんが、一番の決め手は、やはりこのスピーチです。
オバマ大統領のスピーチよりも感動的です。

スピーチの主、つまりこの年の卒業生代表は、ジミー・ティングルという人です。
55歳、全米でも有名なコメディアンだそうです。
そういう人が、卒業生代表としてスピーカーに抜擢されるのは極めて異例のことだと、著者の渡辺さんは書いています。

どこがどう感動的なのか、紹介することは難しいですが、おそらく読むと元気が出ます。
感動の涙が出るかどうかは、保証はしませんが、少なくとも私は涙が出ました。
それもこみ上げるほどの涙です。

この本を読むのは大変かもしれませんが(とても面白いです)、この部分だけなら書店で立ち読みもできるでしょう。
223頁から228頁の、たったの6頁です。
それにとても読みやすいので、さっと読めます。
もっとも、笑いをこらえたり涙をこらえたりするのが大変かもしれません。

ともかく読んでみてください。
元気が出ました。

ところで、そろそろオープンサロンの時間です。
涙をふいておかないといけません。

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2010/10/28

■節子への挽歌1152:take it easy

先日、節子も知っている小山石さんから言われました。
「佐藤さんはうまくいかなくても明るいね」と。
以前取り組んだプロジェクトの結果について、うまくいったけれど評判はよくなかったよと話したことへの感想です。
他者がどう評価しようが、自分が納得できる結果であれば、私はいつもうれしいのです。
そうした生き方に対して、小山石さんは、自分なら評判が悪いとへこむというのです。
まあ、かなりのところ、言葉のあやですが、小山石さんはともかく、私は他者の評判はさほど気になりません。
誰かの評判を気にせずに、自分の人生をしっかりと生きていれば、人生は気楽になってきます。
そして、ますます「自分を生きる」ことがやりやすくなるのです。

この挽歌からのイメージの私は暗そうですが、会った人の多くは、なんだ元気で明るいじゃないかと思うようです。
気楽に沈み、気楽に落ち込み、気楽に楽しむ。
それが外部からは明るく見えるのかもしれません。

私の信条は、take it easy。気楽に行こうよ、なのです。
その信条であればこそ、こうして恥ずかしげもなく挽歌で心情を吐露しているわけです。
吐露してしまえば、どんな思いも負担にはなりません。

しかし、この挽歌を読んでしまったら、私に仕事を頼もうなどと誰が思うでしょうか。
私の権威など、どこかに吹っ飛んでしまうでしょう。
あまり仕事が成り立たないのは、このブログのせいかもしれません。
仕事をしようと思えば、この挽歌も時評もやめたほうがいいかもしれません。
しかし、それは私の生き方にはそぐいません。

幸いに娘たちがあまり読んでいないのが救いですが、まあ娘は私のダメさ加減はすでによく知っていますので、読んでも読み流すだけでしょうが。

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2010/10/27

■節子への挽歌1151:くりくりたいやき

節子
我孫子駅前の花壇の整備を花かご会のみなさんがやっていました。
それで思いついて、「くりくりたいやき」を差し入れてきました。
「くりくりたいやき」は、ちかくの手づくりお饅頭屋さんが最近売り出した、栗の入った季節限定の鯛焼きです。
先日、食べてみたら美味しかったのです。
それで焼きたてのくりくりたいやきを届けてきました。
皆さん喜んでくれました。
もちろん節子にも供えました。

花かご会はその後もしっかりと活動を続けており、11月3日には市のイベントでも、代表の山田さんがパネルディスカッションでお話しする予定です。
新しい人も参加してきているようですが、ともかく人間的なあたたかなつながりが、花かご会の一番の財産のようです。
みんなのリズムで、ゆっくり進んでいるのがとてもいいです。
節子も、その仲間だったことで、私も少しだけ仲間意識を持っています。
もっとも花壇整備の活動には参加してはいないのですが。
もし節子がいたら、今頃は私も入会させてもらっていたかもしれません。

いつも我孫子駅を通るたびに、節子を思いだせるのは、うれしいことです。
節子は、この活動が大好きでしたから。

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2010/10/26

■節子への挽歌1150:無情の世界の有情

節子
寒さを感ずるようになってきました。
夏もまた良し、冬もまた良し、というのが私たちでしたが、いまはその「良し」という気分が起こってきません。
強がりを言っていますが、やはり私の心は萎えてきているのかもしれません。

節子がいなくなってから、時間感覚が大きく変わりましたが、季節感も失われてしまいました。
夏は暑いし、冬は寒いのは、もちろん実感できますが、季節を楽しむという感覚がなくなったわけです。
節子は、季節を楽しむ名人でした。
そのお相伴にあずかることもなくなってしまいました。

いまは、季節の変化は気温の変化だけになってしまった気がします。
困ったものです。
でもまあ、無理にそこから抜け出ることもないでしょう。
そのうちきっと、季節が戻ってくるでしょう。
戻ってこなければ、それもまた「良し」です。
無情の世界の有情を楽しむのも、悪いことではありません。

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2010/10/25

■ネガティブな議論とポジティブな議論

なぜみんな瑣末な議論にはまってしまうのだろうか、と思うことが少なくありません。
かくいう私も、瑣末な議論が好きな一人ですが、しかし基本的にはできるだけポジティブに、そして個人を誹謗せずに、さらに議論はある時間でさっぱり終わるということを原則にしています。
しかしそうでない議論も少なくありません。
私が参加している2つのメーリングリストで、いま際限なしに見える議論がなされています。
そうした議論では、必ず誰かがターゲットになります。
そしていやな話ですが、あげ足取りが横行します。
相手の発言や文字の真意など読み解こうとしないのです。
双方が相手に対してネガティブですから、もちろん正確な意味での議論は成立していません。

メーリングリストでこうした状況が起こると、とても付き合いきれません。
問題提起した人は、しかし途中で止めると非難の集中攻撃を受けることになります。
人は、他者を攻撃する時ほど、大きなエネルギーが出ることはありません。
攻撃するにしても相手も違えば、方法も違うだろうと思いますが、うっかりそうした輪に入ろうものなら、こちらにも矢が飛んできます。
そんな暇人とは付き合いたくないと思いますので、最近はそうした内輪もめには参加しないようにしています。
しかし、果たしてそれでいいのだろうかと思うこともあります。
おかしなことにはきちんと態度を表明しておかないといけないのではないか。
組織の誰かの問題を放置したら、自らもその仲間として責任を追わなければいけないというのが、私の論理ですから、いささか気が重いのです。
そんなメーリングリストから抜けたらいいという考えもありますが、そうやって抜けていけば、いつかは一人になるか、仲良し仲間だけの世界に閉じこもるしかないのです。
人の考えは多様です。
自分の考えとは別の考えがあってもいいと思うのですが、みんなそれを許せないようです。
多様性が大事だなどとみんな言いますが、多様性を維持することは至難です。

人の議論にはふたつあります。
価値を削ぎあうネガティブな議論と互いから学びあうポジティブな議論です。
私は後者の関係を大事にしたいと思っていますが、どうも世の中の多くの人は、前者が好きなようです。
最近そう思えて仕方がありません。

みんなどうして不幸な生き方を目指すのでしょうか。
不思議でなりません。

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■節子への挽歌1149:節子、黒岩さんが再入院しました

節子
先日、講演を聴きに行った黒岩さんが明日からまた入院です

その黒岩さんがブログに書いています。

激励のお言葉はうれしいものの、あまり「頑張れ、頑張れ」と言われると、自分としてはここまで精一杯やってきたのに、まだこれ以上頑張らなければいけないのか、と無力感にとらわれることがあります。あまりこの言葉を強調しないでいただければ幸いです。

節子
とてもよくわかりますね。
しかし、あの黒岩さんがこう書くとは、よほど堪(こた)えていたのです。

先日の講演で気になったことがありました。
講演を終わった後、主催者の方が、質問はないですかと会場に訊きました。
講演者の状況を知っている人なら、早く休んでくださいというべきではないかと私は大きな違和感を持ちました。
会場の人は黒岩さんの状況を知っているので手を上げませんでしたが、主催者の繰り返しの呼びかけで、ある人が手を上げて発言しました。
私も聴いたことのある社会的な活動をしている人です。
しかし、その人はその活動のことを得々と語りだしてとまることがないのです。
何と言う見識のない人だろうと驚きました。
人を思いやることのできない人に人権活動や文化保存活動ができるのだろうかとさえ思いました。
とても良い講演のあとだっただけにとても不快な気持ちになりました。

しかしがっかりしたのはそれだけではありません。
講演が終わった後、多くの人が黒岩さんのところに話に行きました。
私も前の席だったので、すぐに声をかけましたが、二言だけでした。
ところが、みんな長いのです。
行列ができてしまい、なかなか終わらないのです。
黒岩さんはていねいに、そして一見、楽しそうに対応していました。
それを見ていて、節子がコーラスの発表会に行った時のことが蘇りました。

節子もメンバーだったコーラスグループの発表会がありました。
ぜひ聴きに行きたいというので、疲れたら途中で帰ろうという約束で出かけました。
ところが会場でいろんな人に出会いました。
半年振りのそうした場でしたので、いろんな人が話しかけてくれたのです。
めずらしい人にも会いました。
節子は楽しそうに話していましたが、その奥で疲労が高じているのはよくわかりました。
でも節子は帰ろうとせず、終了後も、昔の仲間とロビーで話し続けていました。
もうそろそろ帰ろうと引きずりだすように会場を後にしましたが、外に出た途端に節子はドッと疲れを感じたようでした。
一緒に来てくださった方が驚くほどでした。
車に乗るのもやっとでした。

そうした経験があるので、黒岩さんのことが気になっていましたが、やはりダウンしたようです。
みんなと「元気に」話したいという気持ちと体調を不安視する気持ちの相克の中で、どちらを優先するかは難しい問題です。
あの時、節子をコンサートに連れて行ったことは決して後悔していませんが、もう帰ろうと声をかけたことがよかったことなのかどうか、答はありません。
しかし、「がんばりすぎている」黒岩さんのブログを読むと、事務局の人にもう休んでもらったらどうでしょうと声をかけなかったことを悔やんでいます。
節子ならどうしたでしょうか。

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2010/10/24

■節子への挽歌1148:「連絡を控えるうちに月日が経ってしまいました」

奥様を亡くされた当初は、お慰めのしようもないほどに落胆されているご様子が伺えましたので、連絡を控えるうちに月日が経ってしまいました。

お元気を取り戻されていらっしゃるようで、安心いたしました。
恐らく肉体の一部をもぎとられるような、いや自分がいなくなる方がマシだと思うほどの苦しみの中で、さまざまなことをお考えになられたことでしょう。

それでも、佐藤さんの周りには佐藤さんを頼りに集うお仲間がいらっしゃることを知っておりましたので、きっとまたお仕事を元気に牽引される日がやってくると信じておりました。


友人から、ある集まりの案内がまわってきました。
プログラムを見たら、懐かしい名前がありました。
そういえば、最近、ご無沙汰してしまっていたなと思い、彼女にメールしました。
すぐ返信が戻ってきました。
それがこの文章です。

節子を見送った翌年、私は友人知人に年賀欠礼挨拶の手紙やメールを送りました。
もしかしたら、取り付く島もないような「落胆ぶり」を伝えてしまったのかもしれません。
たしかに私自身あの頃は、自らを閉ざしていたような気もします。
周りが見えなくなっていましたし、頭が混乱し続けていました。
娘たちとさえも、うまく付き合えなくなっていました。
そんな状況でしたので、どんな親切な申し出も素直に受け容れられなかったように思います。

「連絡を控えるうちに月日が経ってしまった」人がほかにもいるかもしれません。
なぜその後、連絡がないのだろうという人が今も何人かいますが、それは私への心遣いかもしれません。
彼女からのメールは、それを改めて気づかせてくれました。

彼女が言うように、私は私を支えてくれるたくさんの仲間に恵まれています。
その人たちが、私を閉じがちな世界から引き出してくれました。
ゆっくりと、ゆっくりと、です。
そして、最近は、またいろんな人との交流が戻りだしています。

彼女はとても痛みのわかる人です。
久しぶりに会えるのがとても楽しみです。
話だけではなく、彼女がプロデュースした映画も観みせてもらえるそうです。

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2010/10/23

■節子への挽歌1147:挽歌は元気を引き起こすもの

昨日、挽歌の読者から、「佐藤さんの元気の無いブログを読んでいると、酷く落ち込みます」というメールが来ました。
その方も私と同じで伴侶を亡くされたのです。
「佐藤さんの哀しみも、私の哀しみです」とも書いてきています。

この挽歌が、もしだれかを落ち込ませているとしたら、それは私の本意ではありません。
私がそうであるように、この挽歌は人に元気を与えるものでありたいと思っています。
内容が内容ですから、哀しいものや寂しいものがあるかもしれません。
しかし、書き手の私は、その哀しさや寂しさを書きながら、元気を得ています。
哀しさや辛さ、寂しさや悔しさは、決して元気を否定するものではありません。
こう考えるのは、私だけなのかもしれませんが、嬉し涙と哀し涙があるように、嬉し元気と哀し元気もあるような気がします。

「元気が出てこない」と書くことも少なくないのですが、実はその時でさえ、書くことによって元気をもらえます。
「元気がない」と言葉にすることで、元気が得られるというのは、普通は逆だと思われるかもしれません。
よく言われるように、言葉が漠然とした空気を意識化することは事実です。
しかし、状況の意識化は時に逆の効果をもたらします。

節子がいた頃、私はよく「大変だ」「不安だ」などと口に出しました。
自分の限界を超えるほどのたくさんの「重荷」を背負ったことは少なくなかったのです。
しかし、口に出すだけで、大変さは大変でなくなり、不安は解消されたのです。
ちょうど、忙しいと言うと、暇なことへの不安が解消されるのと同じです。
私の体験では、「忙しい」と言う人はみんな暇です。

「元気がない」という言葉は、本当に元気がない時には、絶対に出てこない言葉です。
悲しいとか寂しいとかいう言葉もそうです。
その言葉を発すると、同情してくれる人が出てくるかもしれない。
そうなると少しだけ安堵する。
それが私の体験であり、私の生き方です。

素直に自らの気持ちを言動で現すと、人生はとても生きやすくなります。
節子がいなくなってもなお、私が崩れずにいられるのは、この生き方のおかげかもしれません。

繰り返しますが、この挽歌が、もしだれかを落ち込ませているとしたら、それは私の本意ではありません。
挽歌はたぶん生きるものへの元気を与えるものなのです。
もちろん挽歌が贈られている詩者にも、ですが。

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■三川内焼きを元気にしたい

ホームページに書きましたが、先週、NHKテレビで「三川内焼き」の紹介がありました
視聴者の投稿をもとに創られた「こんなステキなにっぽん」という番組です。
長崎にお住まいの吉谷さんという方の投稿で、その番組は創られました。
古谷さんの思いも、そこで語られていました。

その吉谷さんから、突然メールが届きました。
挽歌編に書いた「三川内焼き」の記事が吉谷さんの目に留まったのです。
メールのやりとりを通して、吉谷さんの三川内焼きへの思い入れの深さを知りました。
吉谷さんが感じている三川内焼きの状況は、私が関わっていた20年前とあまり変わっていないように思います。

吉谷さんは「三川内には今の日本が失いつつあるモノづくりへの高いこだわりが残っている」といいますが、同時に、「産業としての窯は衰退の一途」とも感じています。
おそらくこうしたことが、三川内焼きだけでなく、日本のいたるところで起こっていることではないかと思います。
それは、「文化と産業」の不整合によるものなのかもしれません。
そもそも文化と産業は、同じところから生まれてくるはずのものですが、どうやら昨今の日本の産業は、文化や生活を壊すほどの存在になってきているようです。

吉谷さんは、三川内焼きに元気を取り戻して欲しいと思っています。
そのための構想までメールで書いてきてくれました。
とても共感できます。
そこにこんな主旨のことが書かれています。

各地の有名デパートなどでの催しでは三川内焼きの凄さは伝わっても、日常食器として考えるとなかなか消費者の購買意欲にはつながらない。
ところが、三川内の現地に赴き、その環境のなかでじっくり一つひとつの作品を目にすると、何かひとつ2000~3000円のものでも買って帰ろうかな!という気分にさせてくれる。
そして、使い勝手のよい器ですから一度使うとその見栄えと使い心地の良さに多くのリピーターを獲得できると思います。
作り手の顔が見え、納得して手に入れる行為は、「モノを大切にする」いう事をも学ぶことになります。

とても考えさせられる話です。
モノづくりにこだわる職人がいる。
それにほれ込んだ使い手がいる。
それをベースにした「産業」のあり方を考えることは、これからの経済のあり方を考える上での大きなヒントがあるような気がします。

まだ古谷さんへの返事は書けていませんが、何ができるかを考えたいと思います。

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2010/10/22

■奄美大島の大雨

奄美大島の大雨被害の大きさは、もし自分が当事者だったら立ち直れるだろうかというほどのすごさです。
自然のまえには、所詮、人間は小さな存在でしかないのかもしれません。

「日本の伝統的な精神では自然と人間を一体的にとらえている」と内山節さんは言います。
そして、日本における共同体は自然と人間の共同体だというのです。
内山さんの共同体論は、私にはとてもなじめる発想です。

その内山さんはこうも言います。

「自然と人間の間には矛盾も存在している。たとえば日本ではしばしば大雨が降り、それが洪水をも引き起こす。しかし雨量が多いから、水田もつくれるし、作物もよく育つ。森の木が育つのも夏の高温多湿が影響している」。
奄美の大雨被害を見ながらこんなことを言うのは不謹慎かもしれませんが、おそらく奄美の人たちは、こうした災厄をもたらす自然とも恵みをもたらす自然とも、豊かに共存してきたのでしょう。
そしてそうしたなかで、自然と話のできる存在になっていたのかもしれません。
奄美や沖縄の人に、どこか霊的なものを感ずるのはそのせいかもしれません。

奄美大島出身の友人にメールをしたら、こんなメールが返ってきました。

私が育ったころは、バラック並みの家屋でしたので、梅雨前線~台風シーズン~秋雨前線と、この間、何度と今回のような体験をしてきました。
島人(しまっちゅ)の知恵が、被害も最小限に留めていると思っております。
本土並みの家屋になって、何十年ぶりかの災害だと思います。
奄美は、今回の災害復興をバネして、又、一層逞しく、生まれ変わってくれると信じております。
「本土並みの家屋になって、何十年ぶりかの災害」というところが、気になりました。
本土の家屋は、決して、自然と会話できる構造にはなっていないからです。
島人の知恵と本土人の知恵と比べたら、どちらがすぐれているのでしょうか。
今回の災害の状況をテレビで見ていて感じたのは、雨風にさらされることの多い奄美大島の家屋が、なぜか本土の家屋と同じように見えたことです。
これは私の考えすぎかもしれませんが、自然とともにある奄美の共同体やそれを支える住まいや集落構造が、人間だけの論理で合理的に設計された世界に置き換えられているのかもしれません。

共同体が自然と人間の合作であるならば、家屋も集落構造もそうでなければいけません。
「本土並みの家屋」はどういう意味を持っているのでしょうか。
奄美の被害映像から、こんなことを考えてしまいました。

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■節子への挽歌1146:こしひかり

節子
今年も新米の時期になりました。
この時期には、いろんな人が新米を送ってくれます。
わが家が収入はあまりなくてもやっていけるのは、みんながいろんなものを送ってくれるからです。
昨日は新潟の魚沼産のこしひかりが金田さんから届きました。
金田さんは電話で「節子さんにもお供えしてください」と言ってくれました。
早速、昨夜、節子にもあげさせてもらいました。
金田さんは節子のこともよく知っているのです。

金田さんの奥さんが体調を崩されたことがあります。
その時も金田さんは、佐藤さんの気持ちがよくわかりました、と言ってくれました。
奥さんはお元気になられましたが、今も時々、そう言います。
人は痛みを体験しながら世界を豊かにしていくのだろうと思います。
私も、節子との別れを体験したおかげで、世界が豊かになったような気がします。
痛みは、決して人を不幸にしません。
世界を豊かにしてくれる、私はそう思います。

今年は酷暑だったので、例年よりも美味しくないかもしれないと金田さんは電話で言っていましたが、こしひかりはやはりとても美味しかったです。
魚沼産だからということもありますが、そこに金田さんの思いが深く込められているからでもあります。
金田さんには申し訳ないのですが、たとえ魚沼産でなくても、思いの込められたものはみんな美味しいです。
痛みを体験し、世界が広くなると、味の世界も変わっていくのかもしれません。

今日も美味しいご飯を食べられる幸せが、とてもうれしいです。
節子も喜んでいるでしょう。

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2010/10/21

■新潟水俣病の訴訟の和解報道に思うこと

新潟水俣病の訴訟の和解が成立しました。
原告側が目指している「潜在患者も含む被害者全員」の救済に向けて、一歩前に進んだようで、とてもうれしいです。

ところで、その原告側の患者会会長の山崎昭正さんの言葉に考えさせられてしまいました。
朝日新聞(2010年10月21日夕刊)から引用させてもらいます。

阿賀野川下流のすぐ近くで生まれ育ち、子どものころから川魚をよく食べた。30歳ごろから、こむら返りなど水俣病によくある症状が出た。母親が認定されたが、自分が水俣病とは思いもせず「騒いでいる人は金が欲しいだけだ」とさえ思っていた。
 2004年、主治医に水俣病と診断された。同横の症状に悩む仲間と水俣病の勉強会を開いたことが、05年の患者会結成のきっかけとなった。新潟県・新潟市の認定審査会
に申請したが、2回棄却され「裁判しかない」と決意。「人に認めてもらうため、名前も務も出して訴えよう」と、会を代表して実名を公表した。
「騒いでいる人は金が欲しいだけだ」
とても「さびしい言葉」です。
問題が自分に降りかかってこないと、そういう受け止め方をすることは山崎さんに限りません。
いま話題になっている証拠改ざん事件の被害者の村木さんもそうでした
みんな人を信じられなくなっているのです。
悲しくさびしい話です。
ケアマインドは、今の私たちからなくなってしまったのでしょうか。
同じ記事によると、水俣病によくある症状に悩んでいるのに「絶対に名乗り出ない」という人もいるといいます。
なぜこういう風に、みんな考えるようになってしまったのか。
それを考えなければいけない時期に来ているように思います。
自分の素直な心を取り戻さなければいけません。

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■起訴されたら有罪視されることのおかしさ

元主任検事による証拠改ざん事件に関連して、大阪地検前特捜部長および元副部長が起訴されましたが、それを受けて、2人は懲戒免職になりました。
いかにも早い懲戒免職ですが、日本の場合、起訴されたら有罪視されることがよくわかります。
そうだとすれば、裁判とはいったい何なのか、よくわからなくなりました。
裁判で判決を受けるまでは、無罪ではないのかとばかり思っていましたが。
それに今回の事件は、逮捕された2人はいずれも起訴事実を否認しています。
なにやら複雑な気がします。

今日、こうしたことについて、検事総長が記者会見し、謝罪しました。
新聞は、「大林総長は用意したA4の2枚の紙を読み上げた。一連の事件について陳謝したが、「失われた国民の検察に対する信頼を一刻も早く回復することが、私に課せられた責務である」と述べ、早期の辞任を否定した。」(朝日新聞)と報道しています。
今回の事件は本氷山の一角であり、検察庁が発足した当時から繰り返し行われてきた、組織ぐるみのことだろうと考えている私にとっては、検事総長はさらに大きな事実を隠蔽するために残るのかとさえ思えますが、それにしても今頃の記者会見も遅きに失していますし、その内容がいかにもお粗末です。

それにしても、起訴されたら有罪者として扱われる社会は恐ろしいと思います。
ともかく事実を検察関係以外の人に(元検察庁関係者が私は一番悪いと考えていますが)事実を解明してもらいたいものです。
問題はフロッピーデスクの改ざんなどではありません。

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■節子への挽歌1145:死後の平等観

哲学者の内山節さんは、日本では死後、誰もが成仏すると考えられていたと言います。
悪いことをしていると地獄に堕ちる、というのは、私たちが現世で悪いことをしないための戒めであって、実際にはだれもが成仏するというのです。
成仏とは、悟りを得ることですから、煩悩を解脱してすべてから救われるということです。
キリスト教では、神に裁かれて天国か地獄にいくことになりますし、インド仏教にしても、そう簡単には救われません。
しかし、日本では誰も彼も救われて成仏するのです。

この死後の平等観こそが、日本社会の根底にあると、内山さんは言うのです。
私流に解釈すれば、死後の平等観はすべての存在をつなげるものです。
つまり死後の世界からみれば、すべての人もまた平等であり、一見、幸不幸に見えるようで、それは一時の現われでしかないというわけです。
さらにいえば、山川草木すべてがつながっていると考えられます。
さらにさらにいえば、生命は非生命的存在にも生命があるということです。

論理が飛躍しすぎて、何を言っているのかわからないかもしれませんが、死後の世界では誰も彼も、あるいは何もかもが、同じ仏になれるということです。
ここで「仏」を「自然」に置き換えてみればどうでしょう。
そうすれば、素直に受けいれられるはずです。
日本の仏教の真髄がそこにあるような気がします。

今日は、寒々とした日です。
あまりの寒さに、コタツを出そうと思ったほどですが、娘に「まだ早い」と怒られました。
そういえば、節子がいた頃も、毎年、このようなやりとりがありました。
私はコタツが大好きなのです。

寒さを我慢して、机で窓の外の灰色の空を見ていたら、なぜか内山さんの死後の平等観のことを思い出しました。
あまりにもおかしくなった現世よりも、彼岸の方が楽しいだろうなと、ふと思ったりする、寂しい1日でした。

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2010/10/20

■節子への挽歌1144:「佐藤さんもお元気で」

節子
今日、半田さんが学生たちと一緒に湯島に来てくれました。
いろいろと楽しい話をした後、帰り際に半田さんが言いました。
「佐藤さんもお元気で」

節子が胃の摘出手術をした後のことだったと思いますが、私もいない間に、そして節子が寝ている間に、病室のベッドの枕元にお見舞いが置かれていたことがあります。
半田さんが見舞いに来てくれていたのです。
再発して自宅療養を始めた頃に、やはり突然に半田さんから「いま我孫子です」という電話があり、お見舞いに来てくれました。
実は、節子が病気になってからのことは、私の記憶の中ではかなり曖昧になっています。
ですから、上記の2つのことは記憶違いかもしれませんが、半田さんが2回にわたってお見舞いに来てくれたのは、たぶん間違いない事実です。
半田さんは不思議な人です。

半田さんとは、彼が大学院の学生だった頃からのお付き合いです。
当時から実に不思議な存在でした。
その半田さんが、帰り際に、「佐藤さんもお元気で」と言ったのです。
まあ、なんでもない別れ際の挨拶だったのかもしれませんが、半田さんから言われると、これから久しくまた会えなくなるのかもしれないという気がしないでもありません。

実は、そう言われた時に、私が元気でなくなることを見越した言葉だと感じたのです。
なぜ自分でそう思ったかはわかりませんが、その時は、「ああそうなんだ」という気がしたのです。
他の人が言っても何とも思わなかったかもしれませんが、半田さんが言うと奇妙に気になります。

半田さんにはまた会うことがあるのでしょうか。
お互いに何もなければいいのですが。

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2010/10/19

■節子への挽歌1143:飛鳥大仏の前での秘め事

節子
今年は平城京遷都1300年なので、奈良や飛鳥がよくテレビで取り上げられます。
奈良も飛鳥も、節子との思い出がたくさんあるので、あまり見ないようにしていますが、時々、ついつい見てしまいます。
先日は、飛鳥寺の紹介番組を見てしまいました。

飛鳥は、私の好きなところでした。
ですから節子と付き合うようになって、かなり早い時期に飛鳥寺にも行った記憶があります。
飛鳥大仏の前で、私は蘇我氏の話を得々としたものです。
飛鳥も好きなら、蘇我氏も物部氏も私は好きでした。
ちなみに私には蘇我氏も物部氏もなぜか同族に思えていました。
蘇我王朝の前には物部王朝があったというのが、当時の私の考えでした。
古代史に関する本を読み漁っての、勝手な仮説でしたが、自分の仮説を立てて古代史を読むととても面白いのです。
しかし、誰かに話したくても、そんな素人の思いつきは誰も聴いてはくれません。
幸いに節子は歴史音痴でしたので、私の説を何の疑いもなく素直に聴いてくれました。
私も、いい加減な説を得意になって話せたわけです。
そんなわけで、節子の古代史の知識は、かなりおかしなものになっていたはずです。

実は飛鳥大仏の前で私がしたことは、飛鳥の歴史を語っただけではありません。
当時はまだ観光客も少なく、大仏の鎮座する堂宇には私と節子だけしかいませんでした。
それでついつい大仏の前で節子を抱きしめることを思いついたのです。
日本最古の大仏の前で、節子との愛を表現するのは最高のアイデアだと思ったからです。
ところが、節子は、仏様の前でそんな不謹慎なことはできないと拒否するのです。
節子はそういう人であり、私は逆にそういう人でした。

節子は、いつまでもこの時のことを思い出しては、笑いながら私の不信心をからかいました。
飛鳥大仏を見ると、いつもそのことを思い出します。

こんな話をできる唯一の相手の節子もいなくなってしまいました。
二人の秘め事(?)を挽歌で書いてしまったので節子はきっと怒っていることでしょう。
あの時、拒否された、せめてもの腹いせです。
彼岸に行って、同じような状況になったら、今度は私が拒否しようと思います。
そういう場面が巡ってくるといいのですが。

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2010/10/18

■節子への挽歌1142:がんになりたいわけではないのですが

書こうか書くまいか迷ったのですが、書くことにしました。
親切な行為も受け取り方によっては素直に受け取ってもらえないことがあるという話です。
素直に受け止めなかったのは、実は私なのですが。

ある人がメールで、「がんにならないために」という講演録を送ってきてくれました。
私があまり健康診断に行かないことを気遣ってのことなのだろうと思います。
しかし、私はこの講演録を読むことはありません。
というよりも、正直に言えば、この人の無神経さに少し苛立ったほどです。
親切に送ってきてくれたのに、何という身勝手さだと思われるかもしれません。
しかし、そういうこともあるのです。

愛する妻を見送ってしまった者として、私はがんになるのを避けたいという気持ちはほぼ皆無なのです。
このあたりはなかなか微妙なのでわかってはもらえないかもしれませんが、がんになることが悪いとすれば、がんになった節子の立場がないような気がしてならないのです。
ひがみ根性といわれれば、それまでの話なのですが。

この挽歌を読んでいてくださる方から、メールが届きました。
お会いしたことありませんが、夫をがんで見送った方です。
その方には、がんを完治された先輩がいるそうですが、ご主人の闘病中は、完治された人がいるということが支えになっていたそうです。
ところが、私と同じく、その方も伴侶を見送ることになってしまったのです。
先日、その先輩の方のところに行かれたそうですが、こんなメールを送ってきてくれました。

帰りの車中で 何が私たちは間違っていたのかと もうなん百回も 自問したことが頭をもたげ 涙 ぼろぼろでした。
「私たちは何を間違ってしまったのか」
私も繰り返し自問したことです。
いくら自問したところで、答があるはずもありません。
しかし、今でも「がんを治す」とか「がんの予防」とかいう文字を見ると必ずそれを思い出します。
だから私はがんを予防しようなどとは思いません。
あまり論理的ではないと思われるでしょうが、それが素直な私の今の気持ちなのです。
もちろんだからといって、がんになりたいわけではありません。
私以外の人にはがんになってもらいたくないとも思っています。
しかし私に限っていえば、がんになった節子を否定するような気がして、自らはがんの予防は一切する気はないのです。

どこか偏屈で矛盾しているような気もするのですが、正直な気持ちなので仕方ありません。

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2010/10/17

■法人税減税とアンチビジネス論

法人税を減税しないと日本の企業は競争力を失って、日本の経済はダメになるという議論が通説になっていす。
私にとっては、一昔前の経済学(生活のためではなく産業のための経済学)の発想だと思いますが、それは別にしても、最低賃金の上昇も中小企業をだめにするなどということまでがもっともらしく語られていることにはいささかの怒りを感じます。
そういう発想をしていったら、所詮は人間はいらない仕組みになるでしょう。
何のための経済か、と言うことになります。

法人税を下げ、労働分配率を下げなければ成り立たないような企業は、いったい誰のための企業制度かです。
それでは出資者のための企業制度でしかありません。
その仕組みそのものがいま問われているのです。
フェアトレード論がまことしやかに語られていますが、こんな発想で企業を考えている人のフェアトレード論は所詮は金儲けのための手段でしかないでしょう。
どこか狂っているとしか言いようがありません。

ではどうするか。
私たちの生き方も含めて、発想を変えなければいけません。
私は年収200万円程度ですが、とても豊かに暮らしています。
もちろんだれでもが200万円で暮らせるわけではありません。
しかし逆に年収数十万円でも私より豊かに蒸らしている人たちも知っています。
お金の多寡は決して豊かさの唯一の尺度ではないのです。

発想の出発点を変えてみると、まったく違った経済や豊かさが見えてきます。
それにもとづいて、働く場の仕組みや企業のあり方、あるいはセイフティネットを考えてみる時期に来ているように思います。

いずれにしろ、いま世間にはびこっている経済の常識や通説の呪縛から自由になることが大切です。
そうすればきっとそれぞれの人にとっての生き方が見つかるはずです。
そして新しい経済の仕組みや産業のあり方が見えてくるだろうと思います。
その視点で考えると、環境問題も福祉問題もまったく違って見えてきます。

法人税減税はこれまでの経済の矛盾を拡大するだけで、なんの解決にもならないような気がします。

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■節子への挽歌1141:三川内焼

節子といつか行きたかった場所のひとつが、長崎の三川内です。

今朝、早く目が覚めてしまいました。
テレビをつけたら、その三川内町の紹介番組が放映されていました。
先週見た「こんなステキなにっぽん」三川内町の再放送でした。
長崎県佐世保市の三川内町は白磁器の三川内焼の町です。
隣にある有田焼よりも、歴史は古いはずです。
白い磁肌に青い顔料一色で色付けするのが三川内焼の特徴です。
「唐子」の絵柄が有名ですが、見ているとほのぼのするデザインです。
番組は、そこで伝統の技を受け継ぐ家族を中心に三川内焼きを紹介していました。
先週も見たのですが、もう一度見てしまいました。

私が三川内焼の窯元たちと一緒に、陶芸の里構想に取り組んだのは、会社を辞めてから2年経った頃です。
どういう縁か思い出せませんが、佐世保市の職員から、その陶芸の里構想を手伝って欲しいといわれたのです。
何回も通い、窯元たちと話し合いました。
その時の思い出が、テレビを見ていて次第に蘇ってきたのです。

テレビでは当時、よく話し合った中里勝歳さんと里見晴敏さんが登場していました。
お2人とも息子さんに技を継承しつつあり、幸せそうな落ち着いた表情になっていました。
いまの三川内焼がどういう状況かも、お2人の表情から伝わってきました。

節子は陶器が好きでした。
いつか三川内にも行きたいと思いながらも、それは60歳を過ぎてからの旅にしようと思っていました。
一時期、まちづくりに関わらせてもらっていたので、沖縄から青森まで、私には友人知人がそれなりにおり、そうした人たちを訪ねる旅ができればと考えていたのです。
しかし、今から思えば、実に身勝手な考えでした。
人生はそんなに思い通りには行かないのです。
節子はいつも、行ける時に行くのがいいと言っていましたが、その言葉に従っていれば、私たちの人生も変わっていたかも知れません。

テレビを見ながら、懐かしい思い出と共に、そうした悔いがわいてきてしまいました。
何を見ても、何をしても、節子が必ず登場します。
困ったものです。

その時に平戸松山窯の中里さんからいただいた、唐子模様の珈琲カップで、今日は節子に珈琲を供えようと思います。

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2010/10/16

■節子への挽歌1140:天真

節子
今日、黒岩さんの講演会に行ってきました。
体調の悪さを微塵も見せることなく、2時間の講演を見事に終えました。
内容のある、そして黒岩さんならではの、とても良い講演でした。
黒岩さんには見えない場所に座ろうと思っていたのですが、藤本さんが黒岩さんの正面の席を取ってくれていたので、黒岩さんがよく見える席でした。
話を聴きながら、さまざまな思いが頭をめぐりました。

幸徳秋水と菅野すがとが内縁関係になった時の話題がでたところで、堺利彦の妻の為子の話が出ました。
「パンとペン」の中で、私の印象に残ったところの一つでした。
黒岩さんは、講演ではそこはサラリと話しましたが、本の中で私の心に残ったのは「天真」という言葉です。

菅野すがとの関係で幸徳秋水は仲間たちから激怒されます。
しかし、当時、獄中にいた堺は妻にこう頼むのです。
「幸徳の心労はよく分かるが、あなたから「天真」を返しておくれ」

為子は、その言葉に関して、こう書いています。
「私たち二人の結婚に際して、多くの反対者の中から「天真にやれ」と励ましてくれた幸徳氏へ、そのままの言葉を私から返せ、といふのであつた」

黒岩さんはこう書いています。
堺は秋水の気持ちを思いやり、自分が再婚したときに受けた批判も思い出して為子にこういったのだろう。他人はいいたいことをいうが、偽りのない天然自然のままでやれ、と秋水を励ましたのだ。

節子と私の結婚も、実は周りからはいろいろと噂されました。
突然の結婚、しかも結婚式さえ挙げずに同棲生活となれば、当時はまだなにかと指差される時代でもありました。
ものすごい大恋愛という噂もあれば、いささか誹謗にも感じかねない噂もありました。
そもそも最初はそれぞれの両親からもあまり歓迎されていなかったのです。
しかし節子の両親は私と会ってすぐに、私の両親も節子に会ってすぐに、意を翻して喜んでくれました。
私たちは二人とも「天真」だったからです。
しかし、節子は親戚の人たちからはかなり厳しい批判を受けたようです。
私たちの「天真さ」が、そうした批判も解きほぐし、私の評価がまあそれなりのものになるまでには、それなりの時間がかかったはずです。
その間、節子はもしかしたら辛い思いをしたかもしれませんが、まあ節子も「天真」でしたので、あんまり辛くなかったかもしれません。
パンとペンを読んで、「天真」と言う言葉に出会った時には、その頃のことを思い出したのです。

黒岩さんは気のせいか最後に少し涙ぐみました。
それと同調するように、私も突然に涙が出てしまいました。
黒岩さんの涙はたぶん講演を成し遂げた歓びの涙だったと思います。
それほど素晴らしい講演だったのです。
私の涙は、節子に聴かせてやれなかった無念の涙でもありました。
あれほど黒岩さんの活躍を楽しみにしていた節子がいないことが無念でした。

講演が終わった後、ジュンがつくったマリアのタイルを黒岩さんに差し上げました。
マリアが黒岩さんを守護してくれるように祈りました。
阿修羅とマリアの相性がいいといいのですが。

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2010/10/15

■節子への挽歌1139:宇宙人説

節子
髪の毛が黒くならないのでその商品をくれた藤本さんに本当に黒くなるのかと質問したら、普通は黒くなる、黒くならない佐藤さんは普通の人間ではないのではないか、と言われてしまいました。
ともかく他の人の場合は、黒くなるのだそうです。
私が普通の人でないとはどういうことでしょうか。
宇宙人とでもいうのでしょうか。
私からすれば、そう言う藤本さんこそ、普通の人ではない不思議な人ですが。

そういえば以前、鈴木章弘さんが佐藤さんはUFOに誘拐されたことがあるはずなので、その時の話を聴きたいと何回も言われたことがあります。
私にはUFOに誘拐された記憶はないのですが、何回も言われていると人はその気になってしまうもので、そうかなと思ったこともないわけではありません。
しかし、私からすれば、そう話している鈴木さんこそ、宇宙から来たような気がします。
最初に会った時の鈴木さんは、若い仙人のようでした。
その後、4か月もインドのアシュラムに行っていましたが、実はインドではなく故郷の星にもどっていたのかもしれません。
藤本さんと同じく、これまた不思議な人です。

とまあ、こう考えていくと、私の周りには不思議な人が少なくありません。
一説によると、すでに地球にはかなりの数の宇宙人が住んでいるそうです。
私は一応、その説を否定できずにいますが、藤本さんも鈴木さんも宇宙人に違いありません。

しかし、お2人が宇宙人だとすると、私が宇宙人でない証拠もありません。
自分のことを一番知らないのは自分だと言います。
藤本さんと鈴木さんが、自分が宇宙人だと気づいていないように、私も気づいていないのかもしれません。
2人は、なんとなく直感的に私に同じ仲間のにおいを嗅ぎ取っているのかもしれません。
そうであれば、3人とも宇宙人と言うわけです。
そして私の茶髪は黒くならないことになります。

節子は国際結婚どころが宇宙人と結婚していたわけです。
苦労したはずです。

ところで、藤本さんも鈴木さんも節子のことをとても心配してくれていました。
ちなみに2人とも、とてもスピリチュアリティの豊かな人なのです。
節子が病気中、鈴木さんはよくクッキーを送ってきてくれました。
節子が一時ちょっと回復しサロンを再開した時、藤本さんはよく参加してくれました。
節子が逝ってしまった後、藤本さんは大きな花束を贈ってくれました。
鈴木さんは、しかし、節子が逝ってしまった後はなかなか会いにきてくれません。
なぜでしょうか。
手紙はよく届くのですが。
鈴木さんに会わなければいけません

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2010/10/14

■「党議拘束があるから議員はほんと楽なんですよ」(

昨日の朝日新聞に名古屋市長の河村たかしさんのインタビュー記事が出ていました。
その最後にこんな発言がありました。

党議拘束があるから議員はほんと楽なんですよ。互いに突出しないように守りあっている。それで自民、民主のどっちが勝つかばかりやっている。国会はいつまでたっても団体戦から抜けきれていない。税金で身分保障されているのに。絶対におかしい」
河村さんは国会議員時代から、党議拘束には異議を唱えていた人です。

私も党議拘束ほどおかしな制度はないと思っています。党議拘束とは、少数者が多数を拘束するということにつながります。
そもそも代議制とは、多数決方式を巧みに使いながら少数者の支配を正当化する仕組みになりがちな制度ですが、党議拘束はさらにその少数者を絞り込む働きをします。
とんでもない制度だと私は思いますが、なぜかあまり問題になりません。
党議拘束制度の下では、サルでも国会議員が務まるでしょう。

私は20世紀は組織発想の時代、21世紀は個人発想の時代と考えています。
組織原理がパラダイム転換したのです。
個人が組織の従属物だった時代から、個人が組織の主役にとなっていく時代です。
その時代における組織は、常にダイナミックに生きています。
つまり状況に合わせ変化します。
組織は常に変化(へんげ)する存在になるのです。
選挙でも政党を選ぶなどと言うこともなくすべきです。
よく世論調査で何党を支持しますかという項目がありますが、真面目に考えていくとそう簡単には答えられないはずです。
政治政策分野は幅広く多様であり、そう簡単ではありません。
無党派層が多くなったということは、それだけ政治課題が進化し多様になったことと無縁ではないでしょう。
選挙の時に、何党を選ぶかは決められても、日常的に何党支持とは私にも言えません。

河村さんの減税主義にも共感できます。
政治はそんな難しい話ではないのです。
無駄遣いさせたくないのなら入りを制するしかないのです。
そんな簡単なことがなぜ通らないのか。
それは政治を語る人たちが、自らは汗もかかず、現場にも触れずに、組織の従属物(人間とはいえません)になっているからです。

党議拘束があるから国会議員は楽だと河村さんは言っていますが、実は私たちのほとんどすべての人もまた、組織拘束に依存して楽をしているのかもしれません。
しかし、そこから離れると、世界は面白くワクワクすることが多いです。
まあ楽ができずに、とても疲れますし、経済的には辛くなるかもしれませんが。

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■節子への挽歌1138:紅葉の思い出

節子
紅葉の季節になりました。
節子の病状が少し回復してから、各地の紅葉狩りに節子と一緒に出かけました。
そのせいか、節子がいなくなってからは紅葉も見たくなくなっていました。
紅葉時の箱根に行った時には、下を向いて歩いたほどです。

しかし3年して、ようやく紅葉への抵抗もなくなってきました。
「時間が癒すことがない」と言いきっていましたが、時間が癒すこともあるのですね。
もっとも、これを「癒し」と言うべきかどうかは少し迷いますが。

紅葉といえば、思い出すのは節子と行った京都高尾の神護寺です。
いつのときだったか思い出せませんが、実に見事な紅葉でした。
節子がまだ病気になる前でした。

高雄には、高雄、槇尾、栂尾の三尾と呼ばれる紅葉の名所があります。
節子と結婚した頃、よく京都や奈良を歩きましたが、京都で私が好きだったのは、この三尾です。
そのコースの一番奥のほうには、たしか北山杉の森が見えていたような気がします。
初めてみた北山杉の風景に感激したのを覚えています。
そこから節子と2人で高雄まで歩いた記憶があります。
私たちは、よく歩きました。
歩きながらよく話しました。

私も節子も、一番好きだったのは栂尾の高山寺でした。
その大きな石畳をはっきりと覚えていますが、最後に2人で三尾を訪ねたときは秋だったせいか、ともかく神護寺の鮮やかな紅葉の印象が強く残っています。
その高山寺にも神護寺にも、2度と行くことはないでしょう。
行けば辛くなることはわかりきっています。

節子と一緒に行った最後の紅葉は、もしかしたら東京の高尾山かもしれません。
私のパソコンの画面は、その写真になっています。
実は高尾山は結婚する前に節子と一緒に行った最初の東京の山でもあるのです。

今年は思い切って、むすめたちと高尾山に行こうかと思い出しています。
別に紅葉が見たいわけではないのですが、私がシェアしている節子の思い出を娘たちにも伝えておきたくなったからです。
今年の紅葉はとてもきれいなそうですし。
もちろん、節子の美しさには勝てないでしょうが。

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■多様な人たちを統合するための鍵

多様な人たちを統合するための鍵が「利益」だった、とトクヴィルが書いていることを知りました。
「アメリカの民主主義」を書いた、あのトクヴィルです。
最近出版された岩波新書の「トクヴィル 現代へのまなざし」(富永茂樹著)で知ったことです。

移民国家として、多様な人々を束ねて、白紙から国家をつくりあげたアメリカの国民統合の核は「金銭」だったというわけです。
なるほどと思いました。
アメリカとヨーロッパの違いは、そこにあるのかもしれません。
国家が生まれていく時間の長さがまったく違うのです。
アメリカが金融万能の経済を発展させてきたのも頷けます。

金銭の論理は明確です。
多様な意識や欲望を一つの尺度の元に組織化してしまいますから、その組織は単純な論理で動きやすくなり、それゆえに力を強めます。
そして世界を席巻したともいえます。
トルーマンが「開発戦略」を打ち出し、ドラッカーが「顧客創造」を言いだした意味がよくわかります。

しかし、その金銭が、いまや統合どころか分裂を生み出しています。
世界の秩序を壊しかねないところまできています。
しかも、顧客として育てられた生活者たちは、自立するほどの生命力を失っています。
世界は市場となって、地球全体が浪費されだしているといってもいいでしょう。
トクヴィルは19世紀に、そのことを実感していたのかもしれません。

トクヴィルはまた、フランス革命での歴史の断絶を否定しているそうです。
フランス革命以前のフランスは繁栄していて、革命につながるような国民の不満が存在する状態にはなかった、とトクヴィルは書いているそうです。
しかも、絶対君主政のもとで中央集権化が進行し、貴族の特権は失われ、平等が進展していたというのです。
そして、それが故に、革命は起こったというのです。
つまり社会は連続しています。
革命という言葉が、歴史の非連続観(感)を生み出したわけです。

そう考えるとさまざまなことがすんなり理解できます。
中学時代から私が持っていたフランス革命への疑問が、ようやく氷解しました。

書物から得る知識も馬鹿にしてはいけないと、改めて思いました。

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2010/10/13

■節子への挽歌1137:訃報

節子
訃報が相次いで届きます。
しかし、なかなか反応できずにいます。
訃報もまた、一人で受け止めるのはそれなりに辛いものがあります。
それに、この歳になるといつ自分が訃報の主役になるかもわかりません。
他者の訃報は自らの訃報に重なって感じられます。

新聞に掲載される訃報記事はよく読まれる記事の一つだといわれていました。
最近はどうでしょうか。
たしかに有名人の追悼記事などはよく読まれるでしょうし、テレビで故人を偲ぶ番組も視聴率は高いと思われます。
人の死は、それだけ大きな意味があるということでしょう。
人の死は自らの生を改めて実感させる意味があるのかもしれません。

自らがいなくなった後、自分のことをみんながどう話すのかは予想もつきません。
節子は、私がこうして毎日節子のことを語っているとは思ってもいなかったでしょう。
私自身、思いもしませんでした。
しかし、こうして毎日書き続けていると、節子とのつながりが続いているような気がします。
逆に言えば、書くのをやめた途端に、節子との絆が切れてしまうような気がしてきています。
だからもはやこの挽歌はやめられなくなっているのです。

久しく会っていない人の訃報が届くことがあります。
一瞬にしろ、その人の冥福を祈ります。
それは同時に、その人との関係が、それこそ走馬灯のように頭に浮かんできます。
ある意味では、その人との絆を、そこで確認することになります。
久しく会っておらず、おそらくこれからも会うことのない人の場合は、その人が現世にいようが彼岸にいようが、現実的には何の変化もありません。

人が彼岸に行くとはどういうことなのか。
最近、訃報が届くたびに、そんなことを思います。
不思議に悲しい感情が浮かぶことはあまりなくなってしまいました。

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2010/10/12

■節子への挽歌1136:まだ髪の毛が黒くなりません

節子
最近また頭の調子があまりよくありません。
降圧剤をきちんと飲んでいないせいかもしれません。
最近は半錠ずつしか飲んでいないのです。

今日、2か月ぶりに遠藤医師のところに行きました。
また薬がなくなったの、と顔を見るなり言われました。
前回も、薬がなくなってから10日目に行ったからです。
今回は半錠ずつ飲んでいたので、薬はまだ残っていましたが。

まあ、それはいいとして、血圧を測定しながら、遠藤さんは私の髪の毛をチラチラ見ているのです。
そのせいか、今日は左手と右手を交互に3回も測定されてしまいました。
つまり遠藤さんは、私の頭の状況を左右から見たと言うわけです。
遠藤さんは私の髪の毛が茶色に染まっているのに気づいたに違いありません。

実はまだ私の髪の毛は茶髪系です。
白髪染めをくれた人は、使っていると黒くなるというのですが、なかなか黒くなりません。
よくいえば、栗毛色なのですが。
口の悪い娘は、犬みたいだと言いますが、そう言われると本人としても、いささか気になります。
染め始めなければよかったなと思わないこともないのですが、もはや後には引けません。
それにこれを提供してくれた人が、とても良い人たちで、彼らの期待にも応えなければいけません。
もっとも、その人たちも先日会ったら「茶色ですね」と言っていました。
しかし、遣い続けると黒くなるのだそうです。
友人の言葉は信じなければいけません。
しかしまあ、彼らも笑いながらそう言っていたのがちょっとひっかかりますが。

でいま気づいたのですが、頭の調子が悪いのは血圧のせいではなくて、この白髪染めのせいかもしれません。
事実、今日、遠藤さんの血圧測定は正常でした。
にもかかわらず、遠藤さんはなぜ3回も測定しなおしたのでしょうか。

人は疑い出すときりがありません。
堺さんが言うように、人の言葉は信じなければいけないのです。
でも先行きがちょっと不安ではありますが。

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■円高は国民にとってよくないことなのか

円高がまたさらに進みだしました。
円高は日本の産業の競争力が低下するので、どうにかして歯止めをかけたいという議論が多いですが、私にはそれはまったく理解できません。
各国は自国通貨が安くなることを望んでいるようですが、これもまったく理解できません。
価値が下がればいいものを基軸にしている経済とは一体何なのでしょうか。

円高は、日本経済が健全である証拠であって、喜ぶべきことです。
私たちが働くことへの評価が高まったともいえるでしょう。
金銭での評価は意味がないという考えもあるでしょうが(実は私も基本的にはそう考えていますが)、評価は低いよりも高い方がいいと、素直に考えるのがいいでしょう。
にもかかわらず、それによって日本の経済がダメッジを受けるというのは、どういうことでしょう。
日本の産業構造が輸出に依存しているからだとみんないいます。
その理屈はわかりますが、為替レートによって輸出が伸びたり減ったりするのも、素直には理解できません。
輸出振興のために中国は元の切り下げを拒否していますが、これは単に自国民を低コストで働かせるだけの話ではないかという気もします。

まあ正直、私には全体像がつかめません。
管理通貨制度というのは、私の理解を超えているのです。
でも、価値が高まったら素直に喜べるようなものを基軸にした経済システムはないのでしょうか。

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■みんなが安心して暮らせるシェルターを考える公開フォーラムへのお誘い

今日は、私が関わっている集まりへのお誘いです。
11月5日(金曜日)の午後、みんなが安心して暮らせるシェルターを考える公開フォーラムを開催します。
「シェルター」というとイメージが狭められがちです、実際には、「みんなが安心して暮らせる社会を考える公開フォーラム」です。

主催するのは「自殺のない社会づくりネットワーク・ささえあい」です。
私のホームページには書きましたが、今春、名古屋で自殺を思いとどまった人の暮らしを支える活動に取り組んでいる人たちに集まってもらって、シェルターネットワークシンポジウムを開催しました。
集まったのは、主に、東尋坊で自殺防止活動をしている茂さんが思いとどまらせた人たちの、その後の生活を支援している人たちです。
住む場所や働く場所など、まさに物理的な「シェルター」を提供してくれています。
そういうシェルターが増えていけば、自殺を取り巻く状況は大きく変わっていくはずです。
それに関しては、昨年開催した「自殺多発場所での活動者サミット」で話し合いました。

ネットワークでは、その後、毎月、交流会を開催していますが、そこでの話し合いの中で、自殺のない社会をめざすには、「シェルター」を広い意味で捉えて、日常的な支え合いや人のつながりを育ていく仕組みや場が大切だということになってきました。
そこで今年は、みんなが安心して暮らせる「シェルター」をテーマに、自殺のない社会を目指して、私たち一人ひとりができることを考えるフォーラムを開催することになったのです。

フォーラムの案内は私のホームページにあります。
さまざまな立場の人たちの参加が、このフォーラムをより実りあるものにしていくと思いますので、ぜひ多くのみなさまのご参加をお待ちしています。
会場でお会いできればうれしいです。

○日時:2010年11月5日(金曜日)午後1~5時(12時半開場)
○会場:日本財団大会議室(東京都港区赤坂1-2-2)
○参加費:無料
○申込先:メール: sasaeai@gmail.com 
  お名前と所属、連絡先を書き添えてお申し込みください。

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2010/10/11

■節子への挽歌1135:意味のない1日

節子
誰かに会っているといいのですが、2日も続いて誰かに会う予定のない日ができてしまうと気分がダウンしてしまうことが最近わかってきました。
そのくせ、誰かに会うのはなんとなく億劫な気もするのですから、奇妙な話です。

この連休は集まりなどの予定もなく、2日間、在宅でした。
昨日はめずらしく読書三昧でしたが、今日はすることがありません。
「しなければいけないこと」はあるのですが、暇な時には、そんなことはしたくありません。
節子もよく知っているように、私は「しなければいけないこと」は、「しなければいけなくなるまで」放っておくタイプなのです。
節子にはいつも注意されていましたが、その生き方は直りません。
それで今日も、何かをするでもなく、しないでもなく、1日を過ごしてしまいました。
こうした日は、夕方になると実に虚しくなります。
今日は意味のない1日だったと思えてきます。
節子がいた頃には、意味のない日など1日たりともなかったのに。

節子がいなくなってから、どうも時間をうまく使うことができなくなってしまったようです。
まだまだ立ち直れていないのかもしれません。
困ったものです。

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2010/10/10

■「人を信ずれば友を得、人を疑へば敵を作る」

黒岩比佐子さんの最新作「パンとペン」を読みました。
400ページを超す厚い本ですが、読み出したら面白くて、一気に読んでしまいました。
堺利彦の評伝ですが、明治から大正にかけて生きたさまざまな人たちのエピソードを通して、イキイキした時代の雰囲気が伝わってくる、見事な作品です。
本の紹介はホームページに載せました。
そこにも書きましたが、堺利彦の残した言葉をぜひ紹介したいと思います。

その言葉は、「人を信ずれば友を得、人を疑へば敵を作る」です。
これは私の信条でもあります。
しかし堺利彦と違い、私はこれを貫徹できていません。
今もって、時に人を疑うことがあるのです。
最後まで人を信じきることの難しさは身をもって体験しています。

それに、人を信じたが故に友を失ったこともあります。
私が去ったのではありませんが、先方が去りました。
信じていた私を信じきれなかったのかもしれません。
人を信ずるとは難しいことです。
しかし、これからも「人を信ずること」を、生きる基本に置くつもりです。
それが一番私には生きやすいからです。
それに、去ったとしても「敵」にはなりません。

「人を信ずれば友を得、人を疑へば敵を作る」
この生き方が、もっともっと広がれば、みんなもっと暮らしやすくなるでしょう。
しかし、残念ながら、今の日本は「人を疑うこと」からすべて出発します。
生きにくい社会になるのは当然と言っていいでしょう。

たしかに、会ったこともない人を信ずるのは難しいかもしれません。
しかし、自分の周りにいる人を信ずることはできるはずです。
まず隣人を信じましょう。
そうすれば、少しずつ生きやすい世界が広がります。
そして100年もしたら、きっと世界から戦争はなくなるでしょう。

ぜひはじめてみてください。

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■節子への挽歌1134:阿修羅

阿修羅は「命を与えるもの」という意味のサンスクリット語を語源とする、仏教の守護神です。
高校生の頃、東京国立博物館で帝釈天の像を見て、私はかなり惚れこんだのですが、帝釈天と戦うイメージが強いことから阿修羅には興味がありませんでした。
それを一変させたのは、萩尾望都の漫画「百億の昼と千億の夜」です。
そこに登場する阿修羅は、興福寺の修羅像そのものでした。
以来、その阿修羅像が私の中に完全に定着し、帝釈天は退屈な存在になってしまいました。

阿修羅の世界は、仏教では、「常に闘う心を持ち、その精神的な境涯・状態の者が住む世界」とされているようです。
まさに修羅場です。

今日、黒岩比佐子さんから送られてきた「パンとペン」を読みました。
素晴らしい作品です。
その紹介は、私のホームページに載せました。

読みながら、常に思い出していたのが、なぜか阿修羅です。
堺利彦の評伝である「パンとペン」にはもちろん阿修羅は出てきません。
しかし、なぜか時空を超えた宇宙を飛び回っている阿修羅が、読んでいる私の頭と心の中を飛び回るのです。
読み終わって気づいたのですが、興福寺の阿修羅は黒岩さんに似ています。
やさしさと怒りを秘め備えた穏やかな顔。

阿修羅は「命を与えるもの」です。
「命を与えられるもの」ではないのです。
しかし、自らに「命を与えるもの」でもあるのです。
「百億の昼と千億の夜」に出てくる阿修羅は不死身でした。

黒岩さんの今回の本は、間違いなく歴史に残るでしょう。
この本にも、黒岩さんは命を与えました。
それ以上に、本書に出てくるたくさんの人たちにも命を与えました。
阿修羅です。

そう思いながら、節子もまた阿修羅だったと、気づきました。

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2010/10/09

■節子への挽歌1133:冬の時代

節子
黒岩比佐子さんから最新著作の「パンとペン」が送られてきました。
まずは節子に報告させてもらいました。
今夜は節子の前においておくので、必ず読んでください。

黒岩さんが堺利彦のことを書くという話は前にお聴きしていました。
しかし、なぜ堺利彦なのかは教えてくれませんでした。
本書の帯に書かれた「あとがき」からの抜粋でわかりました。

堺利彦が幸徳秋水と共に日露戦争に反対して設立した平民社のことは、これまでに多くの歴史書が取り上げている。一方、堺が社会主義運動の「冬の時代」を耐え抜くために設立した売文社は、ほとんど無視されているに等しい。だが、私は「売文社」という語の強烈なインパクトに惹きつけられた。
黒岩さんらしい「はじまり」です。
黒岩さんのことですから、膨大な資料と格闘しながらの著作活動だったと思います。
それを彷彿させる重量感のある本になっています。
黒岩さんのこだわりも、さまざまなところで感じられます。

しかし、本書を書き上げる直前に、黒岩さんは突然、膵臓がんを宣告されたのです。
その知らせを受けた時には、私は応えようがありませんでした。
何も話せない、何も書けない、まさに金縛りの状況に陥ってしまいました。
黒岩さんを元気づける方法が思いつかなかったのです。
黒岩さんからどう思われてしまったかわかりませんが、ともかく反応できなかったのです。
その後も、共通の友人からお見舞いに行こうと誘われましたが、行けませんでした。
節子がいたら、2人ですぐにでも跳んで行ったでしょう。
しかし、節子のいない今は、とても行けません。
友人は、私の考えすぎだと言いますが、ともかく行けなかったのです。

先日、黒岩さんのトークショーに行き、楽屋で黒岩さんに会いました。
とても元気そうで、あの気丈な黒岩さんがいました。

黒岩さんは節子をよく知っています。
節子の見舞いにも、節子との別れにも、節子への献花にも来てくださっています。
節子は黒岩さんの活躍をとても楽しみにしていましたし、その頑張り屋さんぶりにもいつも感心していました。
ですから、本は先ず節子に報告し、読んでもらうことにしたのです。

黒岩さんは、自らの病気のことをブログに書いています

黒岩さんは、本書のあとがきには、こう書いています。

はたして最後まで書けるだろうか、という不安と闘いながら、なんとかここまでたどりついた。死というものに現実に直面したことで、「冬の時代」の社会主義者たちの命がけの闘いが初めて実感できた気がする。いまは、全力を出し切ったという清々しい気持ちでいっぱいだ。

私の「冬の時代」はまだ続きそうだが、どんなに苦しいときでも、堺利彦のようにいつもユーモアを忘れず、楽天囚人ならぬ「楽天患者」として生きることで、きっと乗り越えていけるだろうと信じている。

黒岩さんならそうできるだろうと、私も心底思います。
黒岩さんには、まだまだ書いてほしいです。
本書も、堺利彦に関する黒岩さんの思いの、おそらく一部でしょう。
まだまだ書きたいことが山のようにある。
書いてほしいことが山のようにある。

毎朝、節子と一緒に、黒岩さんの活躍を祈っています。
阿修羅像を思い出しながら

(追記)
ホームページに「パンとペン」の紹介記事を書きました

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■私が垣間見る若者の世界

最近、24歳の若者と一緒にある活動に取り組んでいます。
彼は実に明るく、積極的で、自分からいろいろな役目を引き受けてくれます。
こうした若者が最近は多いような気もしますが、私の友人たちは、お前の周りに集まる若者は特別なのだといいます。
大学教授の友人たちは、今の学生を知っているのかとさえいいます。
湯島には、学生もよく来ます。
たしかに、いまの大人たちを反映しているような気はしますが、いまの大人たちよりは素直に生きています。

さて冒頭の若者です。
彼は引きこもりだったと、あっけらかんと言います。
そのためか、大学には行っていないのです。
しかし私が見る限り、湯島にやってくる大学生の多くよりはよほどしっかりしています。
それに、なによりも明るく前向きです。
この若者が引きこもりだったとは、とても思えません。
いまはさまざまなボランティア活動をしています。
彼が好きなのはホームレスのための炊き出しの手伝いだそうです。

最近、元やくざだった友人に、大学生たちを紹介しました。
学生たちがぜひ会いたいといったからです。
学生たちと会った友人からすぐ電話がありました。
最近の学生は子どもだなあ、と言うのです。
小さい頃から修羅場をかいくぐって育ってきた彼に比べたら、どんな学生も子どもに見えるでしょう。
しかし彼がいうのは、そういうことではありません。
子どもを育てている大人たちが不甲斐ないというのです。
まったく同感です。

子どもは大人の鏡です。
その人の子ども観を聞いていると、その人の生き方が見えてきます。
私が自分の生き方を問い質されたのは、娘たちの言動からです。

さまざまな若者がいます。
しかし彼らと接していると元気が出てきます。
今日もこれから冒頭の若者と一緒ですが、彼のような若者を引きこもらせる社会は、問い質さなければいけません。
私たち大人が生き方を変えるべきでしょう。
もちろんそれは若者を甘やかすこととは反対です。
もっと厳しく付き合う必要がありそうです。
元やくざの友人からの電話で、改めてそう思いました。

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2010/10/08

■節子への挽歌1132:別れの悲しさ

昨日の挽歌を書いてから、別れの悲しさには2つあるような気がしてきました。
意図的な別れと意図せざる別れです。
あるいは、人との別れと思いとの別れです。

私にとっては、伴侶との別れほど深い悲しみはありませんが、別れなくてもいいのに自らの判断で別れる人もいます。
そういう人は、伴侶との別れといっても、私の場合とはまったく違うでしょう。
その人の別れの悲しさは、もしかしたら「その人の愛の思い」との別れかもしれません。
私には、愛する人(物や自然でも同じなのですが)への愛が終わるということが理解できませんが、愛が憎しみに変わる話は古今東西たくさん語られていますから、そういうこともあるのでしょう。

節子との別れを知ったある人は、私に「自由になってよかったと思ったらどうですか」といいました。
それなりに注目されている社会活動をしている人です。
私自身がまだ十分に立ち直れていない時だったので、心の傷は深く、今も忘れられません。
しかし、自由を損なうような愛があるとは、私には思えません。
愛する人がいればこそ、自由を謳歌できるというのが、私の考えであり、体験です。

意図に反して自由を束縛されるような愛であれば、それとの別れも考えられます。
しかし、それを「愛」というかどうかは私にはわかりません。

私にとって、節子との別れは意図せざるものでした。
だから奈落に落ち込むほどの哀しさに襲われたのです。
しかしその一方で、思いとの別れは起きませんでした。
節子への愛は、未来永劫変わらないでしょう。
それが私の悲しみを反転させたといってもいいかもしれません。

意図して「思い」と別れた人は、「人」との別れも同時に起こります。
それはあまりにもむごいことで、優しさに気づけないかもしれません。

こう考えてくると、私の悲しみなど、取り立てて言うほどのこともないかもしれません、
にもかかわらず、なぜこれほどに、いまも節子に会いたいと思うのでしょうか。
思いと人は、やはり切り離せない存在なのです。
それについて書き出すと、また際限なく続きそうです。

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2010/10/07

■法治国家の終焉、魔女狩りの始まり

日本は法治国家を放棄したような感じがします。
まあ「法治国家」ということそのものの多義性はありますが、小沢強制起訴事件の報道を見ていると、日本の法は魔女狩りのものだと思えてなりません。
起訴相当と、事実を多分よく理解していない人たちが判断しただけで(しかも専門の検察が2度も否定している事案について)、誰もが小沢さんは議員辞書屈すべきだという大合唱が巻き起こっているわけです。
もちろんそれを扇動しているのはマスコミです。
いま報道ステーションを見始めて、いかにもひどい報道姿勢に異論を書きとめておきたくなりました。

小沢さんにここはがんばってもらいたいと思います。
結果的には魔女狩りしている人たちが勝つ事はほぼ間違いないでしょう。
小沢さんはいずれにしろ立ち直れないほどのダメッジを受けるでしょう。
それはまあ自業自得といえるかもしれませんが、それで私たちの生活が乱されるのは残念なことです。

特捜部は、方針を決めたらともかくそれを正当化するために、たとえ罪無き人であろうと有罪にしてきたことが明らかになってきました。
それと同じことを今私たちはしているのです。
私にとっては実におぞましいことです。
これはリンチでしかありません。

小沢さんをめぐる事実を私たちはどれほど知っているのでしょうか。
小沢さんの説明責任について、多くの国民は不十分だと言いますが、自分がその立場になってから、村木さんのように後悔しても遅いのです。
そして権力に抗すれば、権力は簡単にその人の生命を含めて抹殺できる状況を私たちが育てているのです。
こうやって80年前に私たちは戦争に向かい、多くの殺傷に加担したのです。
その繰り返しを今また、日本のマスコミは先導しています。

マスメディアの政治部長たちは私たちよりも多くの情報を持ち、より的確な判断ができるはずです。
テレビに登場している小沢さんとそうした人たちの会話をていねいに見ていると、そうした人は小沢さんの説明責任は不十分ながら納得していたように思います。
かれらはなぜ声を上げないのか。
それはいまが魔女狩りの時代であるからなのでしょう。

誰かから疑われたら、もう強制収容所息の時代が始まったのです。

なぜ今の段階で小沢さんが離党したり議員辞職したりしなければいけないのか。
そんなことをしたら、もう歯止めはきかなくなるでしょう。
恐ろしい時代です。
このブログもそろそろやめたほうがよさそうです。

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■若者に働く魅力を提供できない社会

最近、大学生がよく湯島に来ます。
そこで就職の話がよく出ます。
聴いていて不安になります。
いまの社会は、若者に働く魅力を提供できていないようです。

先日来た学生たちは、みんな既に就職先が決まっている幸運な学生でした。
しかし彼らはみんな不安を抱いていました。
会社に入って元気を失う先輩が多いようです。
それを見ていれば不安が高まるのは当然です。

私のブログを読んで突然やってきた学生は、
友人たちで就職先が決まっているのは少ないし、諦めた友人も多いと言うのです。
諦めてどうするかといえば、留年や仲間との起業、もしくは専門職目指しての専門学校などへの再入学です。
もっとひどい話もありますが、さすがにここには書けません。

先日、人事部長たちがメンバーに多い、ある委員会で、若者と企業が話題になりました。
そこで、私は次のような発言をさせてもらいました。
大学では企業の中身をきちんと学生に伝えられないまま就職指導をしていること。
企業は採用コストを削減しているために、学生をよく見極めずに採用していること。
そのため、企業に入った後にミスマッチが判明して、双方にとって不幸な結果が増えていること。

こうした問題を解決するには、いろいろと方策はありますが、大学と企業とが一緒になって、ミスマッチを極力少なくし、仮に起こってもそれを良い方向に転ずる社会的な仕組みをつくる必要があると思います。
私の認識では、個別企業が人材を採る時代は終わりました。
社会全体で、つまり企業も大学も一緒になって、若者の働き場を増やし、ミスマッチが起こらないような仕組みづくりに取り組むべき時期です。
それは同時に大学の新しいミッションを創りだすことにもつながるでしょうし、労働流動化のマイナス面を正していく契機になるかもしれません。

いずれにしろ、若者にワクワクするような働きの場を用意できない社会には、未来は開けていかないような気がします。
その状況を変えていくために、何ができるか。
私はささやかながら毎日そういうことに取り組んでいるつもりです。
まだ成功していないのが心苦しいですが。

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■節子への挽歌1131:人は悲しみに出会うたびに優しくなる

人は悲しみに出会うたびに優しくなれます。
悲しみに出会わなくても優しい人もいるかもしれませんが、そういう人も、悲しみに出会うことでさらに優しくなれます。

しかし、悲しみがすぐに優しさを与えてくれるわけではありません。
人は、それぞれに悲しみを抱いているものです。
あまりに深い悲しみに襲われると、そうした当然のことが見えなくなるのです。
自らの悲しみが、底のない深みへと向かいだす。
その過程では人は優しくなどなれません。
むしろ意地悪になり、卑しくなりかねません。
奈落へと落とされた自らの命運を呪いたくさえなるのです。
私がまさにそうでした。

しかし、周りが見え出すと、心は反転します。
そして優しくなれることに、ようやく気がつくのです。
それは、自らが無数の優しさに包まれていることを感ずるからではありません。
むしろ無数の悲しさが世界を覆っていることに思いが至るからです。
愛する人を失ったのは自分だけではないのです。

優しくなるとどうなるか。
私の体験からいえば、「生きやすく」なります。
その一つの理由は、悲しみの閾値が広がるからです。
悲しみを体験すると、それを超える悲しさでなければ、乗り越えやすくなります。
さらに、自らの悲しさを通して、他者の悲しさがよくわかるようになります。
そして、悲しみこそが生きることの豊かさなのだと気づくのです。

悲しみに気づくことなく歳を重ねていく人もいるかもしれません。
しかし、自らをしっかりと生きていたら、悲しみのない人生などありえないでしょう。
悲しみがあればこそ楽しさがある、悲しみがあればこそ幸せがある。
負け惜しみに聞えるかもしれませんが、今の私の素直な気持ちです。
人は悲しみを重ねることで、優しくなっていく。
そんな気がします。

これは「可能性」の話です。
悲しみに出会って優しくならない人もいるでしょう。
しかし私は、節子と別れたことで、優しくなれたと思います。
その証拠に、涙を流すことが増えています。
涙と悲しさは関係ないといわれればそれまでですが、涙が出ると、とても優しい気分になれるのです。

私の涙の源泉は、いまはすべて節子です。

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2010/10/06

■1枚の写真

ある本で1枚の写真を見ました。
10年ほど前に、米航空宇宙局(NASA)が公表した、夜の地球の写真です。
NASAのホームページより引用した写真をネットで探しました。
http://www008.upp.so-net.ne.jp/kan-tusin/kankyo/ondan.htm

そこには、アメリカと日本が輝いています。
まあ考えてみれば当然ですが、やはり唖然とします。
夜はやはり暗くなければいけません。
お時間があったら見てください。

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■節子への挽歌1130:正倉院

正倉院は、光明皇后が、夫の聖武天皇の七七忌に、天皇の遺品を収納するためにつくったといわれます。
遺品に併せて、たくさんの薬物も収納されているというところに感ずるところがあったのですが、昨夜のテレビで、光明皇后が夫の遺品を見るのが辛かったと記録に残していることを知りました。
遺品を見ると涙が出てくる。

私と節子の物語は、東大寺の庭から始まりました。
電車であって、そのまま一緒に奈良に行き、東大寺の裏庭で他愛のない話をしたのが、付き合いだすきっかけでした。
そのすぐ近くに、正倉院がありました。

節子の遺品は、わが家にはまだたくさんあります。
衣服もあれば装飾品もありますし、茶碗もまだ残しています。
40年近く書き続けた日記も節子の書棚に並んでいます。
なにか必要があって、時に節子の遺品の中を探すことがありますが、その度に私にも思い出のあるものが出てきます。
ですから節子の遺品は、私にはまだ禁断の山なのです。

捨てられないが、触れるのも辛すぎる。
そんな気がしていますので、昨夜、テレビで光明皇后の残した文章を知って、正倉院の意味が始めて理解できました。
光明皇后の行跡の意味も改めて理解できたような気がします。

光明皇后が東大寺に並んで総国分尼寺として建立したのが佐保路にある法華寺です。
私の十一面観音像めぐりは法華寺から始まりました。
法華寺の十一面観音は魅力的だと聴いていたからですが、どこかに違和感がありました。
節子に会う前に数回訪れましたが、やはり違和感は拭えませんでした。
ただ法華寺の雰囲気はとてもよかったので、節子と一緒にも行きました。
節子もあまりピンと来なかったようです。
その後、節子と一緒に行った渡岸寺の十一面観音には一目惚れしました。
渡岸寺は節子の親元の滋賀県高月町にあります。

私と節子をつなげたのが十一面観音だというわけではないのですが、なにかいろいろな因縁がからみあっていると思いたい気もします。
愛する人の遺品には、複雑な思いが重なってきます。
お金があったら私も正倉院を創りたいです。
いや本当は、捨てずにすべてを彼岸に送りたい気分なのですが。

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2010/10/05

■節子への挽歌1129:「もう一度、みんなの食事をつくりたい」

節子がいなくなってから台所に立つことが増えました。
と言っても、料理を作るわけではありません。
私はそうしたことがまったく不得手で、今は娘たちに依存しています。
しかし食器洗いとかをすることは増えました。
一応、食器の自動洗浄機はあるのですが、節子はきちんと手で洗うのが好きだったので、わが家では普段は使わないのです。
その文化は、今も続いています。

台所に立つと思い出す言葉があります。
「もう一度、みんなの食事をつくりたい」
料理をつくれないほどに節子の病状が進展した頃、節子がよく言っていた言葉です。

再発してからも節子は台所に立っていました。
節子はさほど料理好きだったわけではありません。
病気になってからは、なにかと家族に依存する面がでてきたのですが、そうしたなかで家族のために何かをしたいという思いが強まっていったのです。
それができないことは、節子にとってはとても腹立たしかったことでした。
そばにいて、節子のその思いはいたいほど伝わってきました。

最後の1か月の闘病生活は、思い出したくないほどに節子も家族も共に辛いものでしたが、わが家には悲壮感はあまりありませんでした。
それは節子の家族への思いの深さのおかげかもしれません。
今から考えると、ケアされていたのは節子ではなく私だったのかもしれません。

節子が台所に立たなくなってから3年数か月が経ちました。
今日は食器を洗いながら、涙がとまりませんでした。
節子の言葉を思い出してしまったからです。
いつかまた、私のために節子が料理してくれることを確信しています。
まあ節子の料理は、さほどおいしくはないので、味は期待していませんが。

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■弱いものいじめの強制起訴

小沢さんが強制起訴されました。
そのニュースを聴いて、元気がなくなってしまいました。
たった11人の市民によって、国の将来が決められてしまったような気がします。
ひどい制度です。

日本には、推定無罪(何人も有罪と宣告されるまでは無罪と推定される)という言葉はありますが、日本人にはその感覚はほとんどありません。
一度、検察や警察に疑われた途端に、無罪かどうかはともかく、社会的には致命的な打撃を受けます。
つまり日本の裁判は付随的な存在でしかありません。
私たち国民は、そうした文化にどっぷりつかっています。
そこに冤罪の生まれる素地があります。
それは、子どもから大人まであらゆるところで起こっている「いじめ」の素地でもあります。
その素地を固めるのは司法への「市民参加」ではないかと私は思っています。
批判するのと裁くのとは、まったく異質なものです、
裁くのは「権力に基づく行為」だからです。
人を裁くことの難しさを知らない人の恐ろしさを感じます。

私はささやかですが、いくつかの自治体のまちづくりに関するプロジェクトに関わらせてもらってきました。
そこで実感したのは、「住民参加」というアリバイ工作手法です。
協働のマネジメントという名前に変えても、事態は変わりません。
どういう人を参加させるか、その人たちにどうプレゼンテーションするかで、方向はいかようにも変えられます。
私には実に姑息な手段に思われます。
私が最近の司法改革に反対しているのも、その体験がベースです。

いまこの時期に何が大切なのか。
そういう全体の構図や展望がないままに個別の問題が、それもわかりやすい問題が話題の中心になっている世相を憂います。
その先に不安を感じます。

小沢さんに問題がないとは思わないのですが、いかにも小さな事件です。
みんなが口では嫌っている「政局」騒ぎでしかありません。
政策遂行はまた遅れていきます。

しかし私たち生活者には、数億円の金額の世界しか見えないものです。
お金と無縁の生活を送っている生活者にとっては、仕方がないことかもしれません。
しかし数億円のお金の手続き問題に国民の目を向けさせておく一方で、兆円単位のお金やそれ以上に大切なものが失われているかもしれません。
いや、それを奪うために、瑣末な事件に目を向けさせているとしか、私には思えません。
そうして私たちは数度の戦争を体験しました。
いずれにしろ、大きな問題は見えなくなっているのです。

検察の問題が出てきていますが、これも大きすぎて表層でしか語られていません。
前田さんも大坪さんも、単なるスケープゴートでしょう。
個人の問題などでは談じてないはずです。
村木事件のフロッピー改ざんという瑣末な事象が話題にされていますが、それを批判している人たちにこそ大きな問題があることを忘れてはなりません。
悪人ほど善人の顔をしているといわれますが、それは本当かもしれないと思いたくなります。

時代の変わり目には、やはり慧眼をもった人が必要なような気がしてきました。
しかし私が生きているうちには、そうした人は現れないでしょう。
そう思うと、元気が萎えてしまいました。

元気を出して、書いてみました。

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2010/10/04

■節子への挽歌1128:苦楽を共にする

節子
最近は疲れることが多くなりました。
いろんな相談を受けて重荷を背負っても、それをシェアする節子がいないからかもしれません。
帰宅して、節子に話をするだけで、気分が軽くなっていたのを思い出します。
いまは重い荷物を背負ったまま、寝なければいけません。
いろいろと思いながら眠れないこともあります。
眠れないからと言って、起こして話を聴いてもらう節子も今はいません。

苦楽を共にする、とは良い言葉です。
しかし苦楽を共にする相手がいなくなると、人生は狂いだします。
それに私の場合、いささか苦楽を共にしすぎていたかもしれません。
節子がよくいっていたように、自立できていなかったわけです。
困ったものです。

節子がいない今は、苦楽は私の人生から消えてしまったような気もします。
苦も楽も、すべては重い荷物でしかないといってもいいかもしれません。

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2010/10/03

■他分野には踏み込まない内向の時代

最近、実にいろいろな人がまたやってくるようになりました。
以前ほどではないですが、おかげさまでいろいろな世界に触れることができます。
しかし、あまり元気が出る話には出会えません。
そんなわけで気が滅入ることが多いのですが、どうも同じ傾向を感じます。
一言でいうと、「内向の時代」に戻ってきているような気がするのです。

企業関係の経営者たちは異口同音に、最近の銀行は、資金調達を望んでいる企業の実態を知ろうとせずに、ただ回収は確実か利子はどうかだけにしか関心がないというのです。
いまやバンカーは単なる高利貸しになってしまったようです。
融資先の企業には関心がないのだそうです。

さまざまな企業の技術者をつなげて、イノベーションを起こそうとしている人が来ました。
その人が言うには、最近の技術者は自分の狭い世界に身を縮めてしまっていて、異質な要素技術を組み合わせるのが難しい、と言うのです。
他分野や他企業の技術者と一緒になって共創しようという姿勢はあまり見られないようです。

複雑理工学を専攻している大学教授は、自らの優位性を高めるためには、ますます細分化された専門分野で突出していかないと生き残れない状況は否定できないと嘆きます。
そうした状況を変えていくために複雑理工学という分野が生まれたようですが。

そういえば、私が取り組んでいるNPOのネットワーキング活動も、みんな自分の活動にうずもれてしまい、横につながろうと呼びかけてもなかなかつながりません。
この5年ほどの印象として、どうもまたみんな「内向」しだしている気がします。
誰もが暮らしやすい社会を目指すのではなく、自分に関心のある課題解決に集中しがちです。
そんなやり方では問題は解決しないだろうと私は思いますが。

その一方で、「つながりが大切だ」「縁が大切だ」「協働の時代だ」と、みんな言います。
どうもそうした流行の言葉と私の周りで起こっていることと、結びつきません。
内向していたらつながりは生まれません。

生き方を変えると本当に生きやすくなります。
自分の弱みや困っていることをあっけらかんと見せていけば、支えてくれる人が見つかります。
支えてくれた人にも必ず弱みや困っていることがあります。
それを支えていくことができるかもしれません。
それもこれも「内向」していたら始まりません。

分を超えて、隣の人と話し合う生き方を広げていければ、社会は変わっていくはずです。
この2日間、自宅の庭でサロンをしながら、そんなことを考えていました。
明日からは湯島でまたサロンです。

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■節子への挽歌1127:中村一明先生

節子
昨日から我孫子の手づくり散歩市です。
節子がいた頃と同じく、わが家もその会場の一部です。
節子がいたらケーキを焼いたりするのでしょうが、今年はジュンのパートナーの峰行さんの手づくりのヴィスコッティと珈琲です。

今日は先日やってきた杉田ローレンさんが連れ合いと一緒にやってきました。
杉田精司さん。惑星が専門の東大の教授です。
惑星とは、夢があります。いろいろなお話を聴きました。
地震と火山の話が出たので、中村一明さんと一緒に、ハワイのキラウェア火山に行ったことを思い出しました。
杉田さんも中村さんのことをご存知でした。
中村さんも東大の教授でしたが、一緒にハワイに行った数年後に、若くして亡くなってしまいました。

前にも書いたと思いますが、中村さんが同行してくれたこのツアーはとても面白い旅でした。
キラウェア火山のボルケーノハウスで、中村教授が参加者に火山とプレートテクトニクスの講義をしてくれた風景を、今もはっきりと覚えています。
その分野にはほとんど知識のない節子も、しっかりと理解できたと思いますが、なによりも中村さんの優しい人柄が印象に残っています。
ボルケーノハウスの暖炉の前でのゆったりした時間も、とてもあたたかい思い出です。

それが私と節子が一緒に行った初めての海外旅行でした。
とてもいい旅行でしたが、それはたぶん中村さんのお人柄が影響しています。
高名な大学教授でありながら、とても気さくに私たちに接してくれました。
一緒に行ったメンバーで、一番、知識も理解力もなかったのが節子だったと思いますが、なんでもない主婦の節子にも中村さんは気さくに声をかけていてくれました。
帰国後、中村さんがテレビに出ると、節子はいつも大きな声で私を呼んだものです。
その中村さんが若くして亡くなってしまった。
人の一生はわからないものです。
中村さんが亡くなられてから25年ほど経ちますが、中村さんの顔は今でも時々思い出します。
節子と私の、共通の思い出の一つだからでしょうか。

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2010/10/02

■節子への挽歌1126:人によって時間の進み方は違います

節子
久しぶりにチビ太の散歩に行きました。
歳のせいであまり散歩もできず最近は庭を歩いたり、家の前だけで済ませたりしていますが、今日はめずらしく通りに出て、自分から坂を下りだしたのです。
もっとも時々よろけるので、ゆっくりと注意しながらの散歩です。
お医者さんも、奇跡的な回復だと言っているそうです。

チビ太とゆっくり散歩しながら、節子との散歩を思い出しました。
節子との散歩も、ゆっくりでした。
ゆっくり歩くことの大切さを、最近また忘れてしまっているのに気づきました。
しかし相手の時間に合わせて歩かないと相手は理解できないことだけは、しっかりと覚えています。
これも節子から教えてもらったことですが、時間は人によって、状況によって、まったく違うのです。
時計の進む速度は同じように見えますが、たぶん違っているのです。
にもかかわらず、時計を見るとみんなの時計が同じ時間を指しているのか、とても不思議です。

それに、時間はだれにでも平等に与えられてはいるということはありません。
自分の時間、相手の時間、その違いをきちんと知ることが大切です。
象の時間とねずみの時間が違うように、人もそれぞれ違う時間を生きているのです。

チビ太と歩いていて、そんなことも思い出しました。
たまにはチビ太の散歩もしなければいけません。

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■タクシー運転手の話はいつも考えさせられます

昨夜、久しぶりに都心からタクシーで帰宅しました。
車中、運転手からいろいろと話を聞かせてもらいました。

彼は4年ほど前まで大手のタクシー会社にいましたが、いまは個人タクシーです。
彼が言うには、もし会社に残っていたらもうやっていられなくなっただろうと言います。
水揚げが激減しているからです。
彼の奥さんが、いまもタクシー会社所属の運転手なのでよくわかっているようです。
おかしくなってきたのは、タクシー業界の規制緩和の頃からのようです。
そういう話は地方でタクシーに乗ってもよく聴く話です。

彼の今の収入は、月額70万円前後だそうです。
しかし、そこから半分はガソリン代や自動車維持費、駐車場代などにとられるそうです。
年金は年間で60万円、毎月月末には支払いに追われている感じだといいます。
土日は走りませんが、平日は夕方から明け方の3時くらいまで仕事をしているそうです。
それでも1日で3万円、よくて4万円だといいます。
土日休むのは効率が悪いこともありますが、身体が持たないからだそうです。

都内で個人タクシーの仕事をするためには都内に住居がなければいけません。
その家賃と駐車場料金がつき7万円、部屋は1LDK。そこで平日は宿泊です。
自宅は埼玉で、母親と同居しています。
奥さんは会社所属のタクシー運転手なので毎日自宅に帰りますが、週末以外はそれぞれが別居で、「さびしいもんですよ」と彼はいいます。
こんなに一生懸命仕事をしているのに、夫婦で旅行にもいけないと言っていました。

やはり今の日本はおかしいと思います。
実は昨日は埼玉の滑川町でもタクシーに乗りました。
その運転手の話も考えさせられる話が多かったです。

私の思いのほとんどは、こうした現場での生活の話から構築されることが少なくありません。
現場にこそ知がある、というのが私の考えなのです。
政策を考える人も専門家も、もっともっと現場に触れて欲しいです。

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2010/10/01

■節子への挽歌1125:生活の芯

節子
今日は朝の6時過ぎに家を出ました。
こんなに早く家を出るのは久しぶりです。
熊谷の合宿会場に朝一番で着くためです。
本当はゆっくりしたかったのですが、いろいろと用事が重なって、こんなハードな行動になってしまいました。
思い出せば、節子が元気だった頃は、こんな生活が多く、私は飛び回っていた感じです。
節子が病気になってからは、そうした生活はやめましたが、節子がいなくなってからは、さらにそうした生活ではなくなりました。
時間をもてあますほど、ゆっくりした生活になったのです。

しかし最近また、さまざまな活動に関わりだしています。
以前ほどではありませんが、一見、つながりのない話題の間を行き交いだしています。
人にたくさん会います。
私が何をしているのか理解できない人も少なくないようです。
外から見たらまったくランダムに生きているように見えるかもしれません、

しかし、そうしたさまざまな分野の活動も、私の中ではしっかりとつながっていました。
つないでくれていたのは、節子との時間だったのです。
つまり「自分たちの生活の視点」です。
私たちは、さまざまな問題に絡まりながら生きています。
生活の視点で見ると、一見無関係に見える話がつながってくるのです。

私が、問題から発想せずに、生活から発想する視点をもてたのは、節子がいたおかげだと思っています。
私自身の生き方を、つねに具体的に、体験的に、感じられたからです。
それにどんなテーマも、節子と話し合いながら生活の視点で反芻できたのです。

しかし、節子がいないいま、どうも自分の生活が見えなくなってきました。
相変わらずさまざまな分野には関わりたいのですが、どうも問題に埋没してしまい、生活が拡散しそうです。
しっかりと生きるためには、生活の芯がないといけないことを痛感します。

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