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2010/10/03

■他分野には踏み込まない内向の時代

最近、実にいろいろな人がまたやってくるようになりました。
以前ほどではないですが、おかげさまでいろいろな世界に触れることができます。
しかし、あまり元気が出る話には出会えません。
そんなわけで気が滅入ることが多いのですが、どうも同じ傾向を感じます。
一言でいうと、「内向の時代」に戻ってきているような気がするのです。

企業関係の経営者たちは異口同音に、最近の銀行は、資金調達を望んでいる企業の実態を知ろうとせずに、ただ回収は確実か利子はどうかだけにしか関心がないというのです。
いまやバンカーは単なる高利貸しになってしまったようです。
融資先の企業には関心がないのだそうです。

さまざまな企業の技術者をつなげて、イノベーションを起こそうとしている人が来ました。
その人が言うには、最近の技術者は自分の狭い世界に身を縮めてしまっていて、異質な要素技術を組み合わせるのが難しい、と言うのです。
他分野や他企業の技術者と一緒になって共創しようという姿勢はあまり見られないようです。

複雑理工学を専攻している大学教授は、自らの優位性を高めるためには、ますます細分化された専門分野で突出していかないと生き残れない状況は否定できないと嘆きます。
そうした状況を変えていくために複雑理工学という分野が生まれたようですが。

そういえば、私が取り組んでいるNPOのネットワーキング活動も、みんな自分の活動にうずもれてしまい、横につながろうと呼びかけてもなかなかつながりません。
この5年ほどの印象として、どうもまたみんな「内向」しだしている気がします。
誰もが暮らしやすい社会を目指すのではなく、自分に関心のある課題解決に集中しがちです。
そんなやり方では問題は解決しないだろうと私は思いますが。

その一方で、「つながりが大切だ」「縁が大切だ」「協働の時代だ」と、みんな言います。
どうもそうした流行の言葉と私の周りで起こっていることと、結びつきません。
内向していたらつながりは生まれません。

生き方を変えると本当に生きやすくなります。
自分の弱みや困っていることをあっけらかんと見せていけば、支えてくれる人が見つかります。
支えてくれた人にも必ず弱みや困っていることがあります。
それを支えていくことができるかもしれません。
それもこれも「内向」していたら始まりません。

分を超えて、隣の人と話し合う生き方を広げていければ、社会は変わっていくはずです。
この2日間、自宅の庭でサロンをしながら、そんなことを考えていました。
明日からは湯島でまたサロンです。

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