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2010/10/21

■節子への挽歌1145:死後の平等観

哲学者の内山節さんは、日本では死後、誰もが成仏すると考えられていたと言います。
悪いことをしていると地獄に堕ちる、というのは、私たちが現世で悪いことをしないための戒めであって、実際にはだれもが成仏するというのです。
成仏とは、悟りを得ることですから、煩悩を解脱してすべてから救われるということです。
キリスト教では、神に裁かれて天国か地獄にいくことになりますし、インド仏教にしても、そう簡単には救われません。
しかし、日本では誰も彼も救われて成仏するのです。

この死後の平等観こそが、日本社会の根底にあると、内山さんは言うのです。
私流に解釈すれば、死後の平等観はすべての存在をつなげるものです。
つまり死後の世界からみれば、すべての人もまた平等であり、一見、幸不幸に見えるようで、それは一時の現われでしかないというわけです。
さらにいえば、山川草木すべてがつながっていると考えられます。
さらにさらにいえば、生命は非生命的存在にも生命があるということです。

論理が飛躍しすぎて、何を言っているのかわからないかもしれませんが、死後の世界では誰も彼も、あるいは何もかもが、同じ仏になれるということです。
ここで「仏」を「自然」に置き換えてみればどうでしょう。
そうすれば、素直に受けいれられるはずです。
日本の仏教の真髄がそこにあるような気がします。

今日は、寒々とした日です。
あまりの寒さに、コタツを出そうと思ったほどですが、娘に「まだ早い」と怒られました。
そういえば、節子がいた頃も、毎年、このようなやりとりがありました。
私はコタツが大好きなのです。

寒さを我慢して、机で窓の外の灰色の空を見ていたら、なぜか内山さんの死後の平等観のことを思い出しました。
あまりにもおかしくなった現世よりも、彼岸の方が楽しいだろうなと、ふと思ったりする、寂しい1日でした。

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