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2010/10/10

■節子への挽歌1134:阿修羅

阿修羅は「命を与えるもの」という意味のサンスクリット語を語源とする、仏教の守護神です。
高校生の頃、東京国立博物館で帝釈天の像を見て、私はかなり惚れこんだのですが、帝釈天と戦うイメージが強いことから阿修羅には興味がありませんでした。
それを一変させたのは、萩尾望都の漫画「百億の昼と千億の夜」です。
そこに登場する阿修羅は、興福寺の修羅像そのものでした。
以来、その阿修羅像が私の中に完全に定着し、帝釈天は退屈な存在になってしまいました。

阿修羅の世界は、仏教では、「常に闘う心を持ち、その精神的な境涯・状態の者が住む世界」とされているようです。
まさに修羅場です。

今日、黒岩比佐子さんから送られてきた「パンとペン」を読みました。
素晴らしい作品です。
その紹介は、私のホームページに載せました。

読みながら、常に思い出していたのが、なぜか阿修羅です。
堺利彦の評伝である「パンとペン」にはもちろん阿修羅は出てきません。
しかし、なぜか時空を超えた宇宙を飛び回っている阿修羅が、読んでいる私の頭と心の中を飛び回るのです。
読み終わって気づいたのですが、興福寺の阿修羅は黒岩さんに似ています。
やさしさと怒りを秘め備えた穏やかな顔。

阿修羅は「命を与えるもの」です。
「命を与えられるもの」ではないのです。
しかし、自らに「命を与えるもの」でもあるのです。
「百億の昼と千億の夜」に出てくる阿修羅は不死身でした。

黒岩さんの今回の本は、間違いなく歴史に残るでしょう。
この本にも、黒岩さんは命を与えました。
それ以上に、本書に出てくるたくさんの人たちにも命を与えました。
阿修羅です。

そう思いながら、節子もまた阿修羅だったと、気づきました。

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