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2010/10/13

■節子への挽歌1137:訃報

節子
訃報が相次いで届きます。
しかし、なかなか反応できずにいます。
訃報もまた、一人で受け止めるのはそれなりに辛いものがあります。
それに、この歳になるといつ自分が訃報の主役になるかもわかりません。
他者の訃報は自らの訃報に重なって感じられます。

新聞に掲載される訃報記事はよく読まれる記事の一つだといわれていました。
最近はどうでしょうか。
たしかに有名人の追悼記事などはよく読まれるでしょうし、テレビで故人を偲ぶ番組も視聴率は高いと思われます。
人の死は、それだけ大きな意味があるということでしょう。
人の死は自らの生を改めて実感させる意味があるのかもしれません。

自らがいなくなった後、自分のことをみんながどう話すのかは予想もつきません。
節子は、私がこうして毎日節子のことを語っているとは思ってもいなかったでしょう。
私自身、思いもしませんでした。
しかし、こうして毎日書き続けていると、節子とのつながりが続いているような気がします。
逆に言えば、書くのをやめた途端に、節子との絆が切れてしまうような気がしてきています。
だからもはやこの挽歌はやめられなくなっているのです。

久しく会っていない人の訃報が届くことがあります。
一瞬にしろ、その人の冥福を祈ります。
それは同時に、その人との関係が、それこそ走馬灯のように頭に浮かんできます。
ある意味では、その人との絆を、そこで確認することになります。
久しく会っておらず、おそらくこれからも会うことのない人の場合は、その人が現世にいようが彼岸にいようが、現実的には何の変化もありません。

人が彼岸に行くとはどういうことなのか。
最近、訃報が届くたびに、そんなことを思います。
不思議に悲しい感情が浮かぶことはあまりなくなってしまいました。

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