■節子への挽歌1149:節子、黒岩さんが再入院しました
節子
先日、講演を聴きに行った黒岩さんが明日からまた入院です。
その黒岩さんがブログに書いています。
激励のお言葉はうれしいものの、あまり「頑張れ、頑張れ」と言われると、自分としてはここまで精一杯やってきたのに、まだこれ以上頑張らなければいけないのか、と無力感にとらわれることがあります。あまりこの言葉を強調しないでいただければ幸いです。
節子
とてもよくわかりますね。
しかし、あの黒岩さんがこう書くとは、よほど堪(こた)えていたのです。
先日の講演で気になったことがありました。
講演を終わった後、主催者の方が、質問はないですかと会場に訊きました。
講演者の状況を知っている人なら、早く休んでくださいというべきではないかと私は大きな違和感を持ちました。
会場の人は黒岩さんの状況を知っているので手を上げませんでしたが、主催者の繰り返しの呼びかけで、ある人が手を上げて発言しました。
私も聴いたことのある社会的な活動をしている人です。
しかし、その人はその活動のことを得々と語りだしてとまることがないのです。
何と言う見識のない人だろうと驚きました。
人を思いやることのできない人に人権活動や文化保存活動ができるのだろうかとさえ思いました。
とても良い講演のあとだっただけにとても不快な気持ちになりました。
しかしがっかりしたのはそれだけではありません。
講演が終わった後、多くの人が黒岩さんのところに話に行きました。
私も前の席だったので、すぐに声をかけましたが、二言だけでした。
ところが、みんな長いのです。
行列ができてしまい、なかなか終わらないのです。
黒岩さんはていねいに、そして一見、楽しそうに対応していました。
それを見ていて、節子がコーラスの発表会に行った時のことが蘇りました。
節子もメンバーだったコーラスグループの発表会がありました。
ぜひ聴きに行きたいというので、疲れたら途中で帰ろうという約束で出かけました。
ところが会場でいろんな人に出会いました。
半年振りのそうした場でしたので、いろんな人が話しかけてくれたのです。
めずらしい人にも会いました。
節子は楽しそうに話していましたが、その奥で疲労が高じているのはよくわかりました。
でも節子は帰ろうとせず、終了後も、昔の仲間とロビーで話し続けていました。
もうそろそろ帰ろうと引きずりだすように会場を後にしましたが、外に出た途端に節子はドッと疲れを感じたようでした。
一緒に来てくださった方が驚くほどでした。
車に乗るのもやっとでした。
そうした経験があるので、黒岩さんのことが気になっていましたが、やはりダウンしたようです。
みんなと「元気に」話したいという気持ちと体調を不安視する気持ちの相克の中で、どちらを優先するかは難しい問題です。
あの時、節子をコンサートに連れて行ったことは決して後悔していませんが、もう帰ろうと声をかけたことがよかったことなのかどうか、答はありません。
しかし、「がんばりすぎている」黒岩さんのブログを読むと、事務局の人にもう休んでもらったらどうでしょうと声をかけなかったことを悔やんでいます。
節子ならどうしたでしょうか。
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