■節子への挽歌1143:飛鳥大仏の前での秘め事
節子
今年は平城京遷都1300年なので、奈良や飛鳥がよくテレビで取り上げられます。
奈良も飛鳥も、節子との思い出がたくさんあるので、あまり見ないようにしていますが、時々、ついつい見てしまいます。
先日は、飛鳥寺の紹介番組を見てしまいました。
飛鳥は、私の好きなところでした。
ですから節子と付き合うようになって、かなり早い時期に飛鳥寺にも行った記憶があります。
飛鳥大仏の前で、私は蘇我氏の話を得々としたものです。
飛鳥も好きなら、蘇我氏も物部氏も私は好きでした。
ちなみに私には蘇我氏も物部氏もなぜか同族に思えていました。
蘇我王朝の前には物部王朝があったというのが、当時の私の考えでした。
古代史に関する本を読み漁っての、勝手な仮説でしたが、自分の仮説を立てて古代史を読むととても面白いのです。
しかし、誰かに話したくても、そんな素人の思いつきは誰も聴いてはくれません。
幸いに節子は歴史音痴でしたので、私の説を何の疑いもなく素直に聴いてくれました。
私も、いい加減な説を得意になって話せたわけです。
そんなわけで、節子の古代史の知識は、かなりおかしなものになっていたはずです。
実は飛鳥大仏の前で私がしたことは、飛鳥の歴史を語っただけではありません。
当時はまだ観光客も少なく、大仏の鎮座する堂宇には私と節子だけしかいませんでした。
それでついつい大仏の前で節子を抱きしめることを思いついたのです。
日本最古の大仏の前で、節子との愛を表現するのは最高のアイデアだと思ったからです。
ところが、節子は、仏様の前でそんな不謹慎なことはできないと拒否するのです。
節子はそういう人であり、私は逆にそういう人でした。
節子は、いつまでもこの時のことを思い出しては、笑いながら私の不信心をからかいました。
飛鳥大仏を見ると、いつもそのことを思い出します。
こんな話をできる唯一の相手の節子もいなくなってしまいました。
二人の秘め事(?)を挽歌で書いてしまったので節子はきっと怒っていることでしょう。
あの時、拒否された、せめてもの腹いせです。
彼岸に行って、同じような状況になったら、今度は私が拒否しようと思います。
そういう場面が巡ってくるといいのですが。
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