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2010/10/31

■無縁社会ではなく有縁社会

昨夜、NHKでは「無縁社会」をテーマにした長時間の話し合い番組を放映していました。
私は最後の部分しか見なかったのですが、こうした取り組みが広がってきたことはいいことだと思います。

ただいささかの違和感があります。
というよりも、「無縁社会」などと気楽な言葉をつくり、使うことへの怒りを感じます。
これに関しては、以前も一度書きました。
言葉は実体を生み出す、といったのはヴィトゲンシュタイでしたでしょうか。
パウロ・フレイレは、言葉による意識化を重視しました。
言葉は間違いなく、実体の形成に大きな影響を与えます。
そうかんがえれば、「無縁社会」という言葉を起点にして考え議論するかと、「有縁社会」という言葉を起点に議論するかで、大きな違いが生まれるでしょう。

日本は「縁」を大事にしてきた社会です。
私たちの生は、まさに縁によって生まれ育っているという文化が日本には存在しています。
しかもその「縁」は、目に見える人のつながりだけではありません。
お天道様、ご先祖様との縁も含めて、見えない縁が縦横無尽に張り巡らされているのです。
無縁に生きることなど、できようはずがないのです。

大切なのは、縁をつくることではありません。
縁に気づくことなのです。
そこから出発しない限り、昨夜、語られていたような問題は解決しないように思います。

「無縁社会」という言葉(概念)を広げて、どういう意味があるのか。
いま大切なのは「有縁社会」という言葉だろうと思います。
NHKの報道姿勢は完全に間違っているように思うのですが、どうでしょうか。

11月5日に、みんなが安心して暮らせるシェルターを考える公開フォーラムを開催します。
シェルターの核は、開かれた縁ではないかと私は思っています。
そんな話し合いができればいいと思っています。
もしよかったら参加してください。
案内はチラシをご覧ください

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