■節子への挽歌1150:無情の世界の有情
節子
寒さを感ずるようになってきました。
夏もまた良し、冬もまた良し、というのが私たちでしたが、いまはその「良し」という気分が起こってきません。
強がりを言っていますが、やはり私の心は萎えてきているのかもしれません。
節子がいなくなってから、時間感覚が大きく変わりましたが、季節感も失われてしまいました。
夏は暑いし、冬は寒いのは、もちろん実感できますが、季節を楽しむという感覚がなくなったわけです。
節子は、季節を楽しむ名人でした。
そのお相伴にあずかることもなくなってしまいました。
いまは、季節の変化は気温の変化だけになってしまった気がします。
困ったものです。
でもまあ、無理にそこから抜け出ることもないでしょう。
そのうちきっと、季節が戻ってくるでしょう。
戻ってこなければ、それもまた「良し」です。
無情の世界の有情を楽しむのも、悪いことではありません。
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