■節子への挽歌1153:物語を生きる
「人は物語をもとに考えるよう創られている」
ノーベル経済学賞を受賞したジョージ・アカロフ教授の著書「アニマル・スピリット」に出てくる言葉です。
「人間の動機の相当部分は、自分の人生の物語を生きることから生じている。それは自分が自分に言い聞かせる物語であり、それが動機の枠組みとなるわけだ」とも書いています。
私は「物語」という言葉が大好きです。
子どもの頃から、自分の物語をしっかりと生きたいと思っていました。
節子と結婚してからは、節子との物語を一緒につくろうと思っていました。
私たちの生活は、まさに物語を育てていくものでした。
そしていつか、その2人の物語を、縁側の日なたのなかで、2人でゆっくりと思い出しながら何回も何回も語り合いたいと思っていたのです。
今の家には、そのための小さな縁側もつくりました。
しかし、その縁側で日向ぼっこすることは、私には永遠にないでしょう。
物語を語り合うこともないでしょう。
封じ込められた物語には、それなりに面白い話もあるのですが、相棒がいなければ語ることさえ難しいものです。
最近、ある集まりが契機になって、また「物語」を意識するようになりました。
物語を意味する「ナラティブサロン」という集まりも始めました。
人にはそれぞれに物語があります。
その物語をつないでいくこと、あるいは関わりあうことが、もしかしたら人の幸せや平和につながっていくかもしれないと思い出したのです。
近代の物語は、しかし他者の語りによる物語でした。
しかしこれからは自らが語り手にならなければいけません。
語り手になって語りだすことが、精神療法の世界では大きな効用を持っていることも議論され出していますが、語ることの効用は療法以上に積極的な意味を持っています。
私自身、この挽歌で自らの物語を語ることで内部に引きこもらずにすんだ体験をしていますので、その効用の大きさは身を持って実感しています。
節子なしで、私の物語をどう完結させるか、それは難題です。
でもまあ、このまま今の物語を進めていくと、きっと起承転結の結が見えてくるのかもしれません。
果たしてどんな「結」なのでしょうか。
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