« ■節子への挽歌1129:「もう一度、みんなの食事をつくりたい」 | トップページ | ■1枚の写真 »

2010/10/06

■節子への挽歌1130:正倉院

正倉院は、光明皇后が、夫の聖武天皇の七七忌に、天皇の遺品を収納するためにつくったといわれます。
遺品に併せて、たくさんの薬物も収納されているというところに感ずるところがあったのですが、昨夜のテレビで、光明皇后が夫の遺品を見るのが辛かったと記録に残していることを知りました。
遺品を見ると涙が出てくる。

私と節子の物語は、東大寺の庭から始まりました。
電車であって、そのまま一緒に奈良に行き、東大寺の裏庭で他愛のない話をしたのが、付き合いだすきっかけでした。
そのすぐ近くに、正倉院がありました。

節子の遺品は、わが家にはまだたくさんあります。
衣服もあれば装飾品もありますし、茶碗もまだ残しています。
40年近く書き続けた日記も節子の書棚に並んでいます。
なにか必要があって、時に節子の遺品の中を探すことがありますが、その度に私にも思い出のあるものが出てきます。
ですから節子の遺品は、私にはまだ禁断の山なのです。

捨てられないが、触れるのも辛すぎる。
そんな気がしていますので、昨夜、テレビで光明皇后の残した文章を知って、正倉院の意味が始めて理解できました。
光明皇后の行跡の意味も改めて理解できたような気がします。

光明皇后が東大寺に並んで総国分尼寺として建立したのが佐保路にある法華寺です。
私の十一面観音像めぐりは法華寺から始まりました。
法華寺の十一面観音は魅力的だと聴いていたからですが、どこかに違和感がありました。
節子に会う前に数回訪れましたが、やはり違和感は拭えませんでした。
ただ法華寺の雰囲気はとてもよかったので、節子と一緒にも行きました。
節子もあまりピンと来なかったようです。
その後、節子と一緒に行った渡岸寺の十一面観音には一目惚れしました。
渡岸寺は節子の親元の滋賀県高月町にあります。

私と節子をつなげたのが十一面観音だというわけではないのですが、なにかいろいろな因縁がからみあっていると思いたい気もします。
愛する人の遺品には、複雑な思いが重なってきます。
お金があったら私も正倉院を創りたいです。
いや本当は、捨てずにすべてを彼岸に送りたい気分なのですが。

|

« ■節子への挽歌1129:「もう一度、みんなの食事をつくりたい」 | トップページ | ■1枚の写真 »

妻への挽歌06」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ■節子への挽歌1130:正倉院:

« ■節子への挽歌1129:「もう一度、みんなの食事をつくりたい」 | トップページ | ■1枚の写真 »