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2010/10/18

■節子への挽歌1142:がんになりたいわけではないのですが

書こうか書くまいか迷ったのですが、書くことにしました。
親切な行為も受け取り方によっては素直に受け取ってもらえないことがあるという話です。
素直に受け止めなかったのは、実は私なのですが。

ある人がメールで、「がんにならないために」という講演録を送ってきてくれました。
私があまり健康診断に行かないことを気遣ってのことなのだろうと思います。
しかし、私はこの講演録を読むことはありません。
というよりも、正直に言えば、この人の無神経さに少し苛立ったほどです。
親切に送ってきてくれたのに、何という身勝手さだと思われるかもしれません。
しかし、そういうこともあるのです。

愛する妻を見送ってしまった者として、私はがんになるのを避けたいという気持ちはほぼ皆無なのです。
このあたりはなかなか微妙なのでわかってはもらえないかもしれませんが、がんになることが悪いとすれば、がんになった節子の立場がないような気がしてならないのです。
ひがみ根性といわれれば、それまでの話なのですが。

この挽歌を読んでいてくださる方から、メールが届きました。
お会いしたことありませんが、夫をがんで見送った方です。
その方には、がんを完治された先輩がいるそうですが、ご主人の闘病中は、完治された人がいるということが支えになっていたそうです。
ところが、私と同じく、その方も伴侶を見送ることになってしまったのです。
先日、その先輩の方のところに行かれたそうですが、こんなメールを送ってきてくれました。

帰りの車中で 何が私たちは間違っていたのかと もうなん百回も 自問したことが頭をもたげ 涙 ぼろぼろでした。
「私たちは何を間違ってしまったのか」
私も繰り返し自問したことです。
いくら自問したところで、答があるはずもありません。
しかし、今でも「がんを治す」とか「がんの予防」とかいう文字を見ると必ずそれを思い出します。
だから私はがんを予防しようなどとは思いません。
あまり論理的ではないと思われるでしょうが、それが素直な私の今の気持ちなのです。
もちろんだからといって、がんになりたいわけではありません。
私以外の人にはがんになってもらいたくないとも思っています。
しかし私に限っていえば、がんになった節子を否定するような気がして、自らはがんの予防は一切する気はないのです。

どこか偏屈で矛盾しているような気もするのですが、正直な気持ちなので仕方ありません。

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