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2010/10/25

■ネガティブな議論とポジティブな議論

なぜみんな瑣末な議論にはまってしまうのだろうか、と思うことが少なくありません。
かくいう私も、瑣末な議論が好きな一人ですが、しかし基本的にはできるだけポジティブに、そして個人を誹謗せずに、さらに議論はある時間でさっぱり終わるということを原則にしています。
しかしそうでない議論も少なくありません。
私が参加している2つのメーリングリストで、いま際限なしに見える議論がなされています。
そうした議論では、必ず誰かがターゲットになります。
そしていやな話ですが、あげ足取りが横行します。
相手の発言や文字の真意など読み解こうとしないのです。
双方が相手に対してネガティブですから、もちろん正確な意味での議論は成立していません。

メーリングリストでこうした状況が起こると、とても付き合いきれません。
問題提起した人は、しかし途中で止めると非難の集中攻撃を受けることになります。
人は、他者を攻撃する時ほど、大きなエネルギーが出ることはありません。
攻撃するにしても相手も違えば、方法も違うだろうと思いますが、うっかりそうした輪に入ろうものなら、こちらにも矢が飛んできます。
そんな暇人とは付き合いたくないと思いますので、最近はそうした内輪もめには参加しないようにしています。
しかし、果たしてそれでいいのだろうかと思うこともあります。
おかしなことにはきちんと態度を表明しておかないといけないのではないか。
組織の誰かの問題を放置したら、自らもその仲間として責任を追わなければいけないというのが、私の論理ですから、いささか気が重いのです。
そんなメーリングリストから抜けたらいいという考えもありますが、そうやって抜けていけば、いつかは一人になるか、仲良し仲間だけの世界に閉じこもるしかないのです。
人の考えは多様です。
自分の考えとは別の考えがあってもいいと思うのですが、みんなそれを許せないようです。
多様性が大事だなどとみんな言いますが、多様性を維持することは至難です。

人の議論にはふたつあります。
価値を削ぎあうネガティブな議論と互いから学びあうポジティブな議論です。
私は後者の関係を大事にしたいと思っていますが、どうも世の中の多くの人は、前者が好きなようです。
最近そう思えて仕方がありません。

みんなどうして不幸な生き方を目指すのでしょうか。
不思議でなりません。

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