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2010/10/21

■起訴されたら有罪視されることのおかしさ

元主任検事による証拠改ざん事件に関連して、大阪地検前特捜部長および元副部長が起訴されましたが、それを受けて、2人は懲戒免職になりました。
いかにも早い懲戒免職ですが、日本の場合、起訴されたら有罪視されることがよくわかります。
そうだとすれば、裁判とはいったい何なのか、よくわからなくなりました。
裁判で判決を受けるまでは、無罪ではないのかとばかり思っていましたが。
それに今回の事件は、逮捕された2人はいずれも起訴事実を否認しています。
なにやら複雑な気がします。

今日、こうしたことについて、検事総長が記者会見し、謝罪しました。
新聞は、「大林総長は用意したA4の2枚の紙を読み上げた。一連の事件について陳謝したが、「失われた国民の検察に対する信頼を一刻も早く回復することが、私に課せられた責務である」と述べ、早期の辞任を否定した。」(朝日新聞)と報道しています。
今回の事件は本氷山の一角であり、検察庁が発足した当時から繰り返し行われてきた、組織ぐるみのことだろうと考えている私にとっては、検事総長はさらに大きな事実を隠蔽するために残るのかとさえ思えますが、それにしても今頃の記者会見も遅きに失していますし、その内容がいかにもお粗末です。

それにしても、起訴されたら有罪者として扱われる社会は恐ろしいと思います。
ともかく事実を検察関係以外の人に(元検察庁関係者が私は一番悪いと考えていますが)事実を解明してもらいたいものです。
問題はフロッピーデスクの改ざんなどではありません。

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