■節子への挽歌1140:天真
節子
今日、黒岩さんの講演会に行ってきました。
体調の悪さを微塵も見せることなく、2時間の講演を見事に終えました。
内容のある、そして黒岩さんならではの、とても良い講演でした。
黒岩さんには見えない場所に座ろうと思っていたのですが、藤本さんが黒岩さんの正面の席を取ってくれていたので、黒岩さんがよく見える席でした。
話を聴きながら、さまざまな思いが頭をめぐりました。
幸徳秋水と菅野すがとが内縁関係になった時の話題がでたところで、堺利彦の妻の為子の話が出ました。
「パンとペン」の中で、私の印象に残ったところの一つでした。
黒岩さんは、講演ではそこはサラリと話しましたが、本の中で私の心に残ったのは「天真」という言葉です。
菅野すがとの関係で幸徳秋水は仲間たちから激怒されます。
しかし、当時、獄中にいた堺は妻にこう頼むのです。
「幸徳の心労はよく分かるが、あなたから「天真」を返しておくれ」
為子は、その言葉に関して、こう書いています。
「私たち二人の結婚に際して、多くの反対者の中から「天真にやれ」と励ましてくれた幸徳氏へ、そのままの言葉を私から返せ、といふのであつた」
黒岩さんはこう書いています。
堺は秋水の気持ちを思いやり、自分が再婚したときに受けた批判も思い出して為子にこういったのだろう。他人はいいたいことをいうが、偽りのない天然自然のままでやれ、と秋水を励ましたのだ。
節子と私の結婚も、実は周りからはいろいろと噂されました。
突然の結婚、しかも結婚式さえ挙げずに同棲生活となれば、当時はまだなにかと指差される時代でもありました。
ものすごい大恋愛という噂もあれば、いささか誹謗にも感じかねない噂もありました。
そもそも最初はそれぞれの両親からもあまり歓迎されていなかったのです。
しかし節子の両親は私と会ってすぐに、私の両親も節子に会ってすぐに、意を翻して喜んでくれました。
私たちは二人とも「天真」だったからです。
しかし、節子は親戚の人たちからはかなり厳しい批判を受けたようです。
私たちの「天真さ」が、そうした批判も解きほぐし、私の評価がまあそれなりのものになるまでには、それなりの時間がかかったはずです。
その間、節子はもしかしたら辛い思いをしたかもしれませんが、まあ節子も「天真」でしたので、あんまり辛くなかったかもしれません。
パンとペンを読んで、「天真」と言う言葉に出会った時には、その頃のことを思い出したのです。
黒岩さんは気のせいか最後に少し涙ぐみました。
それと同調するように、私も突然に涙が出てしまいました。
黒岩さんの涙はたぶん講演を成し遂げた歓びの涙だったと思います。
それほど素晴らしい講演だったのです。
私の涙は、節子に聴かせてやれなかった無念の涙でもありました。
あれほど黒岩さんの活躍を楽しみにしていた節子がいないことが無念でした。
講演が終わった後、ジュンがつくったマリアのタイルを黒岩さんに差し上げました。
マリアが黒岩さんを守護してくれるように祈りました。
阿修羅とマリアの相性がいいといいのですが。
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