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2010/10/07

■節子への挽歌1131:人は悲しみに出会うたびに優しくなる

人は悲しみに出会うたびに優しくなれます。
悲しみに出会わなくても優しい人もいるかもしれませんが、そういう人も、悲しみに出会うことでさらに優しくなれます。

しかし、悲しみがすぐに優しさを与えてくれるわけではありません。
人は、それぞれに悲しみを抱いているものです。
あまりに深い悲しみに襲われると、そうした当然のことが見えなくなるのです。
自らの悲しみが、底のない深みへと向かいだす。
その過程では人は優しくなどなれません。
むしろ意地悪になり、卑しくなりかねません。
奈落へと落とされた自らの命運を呪いたくさえなるのです。
私がまさにそうでした。

しかし、周りが見え出すと、心は反転します。
そして優しくなれることに、ようやく気がつくのです。
それは、自らが無数の優しさに包まれていることを感ずるからではありません。
むしろ無数の悲しさが世界を覆っていることに思いが至るからです。
愛する人を失ったのは自分だけではないのです。

優しくなるとどうなるか。
私の体験からいえば、「生きやすく」なります。
その一つの理由は、悲しみの閾値が広がるからです。
悲しみを体験すると、それを超える悲しさでなければ、乗り越えやすくなります。
さらに、自らの悲しさを通して、他者の悲しさがよくわかるようになります。
そして、悲しみこそが生きることの豊かさなのだと気づくのです。

悲しみに気づくことなく歳を重ねていく人もいるかもしれません。
しかし、自らをしっかりと生きていたら、悲しみのない人生などありえないでしょう。
悲しみがあればこそ楽しさがある、悲しみがあればこそ幸せがある。
負け惜しみに聞えるかもしれませんが、今の私の素直な気持ちです。
人は悲しみを重ねることで、優しくなっていく。
そんな気がします。

これは「可能性」の話です。
悲しみに出会って優しくならない人もいるでしょう。
しかし私は、節子と別れたことで、優しくなれたと思います。
その証拠に、涙を流すことが増えています。
涙と悲しさは関係ないといわれればそれまでですが、涙が出ると、とても優しい気分になれるのです。

私の涙の源泉は、いまはすべて節子です。

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