■節子への挽歌1126:人によって時間の進み方は違います
節子
久しぶりにチビ太の散歩に行きました。
歳のせいであまり散歩もできず最近は庭を歩いたり、家の前だけで済ませたりしていますが、今日はめずらしく通りに出て、自分から坂を下りだしたのです。
もっとも時々よろけるので、ゆっくりと注意しながらの散歩です。
お医者さんも、奇跡的な回復だと言っているそうです。
チビ太とゆっくり散歩しながら、節子との散歩を思い出しました。
節子との散歩も、ゆっくりでした。
ゆっくり歩くことの大切さを、最近また忘れてしまっているのに気づきました。
しかし相手の時間に合わせて歩かないと相手は理解できないことだけは、しっかりと覚えています。
これも節子から教えてもらったことですが、時間は人によって、状況によって、まったく違うのです。
時計の進む速度は同じように見えますが、たぶん違っているのです。
にもかかわらず、時計を見るとみんなの時計が同じ時間を指しているのか、とても不思議です。
それに、時間はだれにでも平等に与えられてはいるということはありません。
自分の時間、相手の時間、その違いをきちんと知ることが大切です。
象の時間とねずみの時間が違うように、人もそれぞれ違う時間を生きているのです。
チビ太と歩いていて、そんなことも思い出しました。
たまにはチビ太の散歩もしなければいけません。
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