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2010年11月

2010/11/30

■節子への挽歌1184:般若心経が口から出てこない

節子
毎朝、節子の前で般若心経を唱えていますので、般若心経はしっかりと暗誦できるようになっていると思っていました。
ところが、先日、親戚のお葬式に参列させてもらい、みんなで般若心経を唱えることになりました。
予め経文はみんなに配られたのですが、部数も不足していたようですので、私は大丈夫ですと受け取りませんでした。
そして、いよいよ読経が始まりました。
毎日暗誦している者としては、元気よく唱え始めたのですが、すぐに言葉が出てこなくなったのです。
いつもよりもとてもゆっくりしたテンポだったからだろうと思いました。
いつも私があげている速度に比べると3分の1くらいの速さでした。
間が長いために調子が狂い、次の言葉が出てこなくなってしまったのです。
みんなは経文を読みながらですので、スムーズに読経しているのに、私はいささかうろたえてしまい、隣の人の経文をカンニングしながら、やっと何とかしのげましたが、そんなことをしていたので心の入れようがありませんでした。
実に恥ずかしい話です。

翌日、節子の位牌の前で、その時のことを思い出して、ゆっくりと般若心経を唱えてみました。
昨日とは違って、うまく言葉が出てきました。
となると、昨日、言葉が出てこなかったのはスピードのせいではなかったのです。

では何のせいだったのでしょうか。
そこでまたつまらない推論になってしまうのですが、私の般若心経は節子との競演なのかもしれないということです。
位牌の前だけではありません。
お墓の前でもきちんと唱えられるのです。
しかし節子がいない場合には言葉が出てこない。
まだまだ精進が足りません。

読経は不思議なものです。
彼岸とつながる呪文かもしれません。
そして頭から出てくるのではなく、心から出てくるような気もします。
私の場合は、まだ頭でしか暗誦していないのかもしれません。
節子はきっと私の未熟さを見透かしているでしょう。
私と違って、節子は直感的に真実を見る目を持っていましたので。
どんなに着飾っても、私の小賢しさは節子にはいつも見抜かれていました。
いまもきっとそうでしょう。
お経はもっと心を込めてゆっくりと唱えなければだめよ、と笑っている節子が目に浮かびます。

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■節子への挽歌1183:最高の親孝行

節子
挽歌はさぼっていましたが、昨日、娘たちとお墓参りに行きました。
お墓の横に植えていた菊が満開でした。

節子の墓地にあるお寺は昔の城址にあります。
本堂の前からは我孫子の町の一部が展望できます。
その町を見下ろしながら、節子と一緒に両親の墓参りを来たことを思い出します。
このお寺には私の両親もお世話になっています。
節子が元気だった頃は、毎年元日に必ず家族でこのお寺にお参りに来ていました。
除夜の鐘をつきに、みんなで来たこともあります。
思い出もそれなりにあるお寺なのです。
高台にあることもあって、お寺の雰囲気は明るいのですが、明るいのは高台だけが理由ではないでしょう。

私は以前、墓地に「怖さ」を感じていました。
特に20年ほど前に、スイスの墓地を訪れた時には彼岸に引きずりこまれそうな恐怖感さえ持ちました。
しかし不思議なことに、節子が埋葬されてからは、墓地への恐怖感は一切なくなったのです。
人の意識はこれほど変わるものなのかと思ったほどです。
最近の霊園は公園のような設計にさえなっていますが、節子のお墓のある墓地は昔からある墓石だけが並んだ墓地です。
しかし、ご住職たちがいつもきれいにしてくれているおかげで、いつ行っても気持ちよくお墓参りさせてもらえます。
節子も居心地が良いでしょう。

お墓には私の両親も入っています。
いつも「節子また来たよ」と声をかけると、娘たちが「粂治も八重子もいるよ」と言います。
わが家では名前で呼ぶ文化なので、おじいちゃん、おばあちゃんとは言わないのです。
それで慌てて、2人の名前も付け加えます。

私は両親にとって、あまり良い孝行息子ではなかったかもしれません。
しかし、両親がとても気にいっていた節子を、私から両親に預けたことが最高の親孝行と言えるでしょう。
あまり親孝行ではなかった私の代わりに、節子はきっと彼岸でも私の両親を幸せにしていてくれるでしょう。
感謝しなければいけません。

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■節子への挽歌1182:挽歌をさぼってしまいました

節子
少しご無沙汰してしまいました。
この数日、挽歌も時評も書けずにいました。
時間がなかったわけではありませんし、節子のことを忘れたわけでもありません。
なぜか「すべてのことが面倒くさくなったしまった」というのが正直のところです。
何もしていなかったわけではなく、いろんな人に会ったり、集まりに参加したりはしていました。
しかしどうも「自発力」が出てきません。

いろんなことに関わりすぎているための「疲れ」かもしれません。
最近は「重い話」が少なくありませんでした。
まだ解決していないことも少なくありません。
いや取り組めないでいる問題も少なくないのです。
夢にまで見ることもあるのです。
節子がいたら、その半分を背負いあってくれたでしょう。

この数日、気になりながら、挽歌を書こうという気が起きなかったのは、それもまたきっとそれなりの理由があるのでしょう。
ようやく書く気になってきました。
今日は一気にたくさん書いてしまいましょう。
いろいろと約束している用事も多い1日なのですが。

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2010/11/27

■節子への挽歌1181:選挙応援の思い出

節子
この数日、また時間破産になり、昨日は挽歌が書けませんでした。
明日はがんばって2編書こうと思いますが、明日も何かとばたばたしそうです。
実はいま来年の1月に予定されている地元の我孫子市市長選に立候補を決意した40歳の坂巻さんを応援したくなってしまったのです。
今日も昼と夕方、坂巻さんの事務所に行く予定です。

節子がいたら、節子もきっと一緒に応援活動に参加したでしょう。
私よりも役に立ったはずです。
私が呼びかけられる人数に比べたら、節子はずっと多かったでしょうから。

私たちは必ずと言っていいほど、選挙は一緒に行きました。
私はいつも誰に投票するかを公言していましたが、節子は投票所を出てくるまでは誰に投票するかを言いませんでした。
投票を終わってから訊くと教えてくれましたが、私とは違った人への投票が半分くらいでした。
私よりも「革新的」でした。
ただし若干、外見に影響されるところがありました。
節子はどちらかといえば、「面食い」だったのです。
自分が面食いだと気づいたのは、私と結婚した後でしたから、ときどき、なんで修と結婚したんだろうと悔しがっていました。
私と結婚した頃は、まだ「初心すぎるほど初心」で、結婚の意味さえわかっていなかったのです。
まあ、それは私もほぼ同じだったので、決して私がたぶらかしたわけではないのです。

もう10年以上前ですが、私たちがやっていたオープンサロンに良くやってきていた人が、突然、衆議院銀選挙に立候補するといって会社を辞めてしまいました。
茨城県の人でしたが、その事務所開きに節子と一緒に行きました。
突然の立候補、しかも国会議員。当選の可能性はほぼゼロでしたが、彼はともかく立候補したかったのです。
ともかく明るい選挙にしたいと思い、彼の歌を作ることを提案し、私が作詞し、別の友人が作曲しました。
節子はあんまり賛成ではありませんでした。
残念ながら落選してしまいました。

こうして書いてくると、ほかにも選挙にまつわる話を思い出しました。
もちろん節子と一緒の体験です。
思い出すと私たちは実にいろんなことを一緒にやってきたものだと感心します。
私は思いつくとすぐに動き出すのですが、いつも節子を道連れにしていたのです。
節子は私に振り回されていたのかもしれません。
もちろん私も節子の活動にささやかに参加したことはありますが、節子がそれを望んでいたかどうかは、今にして思うとよくわかりません。

節子は私に振り回されて疲れてしまったのかもしれません。
やはり悪いのは私なのでしょう。
いつも結論はそこに行きます。
自虐的な世界から抜けるのはどうも無理のようです。

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2010/11/25

■節子への挽歌1180:スモールワールド

節子
この挽歌を読んでくれている方から思いもかけないメールが来ました。
その方は私とはまったく面識がなく、偶然にもこの挽歌を見つけ、読んでくださっているのです。
私と同じく、伴侶を見送った方なのですが、先日、友人と食事をご一緒したそうです。
そこでいろいろと話しているうちに、なんとその友人が私の娘のジュンと知り合いであることがわかったのです。
おそらくスペインタイルの話題が出たのでしょう。
この挽歌にも、スペインタイルをやっているジュンは時々登場していますので、この挽歌の読者の方もジュンのことを知っていたわけです。
もちろん面識はないのですが。
その方もメールに書いてきましたが、まさに「It’s small world」です。

スモールワールドの理論はご存知の方も多いと思いますが、世界中の人は6~8人くらいの人を介してみんなつながっているという話です。
アフリカのキリマンジャロのふもとに住んでいる人と、私ともたぶん知り合いを辿っていくと8人目くらいにつながるはずです。
ましてや日本国内であれば、6人も辿ればつながるでしょうし、同じ市内に住んでいるのであれば、すぐにつながってしまうはずです。
ですから、この話は意外なことでもなんでもないのですが、やはり実際に起こると驚きますね。

世界はみんなつながっているのです。
時評編で何回か「無縁社会批判」を書きましたが、人はだれもがたくさんの縁に包まれながら生きているのです。
そしてしっかりとつながっているのです。

このスモールワールドの話を節子と話したことがあります。
もう20年以上前にテレビで実際に網走の漁村の身寄りのないお年寄りと東京の杉並区のある会社員とが何人の人を介してつながっているかの実験を放映しました。
たしか7人か7人でつながりました。
そのときにはとても驚いた記憶があります。
人はつながっている、その時に強く感じたことです。

アフリカのキリマンジャロの人と8人でつながるのであれば、彼岸の節子とは何人でつながるでしょうか。
彼岸も含めてスモールワールドであってほしいものです。
此岸と彼岸はほんとうにつながっていないのでしょうか。
どこかにつながる穴があいているかもしれません。
どなたかご存知だったら教えてください。
私なら、決してイザナギやオルフェのような失敗はしません。


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2010/11/24

■節子への挽歌1179:節子の電話

節子
DHB誌編集長の岩崎さんがお焼香に来てくれました。
岩崎さんとは最近はあまりお会いしていませんが、ダイヤモンド社がまだ虎ノ門にあったころはよく湯島にも来ていました。
あのころは湯島に行くといつも奥さんがいたし、電話をかけるといつも奥さんが電話に出られましたね、と懐かしそうに話してくれました。
たしかにそういう時代がありました。
当時の湯島は、いろいろな人が出入りしていました。
先週見送ったドキュメンタリー作家の黒岩さんもその一人でした。

節子は決して電話の受け方がうまかったわけではありませんが、ほめられたことがあります。
四国経済連合会から頼まれて講演に行ったことがあるのですが、そこの事務局長が、私の顔を見るなり、佐藤さんの秘書の方の電話応対は素晴らしいですねとほめてくださったのです。
その方からの電話には、私が不在で節子が出たのですが、その受け答えがとても印象的だったようです。
秘書ではなくて、女房ですと話したら、とても恐縮していましたが、夫としては何だかとてもうれしかったのを覚えています。
節子がどういう受け答えをしたかわかりませんが、その方はとても気に入ってくださったようでした。

私は電話の受け答えがとても下手です。
というか、電話があまり好きではないのです。
湯島で一緒に仕事をしていた時、私の電話を聴いていた節子からよく注意されました。
上からものを言いすぎるというのです。
私にはその気はまったくないのですが、そう聞えるというのです。
電話だけではありません。
来客が帰ると、先ほどの修の対応は相手に失礼だとよく叱られました。
椅子の座り方も注意されていました。
私は椅子にふんぞり返る癖があるのです。
別に偉ぶっているわけではないのですが、そのほうが身体が楽なのです。
しかしそれが節子には気に入らなかったのです。

岩崎さんは4時間も話していきました。
10年ほど前によくやっていた刺激的な話し合いのことをちょっと思い出しました。
節子が聞いていたら、また後でいろいろと注意されたことでしょう。

岩崎さんがなぜ湯島ではなく、わざわざ遠い我孫子まで来てくれたのか。
それも脳梗塞がまだ完全には直りきっていない状況の中で。
それはよくわかりませんが、3年たったいま、わざわざ我孫子まで来てくださる方がいるとは、節子も私も果報者です。
いえ、これも節子のおかげなのでしょう。
節子がいなければ、岩崎さんも我孫子までは来なかったでしょうから。
節子に感謝しなければいけません。

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■みんなが誠実に話し合えば社会は住みやすくなる

昨日の新聞に出ていた記事です。

新潟水俣病:松本環境相が現地訪問 責任を認め初めて謝罪
松本龍環境相は23日、新潟市を訪れて新潟水俣病3、4次訴訟の原告ら被害者約30人と面会し「熊本での教訓が生かされず、被害の拡大を防止できなかったことについて改めておわび申し上げたい」と国の責任を認め謝罪した。新潟水俣病で環境相が来県しての謝罪は初めて。
すべての問題の解決は、当事者が誠実に話し合うところから始まります。
ところが、「お上型社会」では、あるいは「顧客型社会」「管理型社会」では、誠実な話し合いがなかなか起こりません。
たとえば、最近また話題になっている学校でのいじめに起因する子どもの自殺の問題も、学校側はまず「防衛」から始めます。
子どもを失った家族への心遣いや誠実な話し合いは二の次にされがちです。
医療ミス問題も同じ構図があります。
すべてに優先して、まずは自らの落ち度をしっかりと認識し(問題が起こった以上、落ち度がないなどということはありません)、相手に誠実に伝えるところからはじめないと話はますますこじれていきます。
こじれてしまったら、誠実な話し合いは難しくなるでしょう。

熊本での水俣病の教訓は、そうしたことへの強い警告だったはずですが、それから半世紀以上経過しても、事態はなかなか変わっていません。
たしかに保証金も大切ですが、出発点は事実を誠実に認識することであり、もし幾分であろうと落ち度があれば謝罪からはじめなければ、事は前に進まないのは当然の話です。
その「当然のこと」が、政治や経済がからんでくると脇に置かれてしまいます。
アメリカで自動車事故を起こしても絶対に謝ってはいけないと昔よく言われていました。
謝罪したら自分が悪かったことを認めることになり、交渉が不利になるからだといわれていました。
常識的に考えれば、とてもおかしな話です。

新潟水俣病はまだ係争中です。
そのなかで、環境相が現地に出向いて謝罪したというニュースは、ちょっと元気が出るニュースです。
謝罪からきっと新しい動きも生まれるでしょう。
大臣であろうとだれであろうと、まずは一人の人間として、素直に行動すれば、この社会はもっと気持ちのいい社会になるのではないかと思っています。
人は、そもそもわかりあえる存在なのですから。

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2010/11/23

■「性別:男性 女性」

先日、イベントの参加者に意見を書いてもらうための様式を検討していた時に体験したことです。
属性欄に「性別:男性 女性」と書いておいたのですが、ある人が、男性と女性と二者択一にするのはよくないというのです。
私も属性欄はできるだけ自由に書いてもらうのがいいという意見の持ち主ですが、そういわれるまで性別は男女としか考えていませんでした。
言われて見れば、男性と女性のどちらかを選択させることはある意味での暴力性をもっていることに気づきました。
頭では世界の多様さを理解しているつもりでも、やはり実際には伝統的な発想に呪縛されているのです。
学習する組織という、新しい組織論を打ち出したピーター・センゲは友人との共著「プレゼンス」(邦題「出現する未来」)で、新鮮な目で見ることは、習慣的な考え方や見方をやめることからはじまると書いています。
しかし、習慣的な考えを保留すると生きていくために大きなエネルギーが必要になります。
習慣とは、人を生きやすくするための制度だからです。
ですから人は本来的に習慣や文化に従うように仕組まれています。
私の生き方のパラダイムは、かなり習慣から逸脱していると思っていますが、基本的には相変わらずの世界に浸りきっていることを思い知らされたわけです。

結局、「性別:   」と白紙にしたのですが、後で考えてみると、なぜ性別を訊く必要があるのかという気がしてきました。
まだまだ私の発想は自由になっていないようです。

もう20日以上前の体験ですが、頭から離れないので書いてしまいました。

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■節子への挽歌1178:葬儀は種としての人の存在を支えている仕組み

節子
またスランプです。
先週、2人の葬儀に参列して以来、気が抜かれたような気がしてなりません。

葬儀に行って感ずることがありました。
喪主の思いを、たくさんの参列者はわかっているのだろうか、ということです。
私も参列者ですので、その「わかっているだろうか」の対象者になるわけですが、喪主の気持ちなどわかりようもありません。
それを意識してしまうと、お悔やみの言葉さえ出てこなくなりがちです。

私が喪主だった節子の葬儀の時には、そんなことは考えもしませんでした。
現実を理解できないままに、喪主の役割を演じていたような気がします。
そのことを思い出すと、喪主自身も、自分の気持ちや思いにまだ気づいていないといってもいいのかもしれません。
だから葬儀にも出られるのです。
いま思うと、葬儀の2日間をよく無事に過ごせたものだと思います。
今では思い出すことさえ苦痛です。
あの時の私は、尋常ではなかったと思います。

しかし尋常でなかったからこそ、節子との別れを超えられたのかもしれません。
もし私に娘がいなかったら、私は生きる気力を失い、結果的に節子の後を追うことになったでしょう。
そうならなかったことが、私にとってよかったことかどうかはわかりませんが、愛する人を失った人が自らの生を絶つようになったら、種としての人の歴史は危機に直面するでしょう。
人のつながりは「愛のつながり」でもありますから、それが「死の連鎖」を起こしかねないことになります。
つまり「個別の死」は、個別の問題として切り離さないといけないのです。
そう考えると、葬儀とは逝ったものから残されたものを引き離す場なのかもしれません。

節子を見送った時に、たくさんの人が見送りに来てくれました。
しかし、あれは節子を見送ることによって、その世界に引きずり込まれようとしている私を現世に踏みとどまらせるためだったのです。
もちろん参列者がそんなことを意識していたわけではないでしょうが、葬儀の意味はそこにあることに気づきました。

私がいまここにいるのは、葬儀のおかげです。
そして私がいまここにいることで、死の連鎖が起こらずに、人類の歴史が続いていくわけです。
連続していた生命が切り離されて「個別の生」になった「種としての人」が、その当初より(ネアンデルタール人の頃より)、葬儀を営んできたことの意味がやっとわかった気がします。
葬儀は、種としての人の存在を支えている仕組みだったのです。


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2010/11/22

■民主党支持層は要するに無党派層なのでしょうか

昨日、松戸市の市会議員選挙がありました。
最近は市町村の選挙にまで最近は政党が出てくる時代になってきましたが、今回、民主党は11人が立候補し、なんと当選したのは2人だけだったそうです。
4人の現職も落選したそうです。
ある人は、民主党の衰退を示す歴史的な結果と伝えてきてくれました。
ちなみにみんなの党から出た新人2人はいずれも当選だったそうです。

国政レベルでの政党の人気にこれほど影響されることには驚きを感じます。
松戸市には自治がないのではないかとさえ思えます。
そもそも基礎自治体の議会を国会をモデルとして制度化したのが間違いだと私は思っていますが、それにしてもおかしな話です。

まあそれはそれとして、もう一つ気づいたことがあります。
それは、民主党支持層は結局は無党派層なのだということです。
確信を持って民主党を支持していたのではないのです。
民主党の政策はまさに曖昧で多様ですから、無党派層のとりあえずの受け皿だったのかもしれません。
つまり、そもそも民主党政権などと言うのは存在しなかったのです。
政権交代ではなく、政権崩壊と感じられるのも、そう考えると納得できます。
政権と言うものの意味合いが全く変わったのかもしれないのです。

そう考えてくると、今の日本は二大政党体制になっていないことに気づきます。
二大政党制などというのは20世紀の遺物だと考えている私にとっては、これは大きな発見です。
見せ掛けの二大政党制の実体はないのです。
これはうれしい発見です。

無党派層を政治に無関心の層と考えるのも間違いかもしれません。
政治への関心が高まっていくと、今の政党政治の限界が見えてきて、無党派層になっていく。
そして自らが主体的に考え出す。
ある時には自民党を、ある時には民主党を、使い込みながら、自らの考えを実現していく。
無党派層とは、実はそうした「したたかな市民」のことなのかもしれません。

やはり政党の時代は終わったのです
ところが現実は基礎自治体にまで政党依存の主体性のない議員が増えているそうです。
政党のほうに顔を向けて、地域を見ない地方議員が増えているわけです。
日本には地方政府発想がありませんから、そうなってしまうのかもしれませんが、地域主権体制が育ってくれば、状況は変わるでしょう。
どこで反転するかな、地域住民の意識にかかっているように思います。

松戸市市民の選択は、単に民主党不人気、みんなの党人気の結果ではないと信じたいです。

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■節子への挽歌1177:娘たちの同窓生の記憶に残っている節子

節子
年末のせいか、娘たちの同窓会が最近多いようです。
ところで、ユカもジュンも、同窓会に行くと友だちがいつも節子を話題にしてくれるのだそうです。
節子は娘たちの友だちの中にも鮮明に残っているようです。

小学生時代、ユカが休んだ時には近くのMくんが学級便りなどをわが家まで持ってきてくれる役だったそうです。
そのMくんは同窓会で必ずと言っていいほど、節子の話をしてくれるそうです。
ユカのお母さんは、いつも必ずお菓子をくれたんだ。
お菓子のせいで、節子の印象はとてもよいようです。

ジュンの友だちのSくんの話はこうです。
やはり小学生時代、みんなで遊びに来た時、節子が紅茶を出して、ミルクでもレモンでもお好きなほうをどうぞと両方を出したのだそうです。
Sくんは紅茶を飲むのは初めてで、なんだか大人になったような気分だったそうですが、初めてのことでもありミルクかレモンかは判断できず、欲張って両方入れてしまったそうです。
その結果、両者は分離してしまっておいしくなかったようです。
そこで無闇に欲張ってはいけないことを学んだというのです。
小学生に紅茶を出すのもいかがなものかという気もしますが、まあそれもまたいかにも節子らしい話です。

まあ、こんな話がいろいろあるわけです。
私だけではなく、いろんな人が節子のことを覚えてくれていて、話題にしてくれる。
残されたものにとっては、これほど嬉しいことはないのです。
覚えていてくれる人がいるかぎり、人は生きつづけているといってもいいでしょう。

節子はほんとうに愛すべき人でした。
その笑顔に会えないのがとてもさびしいです。

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2010/11/21

■我孫子市長選に向けて、坂巻宗男事務所がオープンしました

私は千葉県我孫子市に住んでいます。
来年1月23日に、その我孫子市の市長選が行われます。
私のホームページ(CWSコモンズ)ではすでに何回か書いていますが、その市長選に40歳の市会議員が立候補することになりました。
坂巻宗男さんといいます。
ホームページをご覧ください。
私はこれまで付き合いがあったわけではありませんが、急に応援したくなりました。
40歳という若さが応援しようと思った最初の理由ですが、坂巻さんが土と水に関わっていることが最大の理由です。
土と水に関わっている人に悪い人はいませんから。
対抗馬は現職市長の星野さんです。
2期目ですから、手ごわい相手です。

今日、その坂巻さんの事務所開きがありました。
狭い事務所にあふれるほど人が集まりました。
若い人も多く、活気にあふれていました。
司会も坂巻さんの同級生たちです。
来賓などという、相変わらずの旧体質のものもありましたが、挨拶は一人だけだったのがせめてもの救いでした。
我孫子市は28人の市会議員がいます。
対抗馬の星野さんの事務所はすでに先週開いていますが、そこに市会議員が16人集まったそうです。
坂巻さんの事務所開きに来たのは5人でした。
この数字からだけでも、坂巻さんが有利である事は間違いありません。
変革をもたらすためには、旧体制から自由でなければいけませんから。

私はこれまで、突然、国会議員や地方議員に立候補した友人の選挙に関わったことはありますが、我孫子市の選挙は初めてです。
しかし、3回ほど坂巻さんたちと話しあって、我孫子市での選挙活動の雰囲気は何となく見えてきました。
こういう場には書きにくいですが、いろいろと考えさせられることが多いです。
それはまたすべて終わった段階で少しずつ書きたいと思います。

ところで、今回の坂巻さんの選挙活動をできるだけ映像で残して、選挙後、映画にしようと考えている人がいます。
まさにDST、デジタル・ストーリー・テリングの世界です。
間違いなく、選挙に新しい風を吹き込むことになるでしょう。
私自身は、選挙そのものが住民の意識を変えるようなものにできないかと考えています。
選挙の意味が変わってきているはずだというのが、私の選挙観です。
いずれにしろ、今回の我孫子市長選挙は面白くなるでしょう。

我孫子市住民の方はもちろん、みなさんもぜひご注目いただき、もし関心があれば参加してください。
いろんな参加の仕方があるでしょう。

また時々、報告します。
できればホームページ(CWSコモンズ)の方も見てください。

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■節子への挽歌1176:みかんとゆず

節子
畑に植えていた、みかんとゆずが実をたくさんつけました。
最近はほとんど畑に行っておらず、手入れもしていないので、雑草が畑一面を覆っているのですが、奥のほうに植えていたみかんとゆずがたくさん生っているのに昨日気づきました。

Mikan

みかんの樹は、節子と一緒に茨城の植木屋さんに行った時に買ってきたものです。
植えた場所が悪かったのか、あまり大きくならず、節子がいるうちは、ほとんど実をつけてくれませんでした。
隣にはゆずがありますが、これもユカと一緒に節子が買ってきたはずだとジュンが教えてくれました。
樹はさほど大きくなっていないのですが、みかんは35個、ゆずは22個、生っていました。
見事な収穫です。

節子が病気になり、節子がいなくなってから、不思議なことにいずれの樹も大きくならず、実もつけませんでした。
それが今年は、大きくはなってはいないものの、果実をたくさんつけてくれたのです。
2本の樹も、喪があけたのかもしれません。

みかんとゆずは早速節子に供えました。
もっとも食べてみたらとてもすっぱくて、節子だったら食べられなかったでしょう。
節子はすっぱさに弱い人でした。
このみかんも、小さく切って、庭にある鳥たちの餌台に毎朝乗せたことでしょう。
節子がいないので、すっぱさを我慢して家族で食べることにしました。
節子を思い出しながら。

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2010/11/20

■社会の基本は血縁や地縁です

私と同じように、「無縁社会」という言葉に異議申し立てをしてきている一条真也さんが、「「無縁社会」という言葉を使うのはやめましょう」という記事を紹介してくれながら、自分のブログで、こう書いています

先日のNHK「無縁社会」特集番組には、内閣府参与の湯浅誠氏が出演していました。
湯浅氏は、「もう血縁や地縁に期待するのは無理なので、日本人は新しい縁を探さなければならない」といったような発言をされていたと記憶しています。
たしかに、今後は趣味の縁である「好縁」や、ボランティアなどで志をともにする「道縁」などの存在が重要になってくると思います。しかし、それよりも、まずは崩壊しかかっている「血縁」や「地縁」を再生することが最優先なのではないでしょうか。
わたしたちは、「血縁」や「地縁」をあきらめてはならないのではないでしょうか。

全く同感です。
ちなみに、血縁や地縁はもう期待できないという主旨の発言は湯浅さんに限りません。
テレビでも私は多くの人から同じような主旨の発言を聞いています。
そしていつもその人たちの見識のなさを寂しく思っています。
知識があっても見識がなければ、時代の流れに流されるしかありません。

私は「大きな福祉」を理念としたコムケアという活動に取り組んでいます。
活動に取り組んでいるというのは正確ではないかもしれません。
活動らしい活動は5年ほどでやめてしまったからです。
それでも、いまでもささやかながら活動は続けています。
最近取り組んでいる自殺のない社会に向けての活動もその一環です。
それはともかく、私の生き方それ自体が「大きな福祉」を核にしていますが、同時にそれはまた「血縁」と「地縁」が基本だと考えています。

前の記事でも書きましたが、社会とは人と人のつながりですが、そもそものつながりの起点は血縁と地縁です。
それで支えられていればこそ、そこからさまざまな縁が生まれていくのです。
「意識の世界」で創られた目的的な、あるいは機能的な縁と、生命や自然に根ざした縁とは、私には同じものとは考えられません。
知縁も好縁も志縁も、それぞれに大切ですし、いいものですが、やはりそこには何かが欠けているように思えてなりません。
そこに私は「近代の落し穴」を感ずるのです。

自殺未遂サバイバーの銀ちゃんに生きようと思わせたのは、他ならぬ妹さんです
改めて「家族」のあり方を考え直さなければいけないように思います。

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■節子への挽歌1175:痛みを体験したからこその健康的な生活

節子
あなたも会ったことのある経営雑誌編集長のIさんからメールが来ました。

大変ご無沙汰しております。お元気でいらっしゃいますか。
最近「医療問題」とりわけ「在宅医療」「地域医療」に興味を抱き始めました。
まだ、「何となく重要」程度の問題意識なので、まったくの門外漢です。
そういう意味で、まだまっさらでして、ならば佐藤さんにお目にかかって
いろいろな視点をうかがえればと存じます。
できれば、遅ればせながら奥様のご焼香を上げにうかがえればと思っております。

実はこの9月、人生初めての入院をしまして(2週間ほどですが)、
今月の25日まで休職しております。その後も、慣らし運転ですので、
いまは少し「金持ち」ならぬ「時間持ち」です。

Iさんは寝る時間も削るほどの仕事好きでした。
そのIさんが「時間持ち」。
よほどのことがあったのでしょう。

そう思っていたら、またメールが来ました。

実は、脳梗塞を患いました。
しかし、かなり奇跡的に軽度で、2週間で退院し、後遺症はほとんどない状況に回復しました。
ご指摘のように、天の摂理なのか、はたまた「見えざる偉大なる力」による警告なのか、わかりませんが、いまは健康的な生活をしています。

痛みの感覚は、痛みを持ったことがないと実感できません。
痛みは自らが感ずることで、意味を持ち出します。
頭で考える他者の「痛み」は、当事者の「痛み」とは似て非なるものでしょう。
「痛み」は決してわかりあえないような気がします。

Iさんはなぜ医療に関心を持ち、3年もたつのにわが家まで焼香に来てくれるのでしょうか。
20年来の付き合いなのですが、その心までは推し量れません。
しかし、死を感じた体験を経たIさんの、「いまは健康的な生活をしています」という言葉に込められた思いは伝わってきます。
痛みを経ればこそ、開けてくる健康の世界があるように思います。

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2010/11/19

■節子への挽歌1174:「じゃあ、またあした!」

節子
やはりまだ葬儀への出席は辛いものがありました。
人は立ち直れたようでも、ある風景で元の世界に戻ってしまうのかもしれません。
連日だったこともあるかもしれませんが、次第にあの日のことが浮かび上がってきて、しかもなぜかそれを語りたくなってしまうのです。
そして語ったことを悔いてしまう。
まだまだ自分が不安定な世界に浮いていることに気づかされました。

今日は黒岩さんの告別式でした。
黒岩さんの友人の宮崎さんが、弔辞の最後に大きな声でこう言いました。
「じゃあ、またあした!」
その言葉を聞いて、頭ではとても共感できる一方で、心身が少し震えました。
その「あした」はいつになったらやってくるのだろうか、と。

毎晩、節子の位牌壇の灯明を消す時に、私も「節っちゃん、またあしたね」と言っています。
そういいながら、実はどこかで、もしかしたら明日は節子に会えるかもしれないと思っているのです。
その「あした」がいつ来るのだろうと、時々思うのです。
そう思うことが、心身に平安を与えてくれるのかもしれません。

黒岩さんと節子と3人で食事をしたことを思い出します。
黒岩さんは新しい人生を踏み出そうとしている時でした。
たくさんの夢を語ってくれました。
当時はまさか、こんなことになろうとはみんな思ってもいませんでした。
これからは、こうやってゆっくり私たちと食事をするのも難しくなるかもしれないわね、と節子が黒岩さんに笑いながら話していたのを思い出します。

節子が逝った後、黒岩さんはわが家に献花に来てくれました
その時も、まさか黒岩さんが私を追い越していくとは思ってもいませんでした。
私ももう少し「あした」に向かって人生を急いだほうがいいのでしょうか。

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2010/11/18

■「無縁社会」という言葉を使うのはやめましょう

「無縁社会」と言う書名の本が出版されました。
NHKはどこまでもこの言葉を流行らせたいようです。
また商業主義の流行語大賞などといったおかしなイベントでもこの言葉が話題になるのでしょう。
なんとまあ腹立たしいことか。

11月5日に、みんなが安心して暮らせる「シェルター」を考える公開フォーラムを開催しました。
そのワークショップの最後で、私が話させてもらったことの一部を紹介させてもらいます。

最近、無縁社会という言葉がよく使われるようになりました。
私はそのことをとても残念に思います。
たしかに、一見、無縁社会であるように感じさせる事件は少なくありません。
しかし、本当に無縁社会と言っていいのでしょうか。
言葉は現実を説明すると同時に、新たな現実をつくりだします。
そこに大きな懸念を感じています。

人は一人では生きられません。
見えなくても、気づかなくても、様々なものに支えられて、私たちは生きています。
支えてくれているのは人かもしれないし、花や動物かも、自然かもしれません。
どんなに孤立しているように見えても、私たちは周りに支えられているのです。
そして、同時に私たちの存在そのものが、誰かの役に必ず立っているように思います。

それに気づけば、社会は決して無縁ではありません。
有縁社会、縁でつながっている社会です。
いま必要な事は、改めてそのことを意識することではないかと思います。
マスコミは無縁社会などという言葉ではなく、有縁社会という言葉を流行らせるべきだったと思います。
繰り返しますが、言葉は現実を作り出すのです。

周りにいろいろなつながりがあることに気づけば、それだけで私たちは生きやすくなるのではないかと思います。
人のつながりによってつくられる社会は、決して無縁であるはずはないのです。

みんなが安心して暮らせない社会だからこそ、閉じられたシェルターが必要であり、そういうシェルターをもっと増やしていくことも大切ですが、そんなシェルターがなくてもいいように、社会そのものをシェルターにしていきたいと思います。
今日は、それに向けての一歩だったのではないかと思います。
そして、このワークショップを契機に、参加者一人ひとりが、まずは周りでできることからはじめる、次の一歩を踏み出せればと思っています。

有縁社会の中で、私たち一人ひとりにできることはたくさんあるのです。
「無縁社会」と言う言葉は、それを壊していきかねません。
NHKの無責任さと無知さ加減には腹が立ちます。

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■節子への挽歌1173:生命の価値

節子
黒岩さんの訃報が新聞に載ったこともあって、いろいろな人から電話やメールが来ます。
節子がいなくなってからまったく音信不通だった人からまでメールをもらいました。
なにやら複雑な気分です。
人の死は、やはりちょっと尋常でない状況を生みだすのでしょう。
そこにこそ、生命の大きな価値があるのかもしれません。

もう25年ほど前になりますが、父を見送った時の葬儀で久しく会っていなかった遠戚の人に会いました。
父の葬儀でもなければ会うこともなかったかもしれません。
人は最後に、残されたもののために、さまざまな出会いを作ってくれるのです。
母を見送った時も、節子を見送った時も、同じ体験をしました。
電話をかけてきてくれた一人の人は、黒岩さんの講演会で昔一緒に仕事をした人に出会えた、黒岩さんが引き合わせてくれたんですね、と話してくれました。
そういう出会いもあります。
人との別れは、人との出会いとセットになっているのです。
これも生命の価値かもしれません。

出会いはなにも新しい他者、懐かしい他者との出会いだけではありません。
もう一人の自分との出会い、あるいは忘れていた自分との出会い。
さらには、見えていなかった友人知人の新しい側面との出会いもあります。
そして世界は変わっていくのです。

黒岩さんの訃報を知って1日がたちました。
少しだけ受け入れられるようになってきました。

今日はこれから親戚の若者の葬儀です。
黒岩さんの葬儀と完全に重なってしまいました。
黒岩さんとの別れは、明日にさせてもらいます。
明日は節子と一緒にお別れに行く予定です。
節子と一緒に行動できる、これも生命の価値の一つかもしれません。
おかしな言い方ですが、生命に関わる時には生死はあまり関係ないのかもしれません。

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2010/11/17

■節子への挽歌1172:追悼

節子
黒岩さんが逝ってしまいました。
聖路加に転院して3日目でした。
阿修羅を守ってくれるはずのマリアの祈りも届かなかったようです。
覚悟していたこととはいえ、あまりの早さに訃報に接した時には呆然としました。
付き添っていてくれている人から、転院後、「りんごもスプーン3杯食べてくれました」とメールが来たばかりでしたのに。
人の死は、かくも突然にやってくるのです。

節子のことがどうしても重なって、どうも現実感が持てません。
現実と思いたくないという思考が働いているようです。
しかし、これは間違いのない事実です。
節子の時の何とも言えない悔しさを思い出します。

節子
もうじき黒岩さんに会えますね。
黒岩さんからたくさんの話を聴いてください。
節子がよく言っていたように、話しだしたら止まらない人ですから。

今日はほんとうに寒い1日でした。
心身が冷えてしまっています。
そのわけがわかったような気がします。

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2010/11/16

■節子への挽歌1171:プログは多くの人へのプレゼントです!

節子
愛する人と会えなくなると、人は多かれ少なかれおかしくなります。
私も節子を見送ってからの1年は、間違いなくおかしかったのです。
今思い出しても、おかしな自分を思い出します。
心が壊れていたのかもしれません。
今もおかしいかもしれませんが、それはそれなりに安定しているように思います。

この挽歌の読者のIさんも、私と同じく伴侶を見送りました。
この挽歌を読んで訪ねてきてくれましたが、たぶん私も彼女も心が壊れていた状況だったかもしれません。
私は彼女の言葉にかなり反発し、お互いにあまり良い出会いではなかったともいます。
そのIさんから、これまであまりなかったような素直なメールが来ました。

ここしばらく鬱状態でした。
何もする気がせず、人とも会わず死んだも同然でした。
〔人はどんな状況においても、生きなければいけません、生まれてきたのだから〕

シンプルだけどドキッとさせる言葉です。
長いこと、浴槽に浸かっていました。
熱いミルクテイをつくりました。
生きている、生きている。・・・・・・・・どのような意味があるのでしょうか?

難しい事は言わずに、人に喜んでもらえる物作りの世界にもどります。
佐藤さん   有難う。

口の悪いIさんからこんなメールが来るとは思ってもいませんでした。
このメールのタイトルは、「プログは多くの人へのプレゼントです!」。
お互いの心が少しずつ平安に向かっていることを感じます。

人の心は、実に実に微妙です。
読者に平安をプレゼントする挽歌を書きたいと思っていますが、なかなかうまくはいきません。
でもまあ、今回はIさんからほめられたので、少し成長しているのかもしれません。
Iさんが元気になっていくと、もっとうれしいのですが。

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2010/11/15

■節子への挽歌1170:今日は瞑想です

節子
最近は連日、いろんなことがあります。
元気がでる話もないわけではありませんが、辛い話が多いのです。
節子がいないせいか、そうした話に応える気力は弱まっているようです。
辛い話は書くことによって克服されることもありますが、封じ込めたい話もあるものです。

今日は節子の写真を見ながら、慰めてもらうことにします。
節子の写真を見ていると、心が少しあったかくなるのです。
昔は涙が出たのに、不思議なものです。
もちろん悲しさや寂しさには何の変化もありませんが、最近は節子の写真が元気をくれます。

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2010/11/14

■節子への挽歌1169:朝早い電話

節子
朝早い電話は好きではありません。
いつもドキッとします。

しばらく会っていない従兄がいます。
なぜか先週思い出し、私も少し落ち着いたので久しぶりに会ってみようかと思い出していました。
電話は、その従兄からでした。
「息子が亡くなった」
思ってもいなかった電話でした。
息子さんは40代半ばです。
脳梗塞だったようです。

親にとって子どもを見送るほど辛いことはないでしょう。
伴侶を失うのとはまた違った悲しみでしょう。
私には想像もできません。
しかし、どんなに悲しくても、辛くても、生きていかなければいけません。
生まれてきたのですから。

今日、自殺未遂サバイバーと名刺にまで書いている吉田銀一郎さんが、湯島で開催したネットワーク・ささえあいの交流会に来てくれました。
死のうと思っていた頃、妹さんから「なぜ生まれてきたと思う?」と問いかけられたのが契機になって、すべてをカミングアウトして、いまは元気に活動しています。
生まれてきたからには、生きなければいけません。

子どもを見送ったり、妻を見送ったりする人生であれば、生まれたくはなかったと思いたくもなりますが、それまでの間、子どもや妻からもらったたくさんの幸せを考えると、たとえどんな人生であろうと、生まれてきてよかったと思えるはずです。
幸せがあればこそ、不幸があるのです。

前にも一度書きましたが、幸せも不幸も、もしかしたら同じものなのかもしれません。
しかし、子どもを見送った従兄夫妻のことを考えると心が痛みます。
その痛みは、節子を見送った体験があればこそのものです。
その体験のない人にはわかるはずもないと、今も私は思います。
それは、愛する者を見送ったことのない人には絶対にわからない痛みなのです。

吉田銀一郎さんとは会った途端に心が通い合ったような気がしました。
今日、彼と話していて、その理由がわかりました。

人は生きなければいけません。どんな状況においても。

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■保険技術の国家独占

私のホームページ(CWSコモンズ)にも書いたのですが、先日の共済研究会で明治大学の押尾さんから、保険技術がいま国家によって独占されようとしているということを気づかせてもらいました。
これまでも押尾さんのお話や書いたものに触れているのですが、なぜかこのことに気づきませんでした。

慌てて押尾さんの書いたものを読み直してみました。
たとえば、こんな文章がありました

。「同じ保険技術と言っても、これは保険会社の独占的な私有物ではありません。客観的な自然科学や統計学または確率論などを基礎にして、たまたま保険会社が先に事業を起こしただけです。ですから、この技術は、国民みんなのものです。また、すでに保険会社の保険には国民多数が入っていますから、保険事業は国民を見た事業運営をしなければならないはずです。しかし、残念ながらそうなっていないところに協同組合あるいは協同自治的な組織で共済事業を行わなければならない、客観的な理由があります」
保険とは専門的にはいろいろと定義があるのでしょうが、素朴に考えれば、個人のリスクを複数の仲間で分担するための仕組みと言っていいでしょう。
残念ながら現在の保険事業が必ずしもそうなっていないことは前にこのブログでも書きましたが、それでも保険に関する知見の蓄積は大きな知の財産だと思います。
それも参考にしながら、共済事業も発展してきました。

ところが数年前に、日本では商法から保険業法が切り離されるのを契機に、小さな共済活動までもが存続の危機にさらされました。
これに関しては、このブログでも何回か書きました。
私自身は、そこに日本の文化の一つであった「共済文化」が壊されようとしていることに危機感をもっていました。
幸いにその動きはぎりぎりのところで踏みとどまったかと思っていたのですが、昨日、共済研究会で押尾さんの話を聴いて、改めて問題の根深さに気づきました。
保険技術の国家独占、まさに生政治の必然的結果なのかもしれません。

この視点で改めて、最近のセーフティネットや社会保障を考え直して見なければいけないことに気づきました。
社会の行く末が何となく見えてきます。
40年ほど前に盛んにSFの世界で語られていたことが現実化しつつあることに驚きを感じます。

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2010/11/13

■節子への挽歌1168:伴侶の存在の意味

節子
昨年、活動を再開して以来、さまざまな新しい出会いがありました。
さまざまな新しい活動、さまざまな新しい事件、いろいろありました。
時にワクワクするような話もあり、時に悲しい話もありました。
しかし、どうも以前と何かが違うような気がしてなりません。
世界が「平板」になってきているような気がするのです。
その理由に、最近少し気づきだしています。

伴侶の存在の意味は、もしかしたら世界を立体的に見るためなのかもしれません。
人間は2つの目を持っているおかげで、世界が立体的に見えるといわれます。
しかし最近話題の3D映画でわかるように、立体的に見えるのは目がふたつあるからではありません。
対象もまた立体的な仕組みでなければいけません。
これまでの映画は2つの目でみても必ずしも立体的には見えません。

節子がいた時、私は4つの目で世界を見ていたような気がします。
伴侶の存在は、世界を広げ深めてくれます。
私が見えない世界を、節子は見えるようにしてくれていました。
そのことを、最近強く感じます。
節子がいなくなったために、目が2つになってしまい、世界が平板に感じられるようになってきたのです。

もちろん目だけの話ではありません。
正確に言えば、伴侶である節子の心身は私の心身の一部になっていたのです。
だから喜びも悲しみも、世界の意味も、節子がいなくなってからは全く違うものになってしまったのかもしれません。
節子がいなくなってからしばらくは、この世界がとても居心地が悪く、自分の立脚点がとても不安定だったのは、そのせいだったのかもしれません。

世界が平板になるとどうなるか。
表情が感じられなくなるのです。
あるいは一元的な見え方がしてくるのです。

このことは、最近の世相とどこかでつながっているような気がします。
人にはやはり伴侶(配偶者である必要はありませんが)が必要なのです。
そうしないと、世界はモノカラーの平板な世界になってしまいがちです。

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2010/11/12

■重大犯罪の服役者、出所後3割が再犯がいうことの意味

今日、法務省から発表された「犯罪白書」によると、出所した服役者の再犯率が高くなっているそうです。
これは大きな問題です。
裁判ではよく「更生の可能性がある」という理由で刑が軽くなることがありますが、可能性がしっかりと現実のものにされる仕組みがないということです。
司法制度の目的は「裁く」ことにあるのではありません。
社会の秩序を維持して、みんなが安心して暮らせる社会にすることにあります。
刑務所の役割は、処罰と共に更生にあると思いますが、更生は刑務所だけで取り組める問題ではなく、社会の仕組みにも大きく影響しています。
裁判員制度によって、一般生活者が裁判に参加させられるようになってきていますが、その前に取り組むべきは処罰・更生の仕組みへの参加だったのではないかと思います。

ある本(「アメリカン・デモクラシーの逆説」)によれば、アメリカでは収監者100人当たり約30人のスタッフが雇用されているそうです。
「監獄の運営を含め、警備・拘禁・矯正に関係するセキュリティ・サービス産業は、アメリカ国内の三大民間雇用企業(ウォルマート、マクドナルド、UPS)の総従業員数を超える雇用を創出している」とも書かれています。
「軍産複合体」ならぬ「獄産複合体」と皮肉る向きもあるそうです。
人間の生存に関わるセキュリティの問題は、社会当地のど真ん中にあるテーマです。
そこを押さえれば、社会は如何様にも動かせるのです。

ところが、いまそのセキュリティが危ういものになってきています。
これは「統治の失敗」とも考えられますが、むしろ「統治の手段」とも捉えられるところが悩ましいのです。

アメリカでは「恐怖の文化」が広がっています。
そうした状況の中で、監視社会化、訴訟社会化が進展してきているわけです。
信頼関係が大切だという、ソーシャル・キャピタル論議が高まっている背景には、言うまでもなく、それが欠落してきているという現実があるわけです。

幸いに日本はまだ「恐怖の文化」が広がっているわけではありません。
しかし状況はさほど楽観はできません。
そのひとつの兆しを、私は再犯率の高まりに感じます。

いささか極端な暴言を吐けば、再犯率が高まれば高まるほど、実は司法にとっては自らの存在価値を高め、活動がしやすくなるという、皮肉な現実もあります。
個々にも、近代が抱える「ジレンマ」があるのです。
ジレンマは、産業のジレンマだけではないのです。

人を裁くシステムを根本から問い直す時期ではないかと思います。

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■節子への挽歌1167:彼岸との「つながり感」

節子
気持ちのいい秋晴です。
空を見ていると、その青さの向こうに、彼岸が開けているのではないかという気にさせられます。
不思議なのですが、青空の日は明るいつながりを、雨の日は悲しいつながりを感じます。
もちろん「彼岸とのつながり」のことですが。

映画『うつし世の静寂に』をプロデュースした小倉さんが、挽歌を読んで、
「(そのなかに)人が本当に「見えないもの」を信じ、「つながりあう」ためのヒントが秘められているように思われます」
と書いてきてくれました。

見えないものと見えるものと、どちらが信じられるのか、これは人によって違うでしょうが、私はどちらかといえば後者です。
仏教的かもしれませんが、形あるものは崩れやすく、形のないものは崩れることがないからです。
もっとも形のないものをどう見るかは難しい問題です。
形のないものは範囲がなく、その見方によっては如何様にも変化します。
しかし、色即是空の感覚を持てば、見えるかどうかは瑣末なことになっていきます。

大切なのは「つながり感」なのかもしれません。
それが持てれば、心は平安になります。
こころを平安にしたのであれば、信ずるかどうかなどで迷ってはいけません。
すべてを信ずるだけでいいのです。

この頃思うのは、そうした「つながり感」をどれほど持てるかが大切だということです。
孤独とか孤立していると思う人は、疑い深いのかもしれません。
疑い深くなるには、それなりの理由があるのでしょうが、疑いだしたら疑いは際限なく膨らむものです。
節子のおかげで、私はそうした「つながり感」を育てることができました。
悲しく寂しくとも、心が平安になれるのはそのおかげです。

しかし、挽歌の世界を離れて、時評の世界になると心の平安は崩れます。
まだまだ未練がましく生きているのかもしれません。
挽歌と時評は時々クロスしますが、なかなか融合できません。

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2010/11/11

■節子への挽歌1166:ふたつの物語

節子
この挽歌では、節子がいなくなってからの「おろおろした自分」を素直に書いています。
おろおろどころか、いつまでも立ち直れずに、くよくよと繰言を述べているので、お前にはがっかりだよという人もいるでしょう。
仕事を頼みたくても、この人は大丈夫だろうかと思って頼む気にはならないでしょう。
最近は寄りつかなくなった人もいます。
しかし、これが私の実態ですから、隠しようもありません。

先日、自殺関連のフォーラムを開催しました。
参加者から、後日、間接的に聞いた自死遺族の方の話が心に残ります。
詳しくはお聴きしていませんが、その方は、家族の自死後も近隣の人たちに対して、何ごともなかったように凛として生きているそうです。
しかし、それは表面的なことで、がんばっている自分を演じているのです。
だから、同じ境遇の遺族の方たちと会をつくっています。
そこでは本当に自分をさらけだせるのだそうです。
彼女にとっては、そういう場だけが素直に自分を生きられる場なのかもしれません。
なぜそうなったかといえば、やはり最初にがんばってしまったからです。
家族の死にもめげずにがんばっている健気な人、彼女はその物語を生きているのです。
それが悪いわけではありません。
人によっては、そうした「物語」があればこそ、生きていられる人もいるからです。

私は全く別の生き方をしています。
節子を見送って、立ち続けられないほどに「おろおろ」「なよなよ」「くよくよ」してしまい、それを隠す余裕さえなかったのです。
最初にそうした「ダメさ加減を」を露呈してしまえば、途中から見栄を張ることなどできません。
それまでの私の「物語」は音を立てて崩れてしまい、私は新しい物語を創りださなければならなくなったのです。
私にとっては、まさにそれが「ナラティブ・セラピー」になっているわけです。

物語を演ずるか、物語を物語るか、ふたつの生き方があります。
私の性格もあるのかもしれませんが、後者の生き方がとても楽なような気がします。
その、がんばっている遺族の方に、おろおろする生き方を勧めたい気もしますが、それこそきっと余計なお世話なのでしょうね。
でもとても気になります。
物語を演じていると、いつか疲れるのではないかと心配です。

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■国家秘密を守ることで戦争まで行くこともあります

尖閣諸島沖での中国漁船衝突の映像を海上保安庁の職員がユーチューブで流したことに私は拍手を送ります。
もし私が同じ立場であれば、まずは上司に公開を訴え、3回やってもだめであれば、同じ行動が私の選択肢の一つになっただろうと思います。

テレビ報道を見ていると、彼の行為に関しては、国民の多くは支持し、いわゆる有識者は否定的です。
私が見た限りでは、明確に支持したコメンテーターは鳥越さんだけでした。
鳥越さんは、そもそもジャーナリストの仕事は国家の「秘密」を公開することであり、いつ罰せられても仕方がないという覚悟で仕事をしていると言いました。
とても納得できる発言です。

しかし多くの人は、組織の一員として組織の指示に従わないといけない、そうしないと行政や国家保護は成り立たないというのです。
組織の一員は「意思」を持ってはいけないというわけです。
70年前の日本では、そうしたことが戦争へと進む一つの原因だったことも忘れてはなりません。
御用学者や御用ジャーナリストが、それを加速させていったことは言うまでもありません。

たしかに官僚であれば、政府の方針には従うべきであり、それに異論があれば、組織内で先ず異論を唱え、それが受け入れられないのであれば、組織を辞めるべきでしょう。
しかし映像を公開したことは、海上保安庁という組織の大きなミッションには決して反してはいないように思います。
そもそもこの映像の公開が日本の立場を悪くするでしょうか。
政府が勝手に隠蔽したことこそが国家を危うくしているように思います
それに、公開された映像が、政府の発表していたことを否定することでもありません。
政府が「言葉」で話していたことが確認できただけの話です。
そこには「秘密性」は感じられません。
そこで明らかになってきたことは、尖閣諸島沖でこれまで、そしていま何が起こっていたかということです。
同庁の職員の発言によれば、今回のような衝突事件はこれまでもあったそうですが、私たちはそんなことを全く知らされてきませんでした。
それこそが問題であるように思います。

この事件に関していろいろなテレビ局で解説をしていた、この分野に詳しい山田教授は最初から、「海上保安庁の撮影の目的の一つは国民への説明責任を果たすため」と強調していました。
つまり「公開のため」に撮影しているわけです。
このことの意味がもっと議論されるべきだと思いますが、残念ながらその発言に関心を持つテレビ局もキャスターもいませんでした。
事実は公開されなければ、シビリアン・コントロールは成り立ちません。

公開した43歳の人の生活は壊されてしまうかもしれませんが、彼が守ってくれたものの大きさに、私は感謝しています。
もちろん彼が組織のルールに反したことで裁かれるのは仕方がないことです。
しかし、彼の生き様には拍手を送ります。

それにしても、彼をこういう状況に追いやった現政権の無責任さに怒りを感じます。
責任を取るべきは海上保安庁の長官ではなく、仙石官房長官だろうと思いますが、昨日の国会での仙石官房長官の答えには唖然としました。
卑劣な人はどこまでも卑劣です。

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2010/11/10

■節子への挽歌1165:生きるというのは遺されること

父親を見送ったという方からのメールに、
「生きるというのは遺されることなのだと感じずにはいられないこの頃です」
と書かれていました。

私の場合には、まさにその通りなのですが、私よりかなり若い人においても、遺されるという気持ちが生まれるのだと知りました。
おそらくこれもまた、日本的な死生観につながっているのかもしれません。

節子を見送った時に、私は自らの半身が削がれたような気がしました
言い方を換えれば、半身が遺された感じともいえます。
当時、節子がいなくなったにもかかわらず、なぜ私は生きなければいけないのか、という素朴な思いがどこかにありました。
残ったのではなく、遺されたのだと思えば、こんな思いは出てこなかったかもしれません。
遺された生は、私のものだけではなく、私たちのものだったのです。
そのことに気づいたのはかなり時間がたってからです。

個々の生命ではなく、生命のつながりによって構成されている「大きな生命」という生命観に立てば、「死」という概念はなくなります。
身体的な節子はいなくなったとしても、私のなかに節子はまだ生きています。
誰かが思い出している間は、個としての生命も存続していると考えていいでしょう。

父母を見送った時には、私はそんなことは考えませんでした。
しかし、時々、ふっと父母の生命を近くに実感することがあります。
父母の生命が、私の心身の中に間違いなく遺されているのです。
しかしそのことを意識したことはありませんでした。
あまりにも当然のことだったからかもしれません。

血縁のない節子との関係は、父母とはちょっと違いました。
しかも年齢的には節子は私よりも年下で、本来は私が見送られるべきだったのです。
節子が先に逝くなどということは、私には思いもしないことであり、ありえないことだったのです。
そのせいか、遺された事実をうまく受容できなかったのだろうと思いますが、素直に考えれば、生きるということは遺されることという表現はすんなりきます。

そして同時に、遺されるとは生きることなのだということもすんなりと受容できるようになってきました。

遺された心身を大事に生きなければいけないのかもしれません。
残念ながら、まだその気にはなれずにいます。
困ったものです。

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2010/11/09

■節子への挽歌1164:寒い冬がまたやってきました

節子
あまりお付き合いのない従姉から、つれあいを亡くした訃報が届きました。
80歳だったそうです。
従姉からの手紙には、

今思えば、修様の御心情よーくわかります。
愛する人の死はとても悲しゅう存じます。
と書かれていました。
この従姉は、節子の訃報を知った後、長い手紙をくれました。
その時、返信できたかどうかも、今は定かではありません。
当時、私は腑抜けのようにただただ悲しみの渦中にありましたから。

こんなことを言うと不謹慎ですが、訃報のはがきを読んだ時に、80歳まで一緒の人生を送れたことをとてもうらやましく思いました。
62歳で別れなければいけなかった節子のことを思いだしたのです。
でも、悲しみは年齢なのではないでしょうね。
いやむしろ、一緒に過ごした年月が長ければ長いほど、悲しさは大きいのかもしれません。
いや、これもまた不謹慎ですね。
悲しみは、一緒に過ごした年月とも無縁でしょう。
ともかく悲しいだけなのです。

また年賀欠礼の葉書が届きだす季節です。
その葉書を出せなかった、あの辛い冬を思い出します。
とてもとても寒くて暗い冬でした。

今年の冬は、青空を見上げることができるようになりました。
でも節子がいないために、今年もまた寒さはひとしおでしょう。
節子の温もりがとてもほしいです。

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■話し合いのモデル

昨日、久しぶりに衆議院予算委員会での議論を見ました。
あまりのバカらしさに、30分で辞めました。
同じ質疑が20分以上続いていたのです。
質問するほう(棚橋議員)もバカなら、応えるほう(首相)もバカ以外の何者でもありません。
人をバカよばわりするのはほめられる話ではないですが、バカというしかありません。
サルの議論を聞いているようでした。

国会でのやりとりを見ていて(以前はできるだけ見るようにしていました)、このやりとりを見たら子どもたちはどう思うかなといつも思っていました。
最近の小学校会では、自治会などというのはないのかもしれませんが、私の小学校時代は生徒たちだけで話しあう時間がありました。
その話し合いに比べてさえ、今の国会の話し合いは内容がありません。
話し合いではなく、けなしあいになっているからです。
話し合いは何かを生み出すために行われるべきものです。
その姿勢がほとんどありません。
ただ自己宣伝や相手をこき下ろすだけの発言者もいます。
そんなために私の税金は使ってほしくありません。

大人の話し合いは、子どもの話し合いの模範になるべきだと思っています。
特に国会での議論はそうあるべきだとずっと思っていますが、もしかしたら昨今の子どもたちの話し合いは、この国会議論をモデルにした結果なのかもしれません。

5日に、みんなが安心して暮らせる社会に向けてのワークショップを開催しました。
初めて会った人たちが90分、7~8人に分かれて話し合ってくれました。
最後に各グループから発表してもらいましたが、みんな異口同音に、とても気持ちの良い時間を過ごせ、いろいろなことに気づき、元気がでてきた、と言いました。
主催者としては、とてもうれしい経験でした。
しかし、私にとっては、別にめずらしいことではなく、ワークショップとはそういうものだと思っています。

私のオフィスで、支え合いをテーマにしたサロンを毎月やっています。
誰でも歓迎のサロンです。
時に議論が混乱することもないわけではありませんが、こんなに安心して本音を話し合えるホッとする場は初めてだという人も少なくありません。

こうしたことから、昨今は「気持ちのいい話し合い」「新しい価値が生まれる話し合い」が少なくなっているのかもしれないという気がしています。

話し合いは楽しくなければいけません。
どんなに意見が違って激しいやりとりをしても、です。

その社会(組織)がどんな社会(組織)なのかは、話し合いの姿を見ると見えてきます。

みなさんの周りの話し合いはどうですか。

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2010/11/08

■節子への挽歌1163:常世の一つの姿が「うつし世」

節子
黒岩さんの状況がよくありません。ますます祈らなければいけませんが、祈る時にいつも頭に思うことがあります。

私は此岸、小倉さんの言葉を使えば「うつし世」で祈っています。
節子は彼岸、「常世」で祈っています。
その祈りは、果たしてどういう意味を持っているかです。
つまらないことを気にすると笑われそうですが、とても気になるのです。
節子と一緒に祈ることは、彼岸への道をつくることではないかという気がするのです。

しかし先祖に向かって、子どもたちを温かく見守ってくださいねという祈りもありますから、彼岸の節子も、現世での黒岩さんの元気を願ってくれているはずです。
そう思う一方で、どこか割り切れないものがあるのです。
こんなことを考えているようでは、祈りにはならないかもしれません。
しかし、祈りながら2人の顔が出てくると、迷いが生じます。

そうした時に、昨日の映画で、祈りは彼岸と此岸のつなぎ目にあることを知りました。
そこで気づいたのは、彼岸と此岸はつながっているということです。
だからこそ死者への祈りが成立するのです。

なにやら最近ややこしい話が多いかもしれませんが、私の彼岸観はかなり変わってきました。
彼岸と此岸は別のものではなく、此岸は彼岸に組み込まれているような気がしてきたのです。
こう置き換えるとわかりやすくなるかもしれません。
常世の一つの姿が「うつし世」なのだと。

黒岩さんの平安を深く祈ります。
節子も祈っているでしょう。
その辛さを、節子はよく知っていますから。

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■自然との共生はおごり

昨日、由井英監督の映画「うつし世の静寂に」を見ました。
川崎市の土橋地区に残っている「講」をテーマにした映画ですが、講は仕組みだけではなく、それを生み出しているものを見つめなければ見えてこないと、由井さんは語っていました。
私もいま、仲間に呼びかけて「講」をつくろうと思っていますが、その言葉を聴いて、ハッとしました。
講は作るものではなく、生まれるべくして生まれるものなのです。
それは講に限りません。
すべてのものは、生まれるべくして生まれるのであって、その機が熟していなければ形だけのものになりかねません。
頭ではそのことを意識していたにもかかわらず、最近はそのことを忘れることがよくあります。
他者と関わる仕組みを自分ひとりで作ろうとするのは、おごり以外のなにものでもありません。
反省しなければいけません。

ところで、その映画にとても共感した言葉があります。
「自然との共生はおごりである」ということです。
自然との共生と言う言葉にどうも違和感を持っていたのですが、あまりきちんと考えたことがありませんでした。
でもどこかおかしい言葉だと思っていたのですが、それをこの映画のナレーションはスパッと言い切っています。
共生とは対等の立場の関係を前提としています。
人間と自然は対等な存在ではありませんから、共生などということはありえないわけです。
キリスト教的感覚では「自然との共生」はああるかもしれませんが、その自然観がいま問われだしているのです。
軽々に「自然と共生」などと言ってはいけないのです。

どうすればいいいか。
その映画では、自然に身を委ねるという言葉が使われていました。
それこそが日本の自然観だったように思います。
もちろんそれは自然の暴力に従順に従うということではないでしょう。
かつての百姓たちがやってきたように、自然の中で自然に生きるということでしょう。
それに、自然に身を委ねれれば、自然の暴力などありえないのです。

昨日の挽歌編に書きましたが、この映画は11月19日まで渋谷のユーロスペースで、その後12月3日まで横浜のシネマ・ジャック&ペティで上映しています。
とても示唆に富む映画です。

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2010/11/07

■政権交代ではなく政権崩壊

八ツ場ダムに関する馬淵国交相の発言には驚きました。
「私が大臣としては一切、『中止の方向性』という言葉には言及しない」と表明したというのです。
「中止の方向性を堅持する」と言っていた前原さんの発言はいとも簡単に覆されました。
もはや一体性を持った内閣とは言えず、趣味の集まりのようになってきてしまいました。
菅政権は年末までは持つまいと思っていましたが、どうも持ちそうなのは、この政権であることが多分野党にとっても民主党員にとっても望ましいことなのでしょう。
それにしても、次々と意見が違う大臣が出てきて、趣味で政治を動かしてもらうように成るとは予想外でした。
政権交代ではなく、政権崩壊だったのかもしれません。
それもまあ、意味があるといえばありますが。

民主党に期待した1年前の自分の不明さを、またまた恥じなければいけません。
もう主権国家の時代は終わったことの証左かもしれません。
それにしても、なぜこうもみんな信念を捨てるのでしょうか。
お金と名誉の魔力のすごさかもしれません。

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■節子への挽歌1162:祈りとは、ふたつの世をつなぐもの

節子
今日は小倉美恵子さんがプロデュースした映画「うつし世の静寂(しじま)に」を観にいってきました。
久しぶりに小倉さんともお会いしました。
お元気そうでした。

この映画は、小倉さんが住んでいる川崎市の土橋の地域に、いまも残っている講や神事などのドキュメンタリーです。
川崎という、まさに都会のど真ん中に、いまなおこうした講がしっかりと営まれていることに驚きを感じました。
たくさんの示唆と問題提起を含んだ映画です。
この映画のことは、時評編でまた紹介したいと思います。

映画には、その地域に長く住んでいる人たちの暮らしがていねいに描かれていました。
その風景が、節子の出身地である、滋賀県の高月で私自身が体験した風景にどこか似ているような気がしました。
似ているといっても、講や神事のことではありません。
なんとなく雰囲気が似ているということなのです。
おそらく40年ほど前までは、こうした風景が日本全国にあったのでしょう。
子ども時代も東京だった私には、残念ながらそうした体験はありませんが、
なぜかとても深い懐かしさを感じながら観ていました。
節子が子どもの頃を思い出して、私にたくさんのことを教えてくれていたのかもしれません。

それはそれとして、「うつし世の静寂(しじま)に」とは、実に心に響く言葉です。
パンフレットには、こう書かれていました。

うつし世は「現世」、
常世は「来世」。
ふたつの世を「素朴な祈り」で
つないできた暮らしが
今、静かに語りかける。

祈りとは、ふたつの世をつなぐもの。
1時間半の映画を、節子と一緒に堪能したような気分です。

この映画は11月19日まで渋谷のユーロスペースで、その後12月3日まで横浜のシネマ・ジャック&ペティで上映しています。

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■テレビを活用した国会運営

NHKの今朝の日曜討論を久しぶりに聴きました。
それを聴きながら、なぜ国会ではこうした議論ができないのだろうかと不思議に思いました。
NHKの番組としてではなく、国会のひとつの場として、党首などが定例的に公開会議をして、それをNHKに限らず、すべてのテレビ局に放映させたらと思います。
国会審議はなにも議事堂だけで行う必要はありません。
それに国会審議はあまり内容がありません。
単なる受け答えだけですから、見ていても退屈ですし、そこから新しい知恵が出てくるわけでもありません。
つまり「審議」でも「会議」でもないのです。

民放もさまざまな政治家の話し合いの場をつくっていますが、いずれも出演者も議論の進め方も偏っています。
視聴率対策がいろこく感じられますし、よく出演する人はタレント的で党の広告宣伝的発言に終始していることが多いので、そこからはたぶん何も生まれません。
バラエティ的な番組で政治への関心を高めた結果が、いまのポピュリズムだとしたら、改めて考え直す必要があるように思います。

国会のあり方も、そろそろ変えていく時かもしれません。

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2010/11/06

■節子への挽歌1161:決して裏切られることのない希望

節子
昨日、高野山大学でも教鞭をとっている僧侶の方と話しました。
その方が、希望を持つから裏切られるのですと言いました。

ハッと気づきました。
そういえば、仏教では、まず希望=欲望を捨てて、無になれと言います。
キリスト教は希望を説きますが、仏教は希望を説きません。
希望を持てばこそ、裏切られ、また煩悩に振り回されるというのです。
たしかに、節子は絶対に治るという希望は、無残にも打ち砕かれました。
では、その希望は無理なものだったのでしょうか。
そんなことはありません。
その希望が実現する可能性はもちろんあったはずです。
だからこそ希望だったのです。

希望と欲望を等号でつなげるところに間違いがあるのかもしれません。
しかし、たとえば私の若い友人は、希望を持って仏教界に入ったにもかかわらず、その世界が金銭で埋もれている状況に接して失望してしまいました。
仏教界に身を置き社会を正したいという彼の希望は決して欲望ではありません。
欲望ではない希望であっても、やはり裏切られると悩みます。
これは煩悩でしょうか。

そこで行き着いたのが、「決して裏切られることのない希望」です。
私のような「非科学的な」人間は、今でもまだ節子との再会の可能性はゼロではないと確信しています。
だれが絶対ないといえるでしょうか。
科学が不可能だと決めつけていたにも関わらず可能になったことはいくらでもあります。
ですから、私は節子との再会の希望を捨てることはありません。
そして、その希望は私が捨てない限り裏切られることはないでしょう。
実現しない可能性が圧倒的に高いことはもちろん私も認識しています。

決して裏切られることのない希望を持つと、人は強くなります。
それもまたひとつの解脱かもしれません。
しかし、決して裏切られることのない希望は、決して実現されることのない希望なのかもしれません。
希望とは、なんと悩ましいものなのでしょうか。

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■情報社会とは情報が共有される時代なのです

昨日、みんなが安心して暮らせる社会をテーマにしたフォーラムを開催し、そこでワークショップを行いました。
あるグループの発表に「開いて守る」という言葉が出てきました。
そのグループに参加した人から、その言葉は秋津小学校の話から出てきたことをお聴きしました。
秋津小学校といえば、私のホームページに何回か出てきていますが、宮崎さんと岸さんが始めた、地域と学校の融合プロジェクトです。
そういえば、池田小学校の事件が発生した時に、まさに「きちんと開けば守れるのに」と言う話を宮崎さんとしたものです。
言葉はともかく、「開くことで安全と安心を得る」というのが私の生き方でもあります。

尖閣諸島沖での中国漁船の衝突事件に関して、その映像がユーチューブで流れ出しました。
さまざまな意見が飛び変わっていますが、当然予見されたことでした。

2000年前後から、日本では行政や企業の不祥事が多発しました。
正確には露見し始めたと言っていいと思います。
1990年代から私は企業関係の講演で、よく情報社会とは情報が共有される社会だと警告してきました。
おそらく私の説明力の問題でみんな理解してくれなかったと思いますが、それが2000年を過ぎた頃から少し理解してもらえるようになりました。
情報社会とは「情報」の価値がなくなる社会ということです。
とまあ、こう書くとまた誤解されるでしょうね。
多くの人は「情報社会」とは「情報」が価値を高めていく社会と思っているからです。
とんでもない、反対なのです。

情報化社会の実体が「非情報化社会」だったように、情報社会の本質は「情報共有社会」、つまり情報が水や空気のように、みんなのものになる時代です。
つまり、もはや「情報」を閉じ込めておけない時代になったということです。
言い換えれば、情報などもっていても何の役にも立ちません。
但し、情報を持っていないと大きなダメッジを受けかねないのです。
その認識が今は大きく欠落していますから、今回のようなことが起こるわけです。

撮影した映像は隔離などできないのです。
露出するのは時間の問題だったでしょう。
だとしたら選択は唯一、できるだけ早く公開するか、当事者で共有することです。
ここで共有するとは、たとえば中国の政府と日本の政府です。
情報は隠し通せると思っているのは、菅さんと仙石さんのような時代遅れの権威主義的運動家の共通した特徴です。
前原さんの政治思想には私は極めて否定的ですが、政治行動は共感できます。
しかし彼もまた小さな利害にとらわれて、自らを貫けませんでした。
前原さんが確信した映像を、すぐに発表すればいいだけの話だったのです。

情報を独占していることが、力の源泉になった時代は終わりました。
その認識は、捨てなければいけません。
生き方においても、です。

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2010/11/05

■節子への挽歌1160:運命

「運命はそれがつくられるにつれて書き記されるのであって、事前に書き記されているのではない」
分子生物学者のジャック・モノーが 書いた「偶然と必然」に出てくる言葉です。
人智の次元で考えれば、モノーが書いているように、結果でしか説明できないのだろうと思います。
敢えて、人智の次元と断ったのは、私たちが実感できる事象のほとんどすべてはモノーの言う通りだとしても、それを超える「何か」があると、私は感じているからです。
その「何か」による「定め」からは、何人たりとも自由ではありえないと考えたいのです。

こう強く考えるようになったのは、節子との別れを体験してからです。
それは、そう考えると心が少し安らぐからです。
もし運命が自らの手で決められるのであれば、あまりにも自分たちが惨めになります。
そして、なぜ「そんな運命」をつくりだしたのかと、自らを責め続けることになってしまいます。
実際に、愛する人を失った人の中には、そうやって自らを責めている人は少なくないかもしれません。
しかし、大きな定めには個人は抗し難いものだと考えれば、心は安堵できます。
自分で思うだけでは安堵しにくいのですが、誰かが、しかも多くの人が信頼する人がそう言ってくれれば、心安らげます。
これが「宗教」の始まりなのかもしれません。

しかし科学者のモノーは、冷たく「運命は事前には書き記されていない」と言い放ちます。
若い頃は、この言葉に元気をもらいました。
しかし今では、どうも宗教に帰依したくなります。
運命を切り開くよりも、運命に従ったほうが、本当に自分を生きられるのかもしれない。

今日、自殺のない社会にむけた公開フォーラムを開催しました。
いろいろな人に出会いました。
いろいろな話を聴きました。
そして、ふとこんなことを考えました。

節子は、大きな運命に従って自分をしっかりと生きた。
そう思うと心が安堵します。

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2010/11/04

■節子への挽歌1159:愛とは物語である

心理学者のロバート・スターンバーグは、「愛とは物語である」と書いています。
成功した結婚では夫婦が共通の物語を作るのだと言うのです。
お互いに、共有された記憶の連鎖をもとに物語を紡いでいく。
その物語づくりを繰り返すことで、お互いへの配慮や安心感、相手に対する信頼感を高め、育てていく。
私にはとても納得できる話です。
まさに、私たちはそうでした。

全く違ったところで育ち、考えも生活スタイルも違う2人が、違いを活かしながら、新しい物語を創出していくことは、実に刺激的で創造的なことです。
そして、それこそが「歴史」なのです。
どちらかがどちらかに合わせるのでは、物語は退屈なものになるでしょう。
お互いの文化を尊重しながら、しかし時には激烈な夫婦喧嘩をしながらも、共通の物語を創りだすことが、私の結婚観でした。
節子は、最初は戸惑いながらも、私の考えに共感してくれました。
私たちが創りだした物語の読者は、しかし、お互いでしかありません。
できれば娘たちにゆっくりと語りたかったのですが、一番の語り部である節子がいなくなってしまった今は、語りようもありません。
しかし、その何がしかは娘たちに伝わっているはずです。

読者のいない未完の物語。
いささかの残念さはあるのですが、それもまた「物語」なのかもしれません。
物語は、いつもか完結するわけではないのです。

明日は、自殺のない社会に向けての公開フォーラムを開催します。
予想よりも多くの人たちが集まってくれそうです。
きっとまたたくさんの物語に触れることができるでしょう。

物語に触れるたびに、私は感じます。
物語とは愛である、と。
どんな物語も、その根底には「愛」があります。
つまり、人間とは、あるいは生命とは、「愛」の現象なのです。
だからこそ、スターンバーグがいうように、「愛とは物語」でなければいけないのです。

明日は、最後に何を話しましょうか。

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2010/11/03

■餌を与えられることに嬉々と喜ぶ消費者

前項でITが国境を越えて新しい世界を構築していくかもしれないと書きましたが、それを書きながら、今日、テレビで見た新しい自動販売機のことを思い出しました。

その自動販売機は、利用者の姿をセンサーして、その人に合った飲み物を推薦するのだそうです。
例えば肥満気味の人には糖分の少ない飲み物というわけです。
いまはまだお台場くらいにしかないようですが、アメリカではかなり広がっているとキャスターが言っていました。
これを見ていて、家畜に自動的に餌を提供する機械を思い出しました。
まさにこれは餌を与える機械です。
そんなものが流行るとは、いったいどうなっているのでしょうか。

しかし、これは何も自動販売機に限ったことではないのです。
周りを見渡すと、こうしたものがいかに多いことか。
私たちはもうすでに「家畜」になっているのかもしれません。
いったい誰が飼い主なのでしょうか。

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■領土問題に思うこと

領土問題で日本政府の外交力が問われています。
中国やロシアの姿勢は、私が持ち合わせている知識からすれば極めて不当と思いますが、私の知識が偏っているのかもしれません。
日本から見るのと相手から見るのとでは、おそらく状況は全く違うのでしょう。
日本のメディアの情報にばかり依存していると世界は見えなくなってきます。

それにしても、なぜ国家は「領土」をほしがるのでしょうか。
誰のために、何のために。
領土だけではありません。
国家は「国民」もほしがります。
なぜなのか。
それに気づくと、国家とは何かも見えてきます。
国家のよる外交は、「パワー オブ バランス」の世界でしょうが、それだけが国際政治でもありません。

国家の枠を外して人々がつながっていく。
もしそんなことが可能になれば、こうした状況は変わるでしょう。
領土も国民も、その意味を変えていくことでしょう。
ITの急速な発展を見ていると、そんなことも可能になるのではないかという気もします。

最近の状況に関して、外交の専門化がいろいろとコメントしていますが、そこから学ぶこともある一方で、この人たちの時代は終わろうとしているのだなという気もします。
いずれにしろ、領土問題は、私たちに思考のパラダイム転換を求めているような気がしてなりません。

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■節子への挽歌1158:正しく素直な言葉が持つトゲ

虫歯を放置していたら、数日前から痛くなってきました。
昨日から痛みは激しくなり、食事も難しくなりました。
歯医者に行けばいいだけの話ですが、億劫です。
娘は風邪と違って虫歯は時間がたてば治るものではないといいますが、どうも気が乗りません。
まあ来週になったら行くことにしますが、どうも健康に気をつけようという気がどこかで薄れているのです。

テレビで、高齢者用の栄養剤の広告で、「健康が一番大事」などという言葉を聞くと心が痛みます。
健康を大事にして長生きしている人はうらやましいですが、これみよがしに健康が大事などといわれるとどうしても敗北感に襲われます。
「健康が一番大事」という言葉が、まさか人を傷つけるとは誰も思わないかもしれませんが、私のような人もいないとは限りません。
ひがみっぽくなっているのでしょうが、言葉は人を元気づけもすれば、傷つけもします。

しかし、これは他人事ではありません。
私も気がつかないままに、多くの人を傷つけてきているのでしょう。
節子は、いつも、修の言葉は素直すぎてきつい、と言っていました。
節子は慣れているからいいのですが、節子以外の人と私が話していたのを聞いていての感想です。
「健康が一番大事」と同じく、正しく素直な言葉ほど、人によっては傷つくのかもしれません。

私の言葉遣いを注意してくれる節子はもういません。
そのせいか、今週もいろいろ行き違いがあって、知人と何回かもめてしまいました。
私にしては極めてめずらしいことなのですが、やはり最近、対話能力が落ちているのかもしれません。
節子の写真を見ながら、自省するしかありません。

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2010/11/02

■知らせることの効用

尖閣諸島での中国漁船衝突事件の映像は、故意に衝突してきた模様がはっきりと記録されているようです。
自分で見たわけではないですが、テレビでの克明な報道によれば、そうのようです。
事実を最初にしっかりと共有するということの大切さを改めて感じます。
もし最初の時点で全世界に、その映像を流していたら、どうなっていたでしょうか。

中国の今の状況は、どうもそうした話とは次元が異なるようですが、それにしてもやはり事実を隠す政治はそろそろ見直すべきです。
中学校の頃、社会科で「知る権利」と言うのを知りました。
それがあまりにも印象的で、その後の私に生き方に大きな影響を与えています。
「知る権利」が基本になる社会は、たぶん安定して生き生きしているでしょう。

事実を知らせることの意味は、政治だけではありません。
経済もそうです。
そろそろすべてを公開してのビジネスのあり方が考えられるべき時期だろうと思います。
情報格差を背景にしたビジネスから抜け出さないといけません。
情報社会とは情報共有されたなかで生きることだろうと思っています。
情報格差を力にするか、情報共有を力にするかで、産業のあり方は全く違ってきます。

もっとも現実の情報社会は、情報格差を広げこそすれ、狭めてはいません。
情報は存在するものではなく、主体によって創りだされるものですから、同じ情報の海の中にいても、情報格差は生じます。
つまり情報格差とは極めて主観的なものなのです。
しかし、だからこそ、存在する情報は公開していくのがいいと思います。
同じ情報からでも考えることは違いますから、その情報に触れた人の数だけ、その情報は豊かな意味を持ってくるのです。

連日、国会の議論が放映されています。
在宅の時はできるだけ見ていますが、どうも情報が共有されていないばかりか、情報探りあい合戦のようで、創造的な議論にはなっていません。
なぜもっとみんな「知らせることの効用」に気づかないのでしょうか。
きっとなにか「魂胆」があるのでしょう。
私心があると「知ること」も「知らせること」も、なぜか力を失うものです。

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■節子への挽歌1157:昨日と同じ暮らしができる幸せ

節子
昨日の時評編にテレビの「イタリアの小さな村の物語」のことを書きました
私の好きな番組で比較的よく見るのですが、登場する主役は多くの場合、私たちと同世代の夫婦です。
誠実に生きてきて、ようやく生活にゆとりができてきたという話も少なくありません。
おそらくこのような番組でもなければ、遠い日本の私の目になどに入ることもない、何でもない日常の暮らしをしている人たちです。
その暮らし振りは、昨日も明日も、おそらく同じような繰り返しなのでしょう。
そして年に何回か、ちょっとはれやかな非日常を体験する。
おそらく節子が望んでいた暮らし振りです。

今日もまた平安に過ごせた。
節子はいつも寝る前にそう言いました。
昨日と同じ暮らしが今日もできたことが幸せなんだと節子はいつも言いました。
変化を求める生き方の好きな私には、なかなかそれが理解できませんでした。
理解できた時は、もしかしたらすでに遅かったのかもしれません。

「小さな村の物語」を観ている時は、いつも隣に節子がいるような気がします。
節子と一緒に観られたら、どんなに幸せなことか。
いつもそう思いますが、その思いのせいか、いつも節子が一緒のような気分になります。
修とは違うねとか、節子と違うね、とかお互いに相手をからかいながら、きっと幸せな気持ちで観ているだろうという気がするのです。

それにしても、この番組に出てくる老夫婦はみんなとても表情が豊かです。
どうしてでしょうか。
たぶん愛する伴侶との暮らしをしっかりと積み重ねてきたからでしょう。

しかし不思議と、この番組に登場する人たちには嫉妬心を感じません。
イタリアの話だからかもしれません。

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2010/11/01

■「生命の時間」と「時計の時間」

私の好きなテレビ番組の一つに「イタリアの小さな村の物語」というのがあります。
BS日テレの番組ですが、イタリア各地の小さな村が舞台で、毎回、その村で暮らす2人の人が主役です。
昔からの暮らしの文化をまもりながら、家族や地域の隣人たちと一緒に、しっかりと自分を生きている人が主役であることが多いですが、毎回、感ずるのは、「暮らしの豊かさ」です。
豊かさとか幸せとかを考えさせられる、とても感動的な番組なのです。

最近読んだ内山節さんの「共同体の基礎理論」には、欧米の共同体は「人の共同体」であるのに対して、日本の共同体は「自然までも含んだ共同体」だと指摘されています。
私もとても納得できたのですが、この番組を見ていると、自然までも含んだ共同体は日本だけのものではないのではないかという気もします。
いやそれ以上に感ずるのは、家族や隣人を大切にする暮らしの文化が、イタリアには日本以上にあるのではないかということです。
ということは、イタリアのみならず、きっとどこにもあるということです。

私は海外で暮らしたことがありません。
ですから、そうしたことに関しては、体験的に知っているわけではありませんので、判断がつきかねています。
しかし、この問題は空間軸で考えるのではなく、時間軸で考えるのがいいと思い出しました。
言い換えれば、日本では壊されてしまったものが、まだイタリアにはあるということです。
なぜ日本では失われ、イタリアには残っているのか。
おそらくそれは「生命(自然)の時間」と「時計の時間」の、どちらを生活の基準にするかが影響しているように思います。

「イタリアの小さな村の物語」に出てくる登場人物の多くは、自然、つまり生命の時間の中で生きています。
今日放映された番組で紹介されていた2人は、いずれも農牧を営む家族の人でした。
自らの生き方を大事にして、驚くほどゆっくりと「自分たちを生きている」人たちなのです。
生活の積み重ねが文化を育てていくというのがとてもよくわかります。
工業時間で速成されるような、きらびやかかもしれませんが退屈な文化ではないのです。

私たちは、基準とすべき時間を間違ってしまっているのかもしれない、といつも思いながら見ています。
すくなくとも暮らしにおいては、時計の時間は忘れたいものです。

私は大学生の時から時計を持つのをやめています。
しかしそれから50年近くたちますが、まだ時計の時間から自由になれずにいます。
そのせいか、私はまだ、暮らしに豊かさを実感できずにいます。
中途半端な生き方から抜け出せずにいるわけです。
困ったものです。

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■節子への挽歌1156:「2012」

節子
映画「2012」を観ました。
この映画は、マヤの予言として有名な2012年の地球崩壊をテーマにした映画です。
地球崩壊の到来を知った各国政府はすべてが水で覆われる地球で生き残るために、現代版ノアの方舟を秘密裏に製造するのですが、そこに誰が乗るのかというのがテーマです。

方舟には限られた人数しか乗れません。
そういう状況になった時に、私なら乗ることを望むだろうか。
実は子どもの頃、同じような映画がありました。
「地球最後の日」という映画でしたが、その時も同じことを考えたのを思い出します。
私の考えは、極めて限られた人数であれば、乗ることを望まないだろうというものです。
みなさんはどうでしょうか。

映画の中では、いろいろな人が出てきます。
ある人は、巨大津波に飲み込まれる寸前に、これで亡き妻のところに行けると言います。
各国の政府のトップの中にも、国民と共に残るという決断をする人もいます。
お金を出して宇宙船に乗ろうとする人もいます。
映画の主人公役の人は家族を乗せようとするのですが、おそらく私も節子も、そういうことは考えずに、残された時間を静かに家族一緒に過ごす道を選ぶでしょう。

節子がいなくなった後、実に恐ろしい話ですが、私は世界が突如無くなればいいと何回も思ったものです。
マヤでもノストラダムスでもいいから予言が当たればいいとさえ思いました。
もちろん今はそんな考えは全くありませんが、当時は節子だけを送ってしまったということが敗北感として心を覆っていたのです。

いまは、人とは個別の存在ではなく、みんなつながっているという感覚が強まっています。
ですから、地球崩壊という現実の中で意図的に生き残ることへの関心は皆無です。
念のためにいえば、誰かが生き残り、種を存続させる話とは全く別の次元の話です。

脳疲労の割には深い問題を考えてしまいました。

少しずつですが、私にも「生きること」の意味がわかりだしてきたような気がします。
わかった頃にはきっと「生きること」をやめることになるのでしょうか。
節子は、もしかしたら最後の1か月で、こうしたことを直感していたのかもしれません。
なぜかそんな気がしてなりません。
その1か月、なぜもっと節子と会話しなかったのか悔やまれて仕方がありません。
節子は言葉がなかなか出なくなってはいましたが、言葉を使わなくても話せたはずです。
いまさら悔やんでも仕方ありませんが、悔やまれて仕方ないのです。

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