■節子への挽歌1175:痛みを体験したからこその健康的な生活
節子
あなたも会ったことのある経営雑誌編集長のIさんからメールが来ました。
大変ご無沙汰しております。お元気でいらっしゃいますか。
最近「医療問題」とりわけ「在宅医療」「地域医療」に興味を抱き始めました。
まだ、「何となく重要」程度の問題意識なので、まったくの門外漢です。
そういう意味で、まだまっさらでして、ならば佐藤さんにお目にかかって
いろいろな視点をうかがえればと存じます。
できれば、遅ればせながら奥様のご焼香を上げにうかがえればと思っております。
実はこの9月、人生初めての入院をしまして(2週間ほどですが)、
今月の25日まで休職しております。その後も、慣らし運転ですので、
いまは少し「金持ち」ならぬ「時間持ち」です。
Iさんは寝る時間も削るほどの仕事好きでした。
そのIさんが「時間持ち」。
よほどのことがあったのでしょう。
そう思っていたら、またメールが来ました。
実は、脳梗塞を患いました。
しかし、かなり奇跡的に軽度で、2週間で退院し、後遺症はほとんどない状況に回復しました。
ご指摘のように、天の摂理なのか、はたまた「見えざる偉大なる力」による警告なのか、わかりませんが、いまは健康的な生活をしています。
痛みの感覚は、痛みを持ったことがないと実感できません。
痛みは自らが感ずることで、意味を持ち出します。
頭で考える他者の「痛み」は、当事者の「痛み」とは似て非なるものでしょう。
「痛み」は決してわかりあえないような気がします。
Iさんはなぜ医療に関心を持ち、3年もたつのにわが家まで焼香に来てくれるのでしょうか。
20年来の付き合いなのですが、その心までは推し量れません。
しかし、死を感じた体験を経たIさんの、「いまは健康的な生活をしています」という言葉に込められた思いは伝わってきます。
痛みを経ればこそ、開けてくる健康の世界があるように思います。
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