■節子への挽歌1169:朝早い電話
節子
朝早い電話は好きではありません。
いつもドキッとします。
しばらく会っていない従兄がいます。
なぜか先週思い出し、私も少し落ち着いたので久しぶりに会ってみようかと思い出していました。
電話は、その従兄からでした。
「息子が亡くなった」
思ってもいなかった電話でした。
息子さんは40代半ばです。
脳梗塞だったようです。
親にとって子どもを見送るほど辛いことはないでしょう。
伴侶を失うのとはまた違った悲しみでしょう。
私には想像もできません。
しかし、どんなに悲しくても、辛くても、生きていかなければいけません。
生まれてきたのですから。
今日、自殺未遂サバイバーと名刺にまで書いている吉田銀一郎さんが、湯島で開催したネットワーク・ささえあいの交流会に来てくれました。
死のうと思っていた頃、妹さんから「なぜ生まれてきたと思う?」と問いかけられたのが契機になって、すべてをカミングアウトして、いまは元気に活動しています。
生まれてきたからには、生きなければいけません。
子どもを見送ったり、妻を見送ったりする人生であれば、生まれたくはなかったと思いたくもなりますが、それまでの間、子どもや妻からもらったたくさんの幸せを考えると、たとえどんな人生であろうと、生まれてきてよかったと思えるはずです。
幸せがあればこそ、不幸があるのです。
前にも一度書きましたが、幸せも不幸も、もしかしたら同じものなのかもしれません。
しかし、子どもを見送った従兄夫妻のことを考えると心が痛みます。
その痛みは、節子を見送った体験があればこそのものです。
その体験のない人にはわかるはずもないと、今も私は思います。
それは、愛する者を見送ったことのない人には絶対にわからない痛みなのです。
吉田銀一郎さんとは会った途端に心が通い合ったような気がしました。
今日、彼と話していて、その理由がわかりました。
人は生きなければいけません。どんな状況においても。
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