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2010/11/02

■節子への挽歌1157:昨日と同じ暮らしができる幸せ

節子
昨日の時評編にテレビの「イタリアの小さな村の物語」のことを書きました
私の好きな番組で比較的よく見るのですが、登場する主役は多くの場合、私たちと同世代の夫婦です。
誠実に生きてきて、ようやく生活にゆとりができてきたという話も少なくありません。
おそらくこのような番組でもなければ、遠い日本の私の目になどに入ることもない、何でもない日常の暮らしをしている人たちです。
その暮らし振りは、昨日も明日も、おそらく同じような繰り返しなのでしょう。
そして年に何回か、ちょっとはれやかな非日常を体験する。
おそらく節子が望んでいた暮らし振りです。

今日もまた平安に過ごせた。
節子はいつも寝る前にそう言いました。
昨日と同じ暮らしが今日もできたことが幸せなんだと節子はいつも言いました。
変化を求める生き方の好きな私には、なかなかそれが理解できませんでした。
理解できた時は、もしかしたらすでに遅かったのかもしれません。

「小さな村の物語」を観ている時は、いつも隣に節子がいるような気がします。
節子と一緒に観られたら、どんなに幸せなことか。
いつもそう思いますが、その思いのせいか、いつも節子が一緒のような気分になります。
修とは違うねとか、節子と違うね、とかお互いに相手をからかいながら、きっと幸せな気持ちで観ているだろうという気がするのです。

それにしても、この番組に出てくる老夫婦はみんなとても表情が豊かです。
どうしてでしょうか。
たぶん愛する伴侶との暮らしをしっかりと積み重ねてきたからでしょう。

しかし不思議と、この番組に登場する人たちには嫉妬心を感じません。
イタリアの話だからかもしれません。

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