■情報社会とは情報が共有される時代なのです
昨日、みんなが安心して暮らせる社会をテーマにしたフォーラムを開催し、そこでワークショップを行いました。
あるグループの発表に「開いて守る」という言葉が出てきました。
そのグループに参加した人から、その言葉は秋津小学校の話から出てきたことをお聴きしました。
秋津小学校といえば、私のホームページに何回か出てきていますが、宮崎さんと岸さんが始めた、地域と学校の融合プロジェクトです。
そういえば、池田小学校の事件が発生した時に、まさに「きちんと開けば守れるのに」と言う話を宮崎さんとしたものです。
言葉はともかく、「開くことで安全と安心を得る」というのが私の生き方でもあります。
尖閣諸島沖での中国漁船の衝突事件に関して、その映像がユーチューブで流れ出しました。
さまざまな意見が飛び変わっていますが、当然予見されたことでした。
2000年前後から、日本では行政や企業の不祥事が多発しました。
正確には露見し始めたと言っていいと思います。
1990年代から私は企業関係の講演で、よく情報社会とは情報が共有される社会だと警告してきました。
おそらく私の説明力の問題でみんな理解してくれなかったと思いますが、それが2000年を過ぎた頃から少し理解してもらえるようになりました。
情報社会とは「情報」の価値がなくなる社会ということです。
とまあ、こう書くとまた誤解されるでしょうね。
多くの人は「情報社会」とは「情報」が価値を高めていく社会と思っているからです。
とんでもない、反対なのです。
情報化社会の実体が「非情報化社会」だったように、情報社会の本質は「情報共有社会」、つまり情報が水や空気のように、みんなのものになる時代です。
つまり、もはや「情報」を閉じ込めておけない時代になったということです。
言い換えれば、情報などもっていても何の役にも立ちません。
但し、情報を持っていないと大きなダメッジを受けかねないのです。
その認識が今は大きく欠落していますから、今回のようなことが起こるわけです。
撮影した映像は隔離などできないのです。
露出するのは時間の問題だったでしょう。
だとしたら選択は唯一、できるだけ早く公開するか、当事者で共有することです。
ここで共有するとは、たとえば中国の政府と日本の政府です。
情報は隠し通せると思っているのは、菅さんと仙石さんのような時代遅れの権威主義的運動家の共通した特徴です。
前原さんの政治思想には私は極めて否定的ですが、政治行動は共感できます。
しかし彼もまた小さな利害にとらわれて、自らを貫けませんでした。
前原さんが確信した映像を、すぐに発表すればいいだけの話だったのです。
情報を独占していることが、力の源泉になった時代は終わりました。
その認識は、捨てなければいけません。
生き方においても、です。
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