■節子への挽歌1174:「じゃあ、またあした!」
節子
やはりまだ葬儀への出席は辛いものがありました。
人は立ち直れたようでも、ある風景で元の世界に戻ってしまうのかもしれません。
連日だったこともあるかもしれませんが、次第にあの日のことが浮かび上がってきて、しかもなぜかそれを語りたくなってしまうのです。
そして語ったことを悔いてしまう。
まだまだ自分が不安定な世界に浮いていることに気づかされました。
今日は黒岩さんの告別式でした。
黒岩さんの友人の宮崎さんが、弔辞の最後に大きな声でこう言いました。
「じゃあ、またあした!」
その言葉を聞いて、頭ではとても共感できる一方で、心身が少し震えました。
その「あした」はいつになったらやってくるのだろうか、と。
毎晩、節子の位牌壇の灯明を消す時に、私も「節っちゃん、またあしたね」と言っています。
そういいながら、実はどこかで、もしかしたら明日は節子に会えるかもしれないと思っているのです。
その「あした」がいつ来るのだろうと、時々思うのです。
そう思うことが、心身に平安を与えてくれるのかもしれません。
黒岩さんと節子と3人で食事をしたことを思い出します。
黒岩さんは新しい人生を踏み出そうとしている時でした。
たくさんの夢を語ってくれました。
当時はまさか、こんなことになろうとはみんな思ってもいませんでした。
これからは、こうやってゆっくり私たちと食事をするのも難しくなるかもしれないわね、と節子が黒岩さんに笑いながら話していたのを思い出します。
節子が逝った後、黒岩さんはわが家に献花に来てくれました。
その時も、まさか黒岩さんが私を追い越していくとは思ってもいませんでした。
私ももう少し「あした」に向かって人生を急いだほうがいいのでしょうか。
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