■保険技術の国家独占
私のホームページ(CWSコモンズ)にも書いたのですが、先日の共済研究会で明治大学の押尾さんから、保険技術がいま国家によって独占されようとしているということを気づかせてもらいました。
これまでも押尾さんのお話や書いたものに触れているのですが、なぜかこのことに気づきませんでした。
慌てて押尾さんの書いたものを読み直してみました。
たとえば、こんな文章がありました
。「同じ保険技術と言っても、これは保険会社の独占的な私有物ではありません。客観的な自然科学や統計学または確率論などを基礎にして、たまたま保険会社が先に事業を起こしただけです。ですから、この技術は、国民みんなのものです。また、すでに保険会社の保険には国民多数が入っていますから、保険事業は国民を見た事業運営をしなければならないはずです。しかし、残念ながらそうなっていないところに協同組合あるいは協同自治的な組織で共済事業を行わなければならない、客観的な理由があります」保険とは専門的にはいろいろと定義があるのでしょうが、素朴に考えれば、個人のリスクを複数の仲間で分担するための仕組みと言っていいでしょう。
残念ながら現在の保険事業が必ずしもそうなっていないことは前にこのブログでも書きましたが、それでも保険に関する知見の蓄積は大きな知の財産だと思います。
それも参考にしながら、共済事業も発展してきました。
ところが数年前に、日本では商法から保険業法が切り離されるのを契機に、小さな共済活動までもが存続の危機にさらされました。
これに関しては、このブログでも何回か書きました。
私自身は、そこに日本の文化の一つであった「共済文化」が壊されようとしていることに危機感をもっていました。
幸いにその動きはぎりぎりのところで踏みとどまったかと思っていたのですが、昨日、共済研究会で押尾さんの話を聴いて、改めて問題の根深さに気づきました。
保険技術の国家独占、まさに生政治の必然的結果なのかもしれません。
この視点で改めて、最近のセーフティネットや社会保障を考え直して見なければいけないことに気づきました。
社会の行く末が何となく見えてきます。
40年ほど前に盛んにSFの世界で語られていたことが現実化しつつあることに驚きを感じます。
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